作詞の遺品と、見つけ出した『ライナスの毛布』
「君のことを書いてみた詞だよ」と言葉をプレゼントされたら、どんな気分になるだろう?
その答えを知ったのは、つい先週のこと。
*
断捨離で処分を決めた段ボール箱の中にあった、バインダー式のファイル。
そこには、わたしが社会人1、2年目の頃に書いた作詞がはさまれていた。
当時、就職先に早々に嫌気がさして、作詞家をめざしたいな、と歌詞を作っていた。
ワードプロセッサーで作詞をして、気にいった写真やイラスト入りの印刷用紙にプリントアウト。
5年後くらいには自分の作詞に曲がついていて、その曲を自分の結婚式で流すというビジョンまで持っていた。
ただ、ビジョンはあっても、作詞家になる方法がよくわからなかった。
なお、結婚の予定もなかった。
ようやく足がかりになった、かもしれないのは、有名な作詞家の先生の通信教育講座の受講を申し込んだこと。
それなのに、その後繁忙極まりない部署に異動となり、作詞の熱意とメンタルは失われてしまった。
創った作詞をそのファイルに残していることは、もちろんずっと頭にあった。
にも関わらず、ファイルを開いてみたら予想外に仰天した。
作詞をしてプリントアウトしたのは記憶しているけど、残されてるのはせいぜい5作と思っていた。
ところが、そこには20以上の作詞が眠っていたのだ。
もっと驚きなのは、そのほとんどが、いったい何のエピソードから作ったのか思いだせないこと。
もともと記憶していた5つの詞は、描きたかった心情も、生まれてくるきっかけになった出来事も、なんとなく覚えている。
それ以外は、読み返せば何の事か思いだせるものもあるけど、これは自分が書いたのか?と疑いたくなるほど何の記憶も浮かばない方が多いのだ。
今、ほんの僅かの自由時間ができたからといっても、作詞家にチャレンジをしたいとは全然思えない。
今の時代に、わたしの歳で本気でイチから作詞家を目指すのは不利すぎる。
というのは、曲も詞も一緒に作れる子がちまたにわんさか溢れてるから。
自分で、あるいは既にいる仲間と一緒にメロディと言葉が一致する世界を創る方が圧倒的にてっとり早いし、満足いくものが生まれやすい。
自分で書く曲なり言葉なりにピタリとあてはまるのがどんなものかをわかっているのは、自分自身だろうから。
熱心に作詞を続けてSNSで流したら、曲作り専門の子の目にとまって、これに曲をつけてみたいとか、一緒に何か作りませんか?という出逢いがありうる、かもしれない。
けど、なんというか、そこを頑張る余力はないし、若い子達の胸を震わす作詞はちょっと書ける気がしない。
20代前半のわたしが書いた作詞の遺品はどうしようか。
あの時のわたしがせっかく書いたんだしnoteに転記してみようかな。
そう思いつつ、かなり恥ずかしいものもある。
言葉が古いのよね。古くさくて、令和の時代にこんな言いまわしどうなの?という箇所の多いこと。
*
まったく恥ずかしくない、むしろ見てほしい作詞がひとつだけある。
ただし、その作者は、当時仲の良かった男友達。
彼とは、本当に本当に、ただの友達だった。
お互いB’zが好きだとわかって意気投合。
わたしもB’zが相当好きだったけど、語り合ってみたらその情熱は彼の足元にも及ばなかった。
わたしは好きな曲だけを徹底的にエンドレスリピートするタイプ。
一方の彼は、それまでリリースされた全楽曲を何も見ずにカラオケで完璧に歌えた。しかも、歌がめっちゃ上手かった。
話しているうちに、お互い作詞に興味があることがわかった。
書いたものを見せ合おうよ、と言ってきたのは彼だった。
それまで、自分の書いた何かを人に見せたことのないわたしは、恥ずかしさがなかなか抜けずにためらっていた。
それでも、彼の方が何度か自分の作品を見せてくれたので、わたしもひとつかふたつ、書いたものを見てもらった。
お互いに誉めの感想しか言わなかったけど、この部分の言葉使いがいいね、なんて言われると、めちゃくちゃ嬉しかった。
そんな彼が、わたしのことを詞にしてくれた。
ただの白いコピー用紙に黒字で印刷されたものだけど、照れ臭そうに、君のことを書いてみた詞だよ、よかったら読んでみて、と渡してくれた。
タイトルは、
『 Linus’s Blanket 』
ライナスの毛布。
この『 ライナスの毛布 』が何のことか、ご存知だろうか?
スヌーピーの世界に登場するライナスという男の子がいつも持っている、手触りのよい青い毛布のこと。
彼はこの毛布を持っていることで安心感を得ている。
そこから転じて、手にしているだけで安心する物をさす。
あらためて歌詞を読み返した。
「 自分には彼女がいるし、君にも好きな奴がいるけど、それとは別に君といると落ち着くんだ 」という内容。
歌詞の一部をご紹介させていただくと、
最後にkissって入れたところ、きもち悪かったらごめん、でも本当にしたいわけじゃないから安心して、なんて言ってたことまで思いだした。
実は心の底に秘めた恋心が、なんてよくある漫画じみたものは全然なかった。彼とは、本当に本当に、何でも話せる友達だったのだ。
あれから25年近くになる。
自分の作詞の後に、彼のこの作詞がファイルにはさまれていた。
この詞をプレゼントされた当時は、正直、
「 気持ち悪くはないけど、『 kiss 』なんて言葉を友達のわたしに向けてよく書けるものだな…… 」という、そんな印象が強かった。
彼の詞を今読むと、あの頃のことがはっきりと思いだせる。
楽しかった話題、一緒に笑った時間、彼女のことが好きすぎてノロけるためにかかってきた電話、歌詞を交換した場所……
人の記憶に最も紐づくのは嗅覚だという。
この言葉たちに香りはないけど、わたしにとっては、まさに毛布のような不思議なあたたかみがある。
しかも、ずっとしまっておいた、大切な思い出の衣類を久しぶりに取り出したような。
──── ああ、こんなふうに、わたしのために言葉を書いてくれた友達がいたんだ。
あの時の、ただただ書きたいことを書く楽しみを思い出させてくれる。
そして、創作を誰かと共有できて、わたしという存在をいっときでも特別に思ってくれる人がいたということも。
今のわたしが作詞をしないにしても、何かを書く力や勇気を与えてくれる宝物。
それが、何かを書き続けたいと思っている今、こうして現れてくれたのは、ちょっと運命的でもある。
*
彼とは、いつのまにか会わなくなってしまった。
その原因は、彼と彼女が別れてしまったこと。
彼女は、わたしが紹介した子だった。
たまたま身近で、彼に負けないくらいB’zを愛する女子に出会ったわたしは、誰かいい子を紹介してよと言ってた彼に、本当に紹介してみた。
二人は、またたくまに熱愛状態に。
結婚しようという話になったけど、お互いのご家庭のご事情で結局破談となってしまった。
二人は律儀に、せっかく紹介してくれたのにごめんなさい、と別々にわたしに報告してくれた。
わたしに悪いと思う必要なんてないのに。
それよりも、あんなにも仲がよかったのに、あんなにお互い大好きなのにうまくいかないなんて、とただただ哀しかった。
それ以降、彼とは疎遠になってしまった。
たぶん、彼はわたしに会うと彼女を思い出してしまって辛かったのだと思う。
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