永遠に続く様に見える地獄

もやもやした気持ちがずっと続いていることが一番の負担なのかもしれない。「危ない」→「ご臨終」となる「→」を永遠に過ごしている気持ち。退院すれども健康状態に戻ったわけではなく、自宅でも生活出来るレベルになっただけ。病気は消えることはなく、確実に身体を蝕んでいるのははっきりわかる。

本人がどれだけ意識しているのか分からないけれども、近くで見ている姉や僕には、その変化が明確に分かる。診察時に見せてもらうレントゲンやCTの画像でも進行ははっきりとしている。

病気になった人間は早く死ねと言っているのではなく、近くの人は「良くなって欲しい」という気持ちが本音だ。でもね、完治がなければ体調に合せて生活を調整するのが正しいスタイルだと思う。無理をされると周りが巻き込まれる。

結局は確実な「死」に向かう時間をスローモーションで見せられている状態だったと思う。死を迎えるまでの時間がどれだけ長くなろうとも、本人の意思次第でしか周りは動けないことも分かったし、そこは本人の価値観だということも理解した。

何も出来ないと分かった上での、そのスローモーションを送る時間は本当に辛いものだった。

そこから開放されても、まだ母が残っている。

空調は適度に保たれ、清潔な寝具で過ごし、栄養は直接胃に流し込まれ、何もせずに一日を過ごしている。毎月、受け取る年金に対して赤字の請求書。こっちこそなんの為に生き続けているのかわからない。父の独断で勝手な延命措置を取らされた形。本当に相手の事を考えていたら、この選択はない。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。