見出し画像

命の価値に差はある

誰にとっても命は平等であり、奪われてはならないモノ。それは倫理としての基本であって、疑うことはない。ただ、今考えるならば命の価値は不平等であるものと思う。

病室に横たわる余命いくばくの老人の命に価値があるとするならば、それはとても小さなものだ。

「生きているだけで価値がある」という言葉の指す価値に差を感じただけのこと。他人の命に価値に対しては、誰であっても判断出来るものでもないのだけれども。

機器に繋がれ生命反応がある老人。全快した後に目的を見失う。強いて言うなれば「誰の手を煩わすこと無く一人で生きること」は老人のささやかな願いなのかもしれない。

生きることの意味は、周りの家族がこうして「普段考えなかったことを考える時間を持つ」ことなのだとしたら、少なからずこの経験は僕の人生にとって大きな影響を持つこととなる。今後の価値観に於いても。

今日も「頑張るから」と父は話していたけれど、いつものそれと少し異なりとても弱々しい声だった。

極小と思われるものの開腹手術は老体にとって大きな負担であることを感じさせる姿に、何を話すこともなく、ただ座って眺めることだけしかなかった。

手術から3日目。開腹部の痛みがまだあるようで「術後7〜10日で回復」とされていた日数からは、やはり回復能力の衰えを感じたりもしている。

この外科手術の回復具合で今後の動きは変わるだろうな。と強く思った。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。