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思いが物で届くこと。

あなたの手元に、手書きの手紙やメッセージが届いたことはあるだろうか。
最近。
もちろん、商業用のDMを別にして。

わたしは、ある。
昨日のことだ。

宛名として、大切な人の直筆による、わたしの氏名。
メッセージの末尾には、わたしの大切な人の自署。


何度見返しても、胸が詰まる。

手書き文字は、世界で唯一のもの。
そんな独自性しかない文字で書かれた、
唯一無二の、わたしの名前。

間違いなく、彼がこれを書いた時間が存在する。
わたしがメッセージを手に取り見ている今ではなくて、少しばかり過去の中に。


メッセージは、誰かが誰かにあてたもの。
ほんの僅かな時間でも、彼はわたしのことを思ってこれを書いてくれたのだ。
そんな時間を、わたしの手元のメッセージが証明している。


文字に乗せられた想いが、じんわりと伝わってくる。

ふと、繋がりを思う。
彼がこれを書いた時点と、今わたしがこれを見ている時点。
時の流れと物流ラインに乗ってやってきたメッセージが、その二つの時点を繋げている。
タイムマシンみたい。
このメッセージが、時間を超えてやってきたのだから。

繋がっている、
そして、伝わっている。


見知らぬ人とほぼ瞬時に電波でやりとりできる時代。
画面越しに誰かと繋がっているのが、もう当たり前といえる。


だからこそ。
手作業で想いを刻んだものが、少し時間をあけて届く。
そのことが不思議に思えて、たまらなく愛おしい奇跡だと感じる。

その時間があったことを、時を超て、わたしの手元でいつだって教えてくれる。
一年後、三年後、十年後だって。
火葬場の人に怒られるかもしれないけど、自分の棺にこれを入れてもらうつもりなので、きっとあの世にだって持って行ける。


手紙が当たり前ではなくなった今だからこそ、このメッセージのありがたみと不思議さと奇跡を、抱きしめることできる。

電波に乗った彼の想いを表すタイピング文字なら、何度も受け取っている。
それだって十分嬉しい。
嬉しいけれど。


今、これを送ってくれてありがとう。





少しばかり季節が早いけど、直筆メッセージを添えた年賀状はいいものかもしれないと思い直した。

あわただしい年末に出すただの儀礼的なもの、煩らわしいから止めてしまいたいとここ数年は強く願っていた。

年配の方などが、今年限りでと年賀状じまいをするのも珍しくない。
わたしもそれにならって、年々年賀はがきの枚数を減らしてきた。


暑中、残暑、寒中お見舞いも、本来は、季節の折に相手の様子や体調を気遣い文字をしたためる、心がこもった文化はず


年に一度くらい、相手を思って年賀状を書くのもいいもの、やっぱりいいものかもしれない。
もともとたいした枚数を書いているわけでもないし。
来年の分から、昨年送ってくれた人に限って、わたしの写真で年賀状を作ろうかな。


最後に。

貴方が、
今日という日を
無事に終えられますように。




数多の人々の暮らしを見てきた
歴史的建造物もまた、
タイムマシーン的なものを感じる
(写真は京都御所)





ここまで御覧くださった皆様、
貴重なお時間ありがとうございました!



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