マガジンのカバー画像

弁才天

14
我が家の三尊のうちの1つ、弁天さまに関する記事です。
運営しているクリエイター

2024年3月の記事一覧

餓鬼とはなにか

 「餓鬼」とはなにか。
地獄に住む鬼だろうか。亡霊のようなものだろうか。もがき苦しむ地獄に落ちた人の姿だろうか。

乳飲み子に例えた依存心を捨てなさい、自立しなさいという弁天さんの話を出しているが、「不安」の大きな原因の一つが「依存心」である。何かを頼らなければ不安なのだが、頼っても結局不安は消えないのだ。

そして、餓鬼が好むものが依存心。
依存心に群がる不安が餓鬼。依存心が小さくなると、餓鬼の

もっとみる

仏法をさまたげ、修行をさまたげる魔を、正しくないという意味を込めて「邪魔」とよびます。
そもそも、天部の神様は皆仏法を守護しますから間違った方向に進めば道を正します。
それが時に、障碍であったり実害がひどければ祟りと呼ぶのかもしれません。
合掌

弁天参り

弁天参り

弁天参りにいってきました。
久しぶりに会う友人。門前の仲見世の前で「あ、いたいた。Aさん!」
主人と一緒に声を掛けると、びっくりした表情。すぐに笑顔になり「お久しぶりです」と互いに再会を喜びました。

コロナも過ぎて、仲見世にもすっかり賑いも戻っていました。本殿でお参りしたあとは、弁天堂の中でお経をあげてお参りしました。
とてもよい参拝で、弁天様にもいろいろ報告しつつ、お礼参りをする事ができました

もっとみる

厳島弁才天 裏話

宝殿楼閣の中央に弁才天女が座している。
そして目の前で繰り広げられている親子のやりとりを見つめていた。

 子どもといっても、立って歩ける元気な子どもが転んでしまった。そして子どもは大泣きしている。保護者が体を起こさせとにかく機嫌がなおるまでヨシヨシをする。「あーよしよし。可哀想。痛いね。可哀想。」

その光景をとなりで眺め、
「ああ、これじゃあしかたないわね。
この先は乳飲み子をやめなければ先に

もっとみる

弁才天の裏話1

 はじめて弁才天にたのみすがったときの話。
自己嫌悪の嵐に苛まれ、自分の過去、自分のしてきたこと全てがのし掛かってきて辛くて辛くて仕方がなかった。

考えを止めろ、寝ろといわれてもうまくできない。
(もちろんそれでもできるかぎりの手を尽くすようにした)
そして、読んだことのない観音経を泣きながら唱えた。

声もうまく出せない、読み方もわからないけどとにかく必死だった。
弁天堂でお仕事をさせていただ

もっとみる