父と過ごす時間

父の余命宣告を聞いた時は、駐車場の自分のクルマに戻って一人きりになった時に涙がこぼれた。去年の8月27日。でも父の記憶では「1年が経った。去年の6月だから」と。
それはただの記憶違いかもしれないけれど、本人の自覚症状だったり病院への診察だったりが、その頃だったのかもって思ったりもした。深くは問わなかった。

「何もすることがない」と父はベットで話した。

喉が乾いたからと、コーラとトマトジュースを買ってくる様に言われ、病院の中に入っているコンビニで購入する。父は僕が戻ると「飲もう飲もう」とベットの上で身体を起こした。なんとなく『まだ身体は動くんだぞ』と言わんばかりに張り切っていたのだけど、その動作だけでも息切れが激しい。
身体を起こしてトマトジュースを飲み会話をするのだけど、どうも続かなくなる。呼吸が荒くなり息を吸い吐きする音ばかりが大きくなっていった。

話も中途半端に「よし、飲んだから寝る」と横になるのだけど、やはり体力的な辛さが見え隠れする。何より呼吸が一番キツイのだろう。

外科病棟から癌病棟へ移れないのは手術の治りの悪さがあるのだと思う。父曰く血液検査は行っているとのことだから、傷口の回復の度合いを見ているのだろうけれど、医者が判断出来ない状況ってどんな状態なのだろう。「近々話があるのでは?」と父は答えた。

手術の計画などは伝えられていたけれど、回復期は7日〜10日とあった。だが既に3週間を越えた。傷口が痛むことは無いというけれど、内部的な完治が認められないということなのだろう。長い。

関連していると思うけれど、微熱が続いている。37.4前後。
感染症などは無いとは思うけれど、ダルさはつきまとうだろうね。

特に意味の無い話をして、少し笑って、今日は返ってきた。手術と入院と薬代で5.4万円。1割負担はありがたいが、残りの48万を負担する国にとってなんのメリットがあるのだろうと、つまらない事を思ったりもした。

気になる存在であって、僕も自分の生活に集中しなければならないのに、全く仕事も手に付かない。もうすぐ終わるのかな?ってずっと思い続けて、後悔しないようにと、全力でポジティブに接してる。それが辛い。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。