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謝りたいから、ここで謝る。

いつか、これを読むかもしれないみんなへ。


わたしは多分、この先みんなの前から消えるのだろう。

一緒に盛り上がって楽しかったのは嘘じゃないよ?


みんなと話すのは楽しかったし、わたしが話した言葉に心を動かしてくれたことは、本当に本当に感謝してる。


ただ、ちょっと気がついてしまった。

やっぱりわたしは、みんなと違う。

みんなの嗜好が性根から染まったそれなのと違って、わたしはみんなに合わせていた部分があるのを否めない。
だって、昔は大嫌いだと思った種類の嗜好もあるのだから。

でも、みんなと出会った頃は、大嫌いよりはそういうのも楽しいかもしれないという気持ちを持ってた。
だから、わたしってこういうの好きな人なんですって主張もしていたと思う。
例えるなら『わたし、炊き込みご飯大好き人間です。特に松茸ごはんが大好きなんです』って一人で自己主張していた。


以下、あくまで例え話。

わたしが話してたら、お友達がだんだんと増えた。
私も炊き込みご飯が好きとか、松茸ご飯が好き、ってお友達。


わたしが話すと喜んでくれるのかなと思って、わりと積極的に松茸ご飯の話をした。

話すことに無理なんかしてなかった。
話すことも楽しかったし、みんなが楽しんでくれるのも、こんな話でいいの?と思いながらも嬉しかった。

嬉しかった。

………嬉しかった、けど。


けど、お友達もどんどんわたしにお話するようになった。

そして、わたしと似たようなお話をしてくる人の中に、わたしとは好みが合わない人が出てきた。

大雑把に言うと、『それなら私の味付けの松茸ご飯も大好きに決まってるよね?』とひたすらそれをすすめられる感じ。
なんなら、『わぁ~これ美味しいですね!!大好きです♡』ってわたしに言ってもらいたいの?って感じてた、ごめんね、でも正直そう思ってた。
だって、そうじゃないの?
違うならいいのよ、いいけど。

最初は付き合って聞いてたけど、気がついたらイライラしてた。
だって、わたしが好きなのは自分の松茸の炊き込みご飯で、作る人によって実は風味が全然違う、わたしは松茸ご飯なら何でもいいわけじゃないって思い出してしまったから。

同じ松茸ご飯だとしても、もう、生来的に無理なほど濃かったり具材がよくわからなかったり、それってもはや松茸じゃないしってものが入ってたりして、それがひどい場合は相当なストレスになってしまった。

あなた達は何も悪くない、
誰かにとっては、きっと美味しいの。
ただ、わたしはとっては無理な味だっただけ。


それで思い出した。
そう、思い出したの。

子供の頃、たまたま食べた松茸ご飯が本当にもう無理無理で、二度と他所では食べるもんかと固く誓ったことを。
『昔は大嫌いだと思った嗜好』を思い出してしまったの。


人の松茸ご飯が無理。
そのことで苛々とする時間が増えた。

何のために好きなご飯の話をしているのかわからなくなった。

それとなく、ごめんねあなたのレシピには興味がなくて、という態度をやんわりとったつもりだけど、わかってもらえずにすすめられ続けた。あたりまえだよね。

それに嫌気がさしたわたしが、一方的に相手を消し去ってしまった。

これは悪かったと思ってる。

ちゃんと、『わたし、自分の松茸ご飯が好きで、あなたのは無理なの。ごめんなさいねお別れしましょう』ってわたしの方からはっきり言えなかったから。

仲の良いふりをして、いきなりわたしが冷たくしたと憤ったと思う。
それはそうだ。
陰でさぞ責められていても仕方ない。


ただ、謝りたいとは思っているけど、今はわたしのことなんかどうでもよくなって自分のレシピの布教を続けてる人に、わたしの影をわざわざ見せつけ不快にさせる必要もないのかな、と思うんだ。

だから、ここで謝る。

あの時は本当にごめんなさい。



人と関わって話をしているうちに、自分が何を好きで何を嫌がるのか、どんどんわかってしまった。

とにかくわたしは自分の松茸ご飯が好きで。

松茸も少し好きだけど一番好きなのは鳥釜飯なんだ、って人と話してる方がラクだった。
私も鳥釜飯は少し好きだから。

しかし、話をしていると、わたしと似たような味のご飯かとおもいきや、わたしの苦手な松茸入りアサリご飯の話をする人を見てしまったりもする。

どうしても自衛権を行使する必要があった。


そして、さらにそのうちに。

みんなは、自分のレシピをおいしいねってたくさん誉めてほしくて、自分のレシピを積極的に広げていることに気づいた。
これが、さっき言った、みんなが性根から染まってること。
みんなは、その行動が心の底から好き。
わたしは、好きになってみたけどやっぱり違和感を否定できない。

ちなみに、自分のレシピの中身や味をどんどん公開するし、他の人のどの炊き込みご飯のどんな味も大好きです、って方はモテるのよね。



これから話すことも、後からわかったこと。

ほとんどみんな、炊飯器を使って作った炊き込みご飯だ。

一方、わたしは土鍋で炊いたもの。

そこに一見差別はないように見えて、やっぱり性能抜群の炊飯器を使っている人は注目を浴びる。
秀逸な炊飯器と工夫をこらしたレシピでつくられた炊きごみご飯は、人気が高くてよく売れるものだ。
それに、炊飯器を持ってさえいれば、これから作りますね~と材料と炊飯器の写真をアップしてみんなの興味を引くことだってできる。
とにかく炊飯器優位なんだってわかった。

ちなみに、土鍋はびっくりするほど興味を持たれない。
よほどコンスタントにみんなの好きなものを作り、食べて食べて!!と宣伝しないと。
いや、みんなが好きなものを作ったとしても、土鍋の蓋を開けるのは重くて面倒なのでそれすらやってもらえないことが多い。
これは、わたしが自分の土鍋の松茸ご飯で実感したことじゃなくて、同じく土鍋で作ろうとした人達が同じようなことを言ってるの。

でも、土鍋は土鍋の良さがある。
炊飯器も土鍋も、両方持ってる人が完璧。
炊飯器でファンを作り、そうすると土鍋の方の蓋も開けてもらえるから。

幸いこのことに気付いた時には、土鍋しかなかろうが何だろうが、わたしはそもそも自分のレシピを広める気が失われつつあった。
レシピを勝手に喋りたいから喋っていただけに近い。
ほめてもらえたら素直に嬉しい。
でも、もっともっと誉めて!みんなにわたしの松茸ご飯を大好きになったもらいたいの!という人間じゃなかったのよ、わたしは。

でも、土鍋とはいえども、そして、わたしのレシピといえども、『おいしいね』って言ってくれる優しい人もたくさんいた。
二人以上いれば、もう複数形だからたくさんなのよ(笑)

それは、本当に本当に本当に感謝してる。


そして、
わたしは、本当に無知で無謀だった。
無知無謀だとこれも後から知った。

お互いの炊飯器とレシピをほめ合い、自分のレシピへの愛を叫びながら布教するような世界なのだと、わたしはまったく知らずに炊き込みご飯や松茸ご飯の話を始めてしまっていた。単に、言いたかったから。

あまり他の人のレシピに関心を持てないわたし、という本当の自分を、自分で思い知る一方になっていた。

わたしはわたしの松茸ご飯が好き、
以上。
と、それで満たされてしまってるって痛いくらいわかってしまったのよ。



やがて、みんなの中で炊き込みご飯じゃない話題も増え始めた。

人は普通、いつか飽きがくるもの。

お友達になったころは炊き込みご飯でみんな頭がいっぱいだったとしても、だんだんと『炊き込みご飯以外の話』も聞いてほしいとつぶやくようになった。
人によっては炊き込みご飯のことで話したいことがなくなり、黙りがちになった。

『炊き込みご飯への大きすぎる愛をおさえるために日常の話をします』って、嘘でしょ(笑)
愛を抑える必要も何もないから、話すことがあるなら今までどおり話せばいいのに。
愛が鎮火したって思われたくないプライドだよね。


まあそれはともかく、炊きごみご飯は一過性の熱でした、今は普通に好き、って人もたくさんたくさんいる。

流行りとなったタピオカで盛り上がる人も、たまたま自分がハマったサラダの話をする人も。

家族の愚痴、子育ての話、とだいたいの人がリアルの片鱗を話すようになった。
なった、というか、お話してるうちにそういう話もみんな聞いてほしい人達なんだってわかった。

お互いの優しいからお互いの身の上を身バレしない程度に見せても許される世界だったし、お互いに見せた日常をお互いに励まし合う、ごく普通の人達の世界だった。

炊き込みご飯という同じジャンルで大雑把にくくれば、同じものを好きと言える仲間達。
そんなみんなが、何となくでも実際どんな人かを知るのは面白かった。
面白かったけど、大変そうだなって心配することもあったけど、一人の人として立派だと思える人もいるけど。
………私生活の部分をコメントし合うのもだんだん違う気がしてきた。

わたしがみんなに何も言わなかったのは、わたしの大好きな松茸ご飯の世界で、わたしの辛い日常の欠片なんて1ミクロンも見たくなかったから。

炊き込みご飯を通じてみんな繋がってお互いのリアルも知り合い仲良くなりたいですね、みたいな空気をやたら出す人もいたけど。

うーん、ごめん、言わないけどわたしはみんなより忙しすぎる。
忙しい中で、知らない人にわざわざ辛い日常を見せたり知らない人にわざわざ会う時間はなかった。みんなと話すのは、炊き込みご飯の話だけでよかった。

こいつ性格悪い人だな、で済ませていいよ。
わたし、HSPだし一人の方が本来は好きだし、理解してもらえないだろうけど松茸ご飯を愛するというペルソナを知ってもらえばよくて、あまり人に知られていない国家資格を持ち堅苦しい仕事をしているとか家族構成とか、そういうのをみんなに知ってほしいとは思わなかった。
だから、ある程度何でも見せ合うお友達として馴れ合うことも、やろうって気持ちになれなかった。


『旦那さんと一緒に松茸ご飯とおいしい豚汁いただきました』って言われるのも苦手だった。

その人が松茸ご飯を好きなのは構わないのだけど、豚汁という他の食べ物だったり、『旦那さん』というその人にとってのさらなる癒しと並列で松茸ご飯を用いられることが、心の狭いわたしには許せなかったのかもしれない。

わたしにとって、松茸は正義であり神であり救いであり癒しであり生きる価値であり糧でもあるの。

優しくて大切な旦那さんがいれば、あなたはわざわざ松茸ご飯なんか食べなくてもよくない?と妬むわたしになるのが嫌だった。




こんなにも面倒なわたしは、だんだんと、みんなと何を話せばいいのかわからなくなってしまった。

松茸ご飯を死ぬほど好きなことは変わらなくても、ここはわたしのいるべきところじゃないと感じた。

しかも、わたしは炊き込みご飯供給公社や松茸の流通経路のことなどを、みんなよりほんの僅かだけど詳しく知ってしまっている。
それは、たいていの人にとってあまり興味のない分野。あくまでみんな、自分の推し炊き込みご飯やマイレシピにこだわりがあるだけ。

知ってしまったわたしが松茸の流通経路の問題点を指摘しても、わたしの話は聞いてもらえたけど、そんな問題点に文句を言うより松茸買えるだけで充分でしょ?という空気になった。

うん、わかってる。
そうよ、買えるだけで有難い。
でも、流通経路の問題点に気付いてしまうわたしの属性。
これを見て見ぬふりをしたら、わたしじゃない。

みんなにとっては、『いつでも松茸ご飯最高!!いつでも全部大好き!!わたしの松茸ご飯も食べて!!』と叫ぶわたしが有意義であって、炊き込むレシピでなく流通経路に興味を持つとわたしなんてどうでもいいのだ。

もっとも、炊飯器も持たず、レシピも言わないようなわたしは、みんなにとって意味はないのだ。


そう悟った。
だから、みんなの前からもう消えてもいいかな、と思った。

でもね、

レシピを楽しそうに語るみんなを、本当に本当に大好きだったよ。


厳密なことを言えば、わたしだけの秘密のレシピでこっそり松茸ご飯を作ってお腹いっぱい食べるのは大好きだけど、みんなに食べてほしいわけじゃない。

このレシピは、むかしからずっとずっと、
わたしが心の中でじっくりじっくり作り上げ、長年の間に少しずつ書き加え、わたし好みの最高級の松茸ご飯ができちゃうレシピ。

でも、わたし好みなだけなので、みんなに味見してほしいとは思わない。
わたしが最高においしくて幸せ、それでいい。
そうやって長年生きてきたから。
ごめん、やっぱりわたしはわたしの愛し方を貫く。


みんなの中には、自分のレシピに高級感を出すために松茸を使う人もたくさんいる。
そういうのも、何だかなぁと思ったら、自分は同じことしたくないなって感じた。
でも、レシピを語ることは、そういう人達と結局は同じことをしているのだ。

『好きな炊き込みご飯を作るのは、お遊びだよね、真剣だけどお遊び。
大真面目におもちゃで遊んで楽しむのと同じ』

………うーん、こうやってわたしが表現すると、ちょっと違うんだけど……

『自分の好きな具材を好きに入れて好きに味付けをして何らかの炊き込みご飯を作る、ってレベルでは、何を作ろうが一緒。自分の欲を満たすために真剣にやる、最高のお遊びだよね』
と、そんなふうな意味のことを言ってた子がいてね、だいぶ前に。

すごく納得した。
そういう言い方をしたら、そうなのよ。
彼女の言うとおりだと思う。

そのとおりだからこそ、
みんなと同じことはもうしたくない。
わたしは、お遊びで松茸ご飯を追い求めてるわけじゃない。
松茸をわたしなりにリスペクトする人間になりたい。

もともとわたしは、みんなとちょっと違う松茸ご飯を一人で作って一人で食べて満足してしまう。
そして、松茸をリスペクトしたいからそのためにみんなとは違う形で松茸ご飯を作りたい。

みんなは、何を作ったかはともかくみんなで食べた方がおいしいよねってタイプだろうし、自分のご飯も食べて!そして誉めて!って思ってるんだよね。

だから、みんな、お互いのレシピを楽しめる人同士で楽しんだらいいのかな、という感覚に陥ったら、違うことをしたいわたしがその世界にいる必要なんてなくなったんだよ。


こんなわたしは、ひっそりと疎まれてると思う。
疎まれる以前に、むしろわたしにもう興味がないかもしれない。その方がありがたいかもしれない。



それに、わたしの残りの人生を考えた時。
残されている時間を考えてみたら。

いつまでもレシピの話をしていていいのだろうか?という疑問が常に頭に浮かんだ。

何歳だから、何をしなければならないという決まりなんかない。
みんなが何歳になっても各々の工夫をこらした炊きごみご飯のレシピを披露するのは全然気にならない。

でも、自分がそうなるのは、違う。
それでいたいと、わたしには思えない。

先に述べたけど、みんなは性根からの嗜好、わたしはそうじゃないから。


わたしはわたしのレシピで足りる。
わたしの作りたい松茸ご飯の味は、ごく一部のみんなしか、いや、きっと誰も興味がない。わたしが食べたいだけだもの。

しかも、わたしの作ったものには、みんなにとっての毒がある。
わたしには刺激と快感をもたらす隠し味やうま味だとしても、人によっては吐き気をもたらすような悪い作用しかない、それは毒に違いないのよ。


わたしの毒にみんなをあてるのも、違う。


だから、わたしはみんなの前から消えた方がいい。


ずるずると書いたけど、つまり、まとめると。

わたしは、最初は炊き込みご飯も松茸ご飯も大好きと言って、土鍋で炊いたレシピの一部を公開してみた。
気に入ってくれる人やお友達と思える人があらわれてくれた。
それなのに、わたしは人のご飯は、特に人の松茸ご飯は無理だとわかって、そして自分の大好きなレシピをみんなに味わってほしいキモチもゼロ。
みんなが使う炊飯器は手に入らない。
レシピでマウント取りたいわけでもない。
そして、これから本当にやりたいことは、みんなの大好きなこととは違う。
わたしにしかできない松茸ご飯の開発をして、松茸をより極めたい。

そんな本当のわたしは、お互いの炊き込みご飯を誉め合い自分のご飯をススメ合って盛り上がりたい…そんなみんなにとってはもはや全くの無価値なので、みんなとお別れしようとしてる。
そんな、自分勝手で卑怯者。


そういうことなんだよ。

けれど、
どれほど卑怯だと言われようとも、
わたしはこの先も松茸ご飯で命をつなぎ、20年後くらいに死ぬ時は『松茸ご飯を愛して本当によかった』と思いながら息を引き取りたい。
そんな人生のために、
残りの人生を本当に心地よい時間で埋めて行くために、
みんなといる時間と、そしてみんなとお別れしようと思います。


そして、わたしは卑怯者でも義理は通す。
みんなと仲良くしていたことを隠して有名になろうなんて思ってない。


こんな今のわたしをわざわざ説明しても、
みんな不愉快に感じて『勝手にしたら?』としか思わないでしょう。
または、わたしのことなんて既にどうでもよくなってると思います。
だから、ここまではっきりとした説明は要らない。さらっとお別れを言って、SNSアカウントの削除ボタンを押すと思う。

出会って、理由は何であれ既にお別れした人もたくさんいる。
わたしなんかと今も繋がってくれてる人は、本当にいい人達なのよ。
そんなあなた達の期待にそえるわたしじゃなくて、ごめんね。


今まで本当にありがとう。
みんな、元気でお幸せに。

松茸ご飯に関することは、
わたしはここで書き続ける。

いまのわたしに書けることを。

そもそも、松茸とは何か、どんなきのこなのかと論文を書いてから死にたいの。

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