敷島

詩歌 | 日記 | エッセイ | たまに小説

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  • 道辺日記

    みちのべにっき。2024年5月15日から書かれた、無職女(25)の取り留めのない日記。

  • 詩も書きはじめました。

  • エッセイ

    日記のようなエッセイかもしれません。自由に書きます。

  • 短歌

    短歌まとめです。何気ないこと、人間のこと、つぶやくような短歌です。

最近の記事

道辺日記(2024年5月21日)

6時半起床。筋トレ。朝食を食べ、夫と共に家を出た。改札で見送り、私は駅ビル内の喫茶店で一服した。今日はどういう一日にしようかと考えて、自然に囲まれたくなったから母校へでも行こうと決めたつもりだったのだが、気がつけば私は都心へ向かう電車に乗っていた。なんとなく、神保町へ行くことになった。 お茶の水駅から聖橋を渡って湯島聖堂に寄った後、ニコライ堂の坂道を降りて靖国通りへ出る。するともう古書店街らしく、紙の芳ばしい香りが、ようこそ、と言わんばかりに漂ってきた。人も本も構わず、五月の

    • 道辺日記(2024年5月20日)

      7時ごろ起床。軽い筋トレをして私はサラダを作る。夫はスムージーを作ってくれた。それらと、ゆで卵を一つずつ食う。ザーザー音を立てて、雨が降っていた。私は玄関で夫を見送った。10時過ぎまで二度寝をした。雨が止んだので、11時から40分ほどジョギングを混ぜたウォーキングをした。ランニングが一定の時間を超えると、呼吸も整い楽になるという状態、セカンドウィンドとやらの存在を信じてみようと思う。セカンドウィンド状態を目指して、今日からコツコツ体を動かしていきたい。 お昼を食べ、また横にな

      • 詩「病」

        一日を通して涼しい 鯖色の雲がもくりと風に吹かれるよ 濾された涼しさが私に寄り添う 覚えたての歌を歌ってみる この世に生み落とされたばかりの歌 温かな響きが私自身の背中を撫でた 本当はいつだってあなたのために オーロラの音律を口ずさみたい これが私の自信です あなたの笑顔の隣で幸せを探せたら もう幸せはいらないのかもね この発見 この喜び 今のあなたに伝えられたら 今すぐ伝えられたら 何もかもを手放してもいいのかもね

        • 道辺日記(2024年5月19日)

          8時前起床。今夜まで実家で過ごす予定だ。今日も母は友人と会うために出かけ、弟も仕事へ行った。朝食を食べて、夫とビデオ通話をする。今朝は昨日より調子が良い。 早めのお昼を食べ、現実を見つめる試みとして自画像を描いてみた。できるだけ「私」を排除して、ただ鏡に映る自分をペンでトレースする。昔から人の顔を描くのが多少得意であると自負している。特徴を捉えられたときは嬉しい。私の人相の悪さを再確認した。 午後は眠って過ごす。夢の内容は覚えていないのだが、起床するとなんとも言えぬ嫌悪感を引

        道辺日記(2024年5月21日)

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        • 道辺日記
          7本
        • 57本
        • エッセイ
          8本
        • 短歌
          13本

        記事

          道辺日記(2024年5月18日)

          朝8時頃、実家へ帰った。出かける前の母と他愛のないおしゃべりをした。母に頼まれて玄関先の花に水をやった。母を見送った。弟も仕事でいない。適当にテレビをつけて、その音だけの家、空っぽの家のソファに寝転んだ。考えごとをしたり、詩を書いたりしてみた。 あらゆることに悲観的になっている自分がいる。自分に優しい言葉を掛けてやりたいのは山々なのだが、それはいつだって難しい。不人情な私。無礼な私。不誠実な私。なぜそういう私しか見えないのだろう。「私」というものはもっと複雑で、簡単なラベリン

          道辺日記(2024年5月18日)

          詩「ここ」

          今日もまたはじまった 朝焼けに包まれて わたしの肉体がよじれる わたしはここにいるよ ここで泣いているよ 叫ぶことも許されぬ静謐のお堂で またあなたに巡り会う機会を雫に例えている 今日もまたおわる 夕焼けは生贄の色 わたしの肉体も融解する わたしはここにいるよ ここで笑っているよ 叫ぶことも許されぬ静謐のお堂で また知らぬうちに生きるあなたを痛感する

          詩「ここ」

          道辺日記(2024年5月17日)

          7時前に起床。食べるものがなかったので、夫とコンビニへおにぎりを買いに行った。夫がバナナ、ケール、小松菜、黒胡麻、牛乳でグリーンスムージーを作ってくれた。私はこのスムージーが大好きだ。疲労が溜まっているのか、体の怠さが拭えず、駅まで行かずに玄関で夫を見送った。朝から落ち込んでいる。 私はもっといい文章を書きたいと思った。文章にとどまらず、私の言動も、もっと洗練されたものにしたいと思った。会話も、メッセージでのやり取りも、私は苦手意識が強い。頭の中がそもそもぐちゃぐちゃなので、

          道辺日記(2024年5月17日)

          道辺日記(2024年5月16日)

          7時前起床。毎朝アラームは5:20に設定している。それなのに気づいたら6時半くらいになっていて、だらだら布団から出られないのが常である。今朝は6時くらいに夫が起きて、昨日の私みたくシャワーを浴びていた。私は朝食を作るというわけでもなく、ただ布団の中でぼーっとしていた。私は朝食を作るためのアイデアも気力も思い遣りもなかった。そして、結果的には罪悪感で自分を追い込んでしまう。いや、罪悪感なんていいものではなく、私の心に渾々と湧き出でるのは「恥」だ。私の人生は「恥」と「見栄」の鎖を

          道辺日記(2024年5月16日)

          詩「或る文」

          いかがお過ごしですか まう最後にお会ひしてから随分と経つやうです 何時からか貴方の微笑みは寂しいものとなり 最終的に私が貴方から一つの安らぎを剥奪したと気がついたあの日 さういふ地獄もあるものだなと 愛染明王の御前にぬかづきたい心地でした 現在の私は貴方の面影を私の中に探しながら 自らが作つた現実と対峙するといふ矛盾を生きてゐます 確かなことは私にやり直したい過去はありません そして過ぎ去りつつある春の尻尾を掴んでやろうといふ画策もありません 近頃の私はただ思い出してゐるので

          詩「或る文」

          道辺日記(2024年5月15日)

          7時前に起床。シャワーを浴びている間に、夫が朝食を作ってくれた。焼きソーセージとゆで卵、そしてオリーブオイルのかかったケールのサラダ。食後にはコーヒーを淹れてくれた。私は最近、全く家事をしない。殆ど夫に任せきりである。夫は日中働きに出ているし、私は家にいたりいなかったりで充分な家事もしない有様だから、家はとても汚い。特に私の本やノートなどが自らのデスクは勿論、ダイニングやリビングのテーブルまでもを占領しつつある。いつかいっぺんに大掃除するのだと不甲斐なさに満ちた決意を繰り返し

          道辺日記(2024年5月15日)

          詩「レール」

          雨粒が電車の窓に爪を立てる みんな神に導かれたみたく 真剣に見つめている わたしは句読点のないお手紙を じつは色んな人に出したくて 美しい便箋を溜め込んでいる ムラのある筆圧も怖がらないで お金を稼いだら社会になっていく わたしは胃もたれにやられてる わたしの鱗の一等綺麗なやつを あなたの痛みと交換してください それが何よりの誉れであると教わったから いつか星座の連なりのように あなたとあなたに出逢うから

          詩「レール」

          詩「不足」

          何を考えても全部足りない わたしやあなたを傷つけて もう身動きがとれなくなる 雨の前の青い匂いは土に注いでゆくよ わたしも好きな季節と溶け合うよ 笑顔と泣き顔の狭間で また足りない考えで あなたとわたしを包みたくて 何を言っても全部足りない 私の気持ちも解らないから あなたに伝わることもない 雨の後の赤い泥濘に足を取られて わたしは舌を噛んでばかりいる 楽園と地獄の狭間で また足りない言葉を紡ぐよ あなたとわたしは変わらない

          詩「不足」

          エッセイ「国宝源氏物語絵巻と人間の生」

           ゴールデンウィーク中、五島美術館「王朝文化への憧れ」にて、国宝源氏物語絵巻を観た。展示作品の最後が、展覧会の目玉である国宝 源氏物語絵巻(鈴虫、夕霧、御法)だった。金箔の施された豪華な詞書に続いて、絵が描かれていた。全体的に色が剥がれてなんとも淡い印象だった。引目鉤鼻やお顔の輪郭、お召し物のふくよかさなども、優しい線で描かれている。  その絵の隣に復元されたものが展示されていたが、それは(当たり前のことかもしれないが)国宝と全く印象の異なるものだった。国宝の絵巻とは対照的な

          エッセイ「国宝源氏物語絵巻と人間の生」

          詩「でん」

          でんでんでん しあわせでんでん でんでんでん ふしあわせでんでん でんでんでん かねもちでんでん でんでんでん びんぼうでんでん でんでんでん やさしいでんでん でんでんでん つめたいでんでん たくさんくらべはするけれど でんでんはずっとつづきます しらんかおしてつづきます どこふくかぜでつづきます やまからみずがしみましょう でんでんでん でんでんでん でんでんでん でんでん

          詩「でん」

          詩「リーラの詩」

          甘美な風に誘われて わたしいま藤棚の下 生キャラメルに凝固した 香りを一身に受けています 最後に見たあなたは 絶望のスポットライト浴びて 力なく笑っていました 脳みそのしわに吸われたその相はリフレイン 花序のゆらぎは振り子のよう 記憶のしっぽが遺影になって この藤の花をレイにして 石のようなあなたにかけましょう たぶん涙もこぼさないと思います はたまたすべては石であり花であるため わたしは呼吸も深く安堵するでしょう わたしがあなた以外に没頭すれば あなたはわたしを赦して云う

          詩「リーラの詩」

          詩「いのる」

          言葉よ 詩(うた)よ わたしは口ずさむ わたしの白くすべやかな命が やがて花弁の結晶となって あなたの心に芳香を満しますように あなたから頂戴した水菓子が わたしの喉をたしかに潤したとき わたしは無始無終の祈りに至りました 気流よ 風よ わたしは沈黙する わたしの永遠を約束された命が やがてテトラポッドに寄せる波となって あなたの心にワルツを宿しますように あなたから頂戴した綿菓子が わたしの心を温かく包んだとき わたしは無始無終の祈りに至りました ーーーーーーーーーーー

          詩「いのる」