猫の墓じまい
思えば、不思議な猫だった。
わたしが実家を出る数週間前から、突然家の前に現れるようになった。
当時はまだ子猫。エサを求めて、高い声でみゃーみゃーと鳴きながら身体をすりすりしてくる野良だった。
わたしが父母の元から離れるのと入れ違いに、もともと猫大好きな母が家に上げ、子猫は飼い猫の座におさまった。
なかなか懐いてもらえないのに、めげることなく日々猫なで声で可愛がる父も含め、新しい家族三人の暮らしが始まった。
たまにわたしが実家に行くと、『 あんたは誰よ? 』と、自分が父母に可愛がられる唯一無二の存在だと言わんばかり。ものすごい目力で威圧してくる。
その頃には、もう可愛らしい子猫ではなく、でっぷりとした風格の大人に成長していた。
誰よ?って、この家の父母の娘はわたしなんだが………
とはいえ、一人娘のわたしに執着していた母の情が、この飼い猫に向かってくれたのは幸いだった。
*
それから10年後の東日本大震災の年に、父が他界。
教えたわけでもないのに、父の祭壇の傍に猫はずっと居続けた。
父が魂となって病院から戻り、納骨が済むその日まで。
父の四十九日を過ぎてから、母の家を訪ねるわたしに、猫が近寄ってくるようになった。
父は猫によくブラッシングをしていた。
ブラッシングとは、まさに猫の毛並みにブラシをかけること。猫が悦ぶコミュニケーションらしい。
彼女はにゃーとひと言鳴きながら、わたしの隣にすとんと座る。父の代わりのつもりだろうか、ブラッシングをせがんでいるのが伝わってくる。
時間があるときはブラッシングしてやる。
「 悪いけど今日は時間がないからブラッシングできないよ 」と話しかけると、1分もしないうちに立ち上がり、ふらりとわたしから離れる。
わたしは動物に触れるのが苦手。引っ掛かれたり、何か手を出されそうでおっかないのだ。
ブラシをかけるのはできても、猫本体を撫でまくったり抱っこすることはなく、素手で額を少し撫でたことがある程度だ。
父の他界から6年後、母と二人で暮らしていた猫は病気で亡くなった。
詳しい経緯は知らないけど、たぶん動物病院の紹介で、ペットを火葬するお寺さんでお骨にしていただいた。
その後、わたしが調べて見つけたペット霊園にお祀りすることになった。
墓じまい、とタイトルに書いたけど、実はこの霊園の祭壇の片付けと納骨を意味している。
霊園には、屋内の広間に並んだいくつもの棚の中に大小色々な区画が設けられ、その大きさで一年間の使用料が決まっている。
例えば大型犬だと、骨が大きいぶん骨壺も大きくなる。大きな区画を借りないと納まらない。
猫程度なら、縦横奥行きがそれぞれ30センチくらいの区画で、年間1万5000円程度。
この区画の中を祭壇として、専用の袋に入れられた骨壺、名前や亡くなった日などを書いた細長い木製のお札を置いてお祀りする。
祭壇に飾る物に、特に決まりはない。他には写真、よく遊んだおもちゃ、好物だった餌の缶詰めやパウチ、愛用のお皿や毛布など。
霊園は年中無休、いつでも祭壇にお参りできる。人のお墓参りと同じ感覚だ。
母の猫ではやらなかったが、お願いすれば、四十九日、一周忌などの法要もしてくれるらしい。
一年が過ぎたらお祀りするのをやめてよいし、逆に好きなだけ毎年使用料を払って更新してもよい。
使用料は年払いのみで戻ってはこないけど、一年の途中で使用をやめてもよい。
合同の納骨堂があるので、最後はそこにお願いできる。
母の猫の祭壇は、一年の予定が二年に、二年が三年、四年…となり、結局六年更新を続けた。
さすがにお祀りはもういいかと、更新をやめようとしていた昨年のこと。
祭壇の区画の契約満了が近づいたある夜、母が猫の夢を見た。それにより、なんとなくまだお祀りしたいと母が言い出した。
そして、今年。
本当にもう更新はやめることにして、わたしが祭壇を片付けに行くことになった。
この一年の間に、母は歩行困難で自力では外出できない要介護者になっていた。
(この先、お骨をどうするなどの話が出てくるので、苦手な方はここでそっ閉じ願います。)
*
契約終了と祭壇に置いてある物の引取日をあらかじめ電話連絡した。お骨は荷物の引取日に合同の納骨堂へ納めることもお伝えたした。
そして、当日。
霊園に着くと、まず、祭壇にある骨壺と木のお札以外の物を片付けるように言われた。たいした量ではない。持参した紙袋に荷物を入れるのは、わずか1分で終了。
この時、「 お骨はお持ち帰りでよろしかったですよね? 」と職員の女性から誤った確認をされた。
「 いいえ、納骨堂にお願いしますとお伝えしました 」と話すと、納骨担当の者が他の用事で出払ってしまっていて、と15分ほど待たされる始末。
その後、納骨担当の男性職員がやってきて、納骨の儀式の時間となった。
霊園の敷地内に建てられた観音様の像があり、その下がドーム型の空洞になっていて、底が地面、つまり土となっている。この空間を納骨堂と呼んでいて、土の上にお骨を帰す仕組みだ。
先に、ごく簡単に儀式の段取りの説明を受ける。といっても、霊園の方で用意したお線香をあげるなど、難しいことは何一つない。
ただ、霊園によろしくで終わるのではなく、意外と飼い主側がやることがあるんだな、と思った。
「 では、納骨堂までお連れしてあげてください 」と、祭壇に祀られていた骨壺を手渡される。
受け取りながら、生きてる時に一回も抱っこしたことなかったけど、こういう形で抱っこするとは……と複雑な気分だった。
そもそも、わたしは飼っていないし一緒に暮らしてもいない。父と母の飼い猫だ。その猫の納骨をわたしがやるのか、というなんだか微妙な気持ちもあった。
まず、骨壺のまま観音様のふもとでお線香をあげ、手をあわせてお別れをする。
それを終え、観音様の前に上がる。上がる、とは、お線香をあげた場所より高いところに観音様が建っているので、階段で観音様の前まで上がるのだ。
(もし興味があれば、末尾の写真をご覧いただけるとわかりやすいかと思います。)
観音様の前で骨壺の蓋を開ける。
……… 猫の骨を直接見るなんて、人生で初めてだ。
大部分が、ひたすら白かった。混じり気も濃淡もない、塗料のような均一の白さ。純白のペンキを塗って造り上げた物を壺に入れたのかと見紛うほどだった。
観音様の足元に、コンクリートの四角い蓋がある。霊園の男性職員がそれをずらすと、直径30センチくらいの穴が現れた。
マンホールのように筒状で、奥底へと繋がっている。その先がドーム型の空間に繋がり、下に土の地面が広がっているのだと霊園の方から聞かされる。
穴の先は暗くて見えないが(見えてもちょっと怖いが)、その穴からお骨を下の地面へと落とす、というのがその霊園での納骨だった。
男性職員が、穏やかな笑顔でこうおっしゃった。
「 骨壺の中の一番上にあるのが、頭の部分です。お顔の向きをこちらにしてあげて、つまんで穴の下へとお納めください 」
え、……それを、わたしがやるんか?
つまむ?骨を………素手で?
「 ……いや、あの、ちょっと素手では…… 」
「 では、骨壺を逆さにして、お骨を穴から地面に戻すのでも構いません 」
それは、………つまり、壺の中身を、この穴から下へざーっと落とす、ということか……
これもまた微妙なキモチだった。
無理なら、霊園の方がやってくださる様子だ。
男性職員は薄手のビニール手袋をしている。わたしも手袋をしたい、先に教えてくれればビニール手袋くらい持ってきたのに……というのが正直なところ。
けれど、素手で骨壺を持つのはできそうだったので、引き受けた。
最後に、母の猫 ──── 出会った時は可愛い野良猫だった、その子に語る。
───── じゃあ、そろそろ土に帰ろう
今までありがとう、わたしがいなくなるのと同時に、父母の娘になって、わたしがいなくなった二人の寂しさを紛らせてくれて、本当にありがとう
猫は、高い所から下へ飛び降りても無事に着地できるから、きっと大丈夫だろう
よし、じゃあ、………飛べ!!
───── この心の掛け声と同時に、壺を傾けた。
骨壺は引き取っていただくことにした。
持ち帰りますか?と聞かれたけど、処分に困る。
そして、最後に祭壇に飾っていた木のお札を掲示板のような所にかけて終了。
百枚近くあるお札達に、あの子の名前のものが仲間入りした。
お札で掲示板が全部埋まったら、入れ替えとなるそうだ。
今後は何の料金もかからない。
観音様のところに、いつでも会いに来てお線香をあげて良いとのこと。
ちなみに、動物の魂は、こうしていつまでも人が大事に拝んでいると逆に居着いてしまうと聞いたことがある。
けれど、家族同様に大事に可愛がったペットと、気持ちを整理しながらゆっくりお別れするにはいいんじゃないかと思う。
猫に別れを告げ、その霊園から車で5分の父の霊園に行き、墓前で納骨の報告をした。父のことだ、きっと猫なで声を出しながら、土に帰ったあの子を迎えに行くだろう。
さらに、その足で母の家に立ち寄り、祭壇の荷物を置いてきた。
猫が大好きで一生懸命面倒を見てはいたけど、口を開けば言葉の7割が醜い愚痴しか出てこない母は、よく猫の文句や不満をわたしにグズグズ言っていた。
そんな母とはもう出来る限り距離を置くとわたしは決めている。
飼われたあの子は、そうもいかなかった。父の死後、母の愚痴や罵声を浴びながら暮らしていたかと思うと、今になって不憫でならない。
こうして、父母が飼っていた猫の墓じまいは終わった。
享年16才。
調べてみたら、人間で数えると80才。
今の母と同じ歳だ。
猫の墓じまいが今年になったことに、何か因縁めいたものを感じる。
しまう、──── 終える、お終い。
父が亡くなり、猫も往き、そしてこの先、母も。
父が今いるあの霊園で、母と猫、三人の魂がやがて眠るのだ。
もともと若い頃から片付けをする能力がなく、今も散らかり続ける母の家を片付けて終う日がそのうちやって来る。
さらにその先の未来では、人の墓も終う予定でいる。
わたしの死んだ後に墓参りができる人は、いないから。
そうやって、わたしが関わったものをひとつひとつ終いながら、やがてはわたしもこの世を去る。
終わりが見えてくるからこそ、やらねばならないことも見える。
そのために、とりあえずまだまだ元気に生きねば、自分の周りの断捨離も徹底的にやらねば、と強く強く思いながら、車で故郷を後にした。
(この下に、観音様と納骨堂の風景写真があります。苦手な方はそっ閉じ願います。)
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