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緑立つ 古都にて暮らす いつかのわたし

 学校に言われるがまま京都へ旅にでかける関東近郊の学生の、何と多いことだろうか。

 そういうわたしも、中学、高校と京都へ修学旅行へ出かけた。そして、いくつかの文化遺産をバスの時間に追われるがままにさささっと見た。
 非常に残念なことに、あまり歴史の浪漫を感じることはできない学生だった。

 その後、京都へ足を運んだのは、確か24の時。

 神戸に住んでいる大学の先輩を訪ねるのが主な目的で、その先輩の案内で京都、奈良も回った。
 この旅で最も記憶しているのは、奈良の法隆寺の百済観音の美しさ。立ち姿の観音様の身体の曲線美に、生まれて初めて仏像に見惚れた。
 なお、京都については、二条城の近くで先輩と待ち合わせをしたことと、わらび餅のお店の記憶しかない。
 そのお店は、感動的に美味いわらび餅の店があるからと言って先輩が連れて行ってくれた所だ。
 確かに、とっても美味しかった。
 ただ、そのお店は、先輩が当時めろめろめろめろに惚れていた彼女さんが教えてくれた所だと判明した。ということは、先輩のわらび餅に対する感動には相当上乗せがされていたと思われる。お店の場所も名前も、全然覚えていない。

 その翌年、25の時。

 大学の友達の結婚式で、再び京都に行く機会がやってきた。
 会場は、当時できたばかりのホテルグランヴィア。京都駅隣接という抜群の立地で、しかもご厚意で式の前日から宿泊させていただいた。豪華だ豪華だと何となくはしゃいだけれど、もっと楽しめばよかったと最近になってじんわり後悔している。

 その友達の結婚式の時のことで、ちょっと不思議な記憶がある。

 その時、東京からわたしと一緒に京都に向かい、グランヴィアの同じ部屋に泊まって結婚式と披露宴にゲストとして出席した友達がいた。
 その彼女の希望で、挙式先日の空き時間に、二人で晴明神社へ出かけた。
 当時、社会人になってまだ数年、人並にあまりお金のなかったわたし達だ。
 タクシーを使うという発想なんて到底持っていない。スマホもない時代で、京都市内の複雑なバス・地下鉄の路線を簡単に調べることもできない。
 したがって、ガイドブックか何かをたよりに、ひたすら歩いた覚えがある。とにかく、ただただ真っ直ぐ真っ直ぐ歩いていた気がする。
 京都は碁盤の目の街、綺麗な一本道を進むことも珍しくはない。
 この文章を書くにあたって、この記憶が気になりGoogleマップで調べてみた。
すると、京都駅から晴明神社までは、確かにほぼまっすぐ北上する感じであるが、所要時間は徒歩で片道1時間5分、距離にしてなんと5.2キロだ。
 いくら時間があったとはいえ、そんな距離をどこか途中でお茶をしたりすることもなく、ただただ歩いて行ったのかと思うと、かなりの驚きだ。今の自分には到底無理。若さのなせるわざだったのだろう。



 ここ10年程で、所用で年に少なくとも一度は京都へ行くようになった。

 そして、何度も足を運ぶうちに、なんという居心地のよい街なのかという昂るような気持ちを、気が付けば京都の地に降り立つ度に魂の底から味わうようになっていた。
 さらには、用事がなくとも最低でも年に1回は京都の空気を吸わないと落ち着かない身体になってしまった。もう、中毒と言ってもいい。あるいは、たまに京都の街に浄化されないと身体が重いというか。

 
 通りは細かいところも多いけれど、どの道も一直線でわかりやすい。

 京都のタクシー運転手さんによれば、お店や施設などは、住所地ではなくて通りの名前で覚えてるのだそう。何通りを何々通りの方へ入ったところ、というように。
京都の住所地で、何々通り「上ガル」「下ガル」とつけられているのは、そういうことらしい。



 この春にも、京都へ出かけた。
 つい先日のことだ。

 午前と夕方に用事があり、途中の4時間程度は空き時間となった。

 何度も京都へ行ってはいるものの、観光地巡りばかりしているわけではないので、名所への行き方や道の裏技なんてまったく知らない。

 毎回、用事を済ます以外は、思いつくままに気になる所へふらりと出かけるだけなのだ。

 今回の空き時間は、次の用事がある場所に近い、鴨川沿いへ行くことにした。

 
 アップダウンのない平坦な道は、歩いても歩いても苦にならない。

 道端にあるコーヒーショップ、何気ない雑貨屋さん、そして全国チェーンのお店のはずのショップすら、どことなくたたずまいが洒落ている。

 歩きながら、その昔に晴明神社まで歩いた自分を思った。
 行く道の先々にあるお店のショーケースの雑貨に目をやり、「 かわいいね 」と友達と話しながら延々と歩いた記憶。色褪せて曖昧ではあるけれど、それは間違いなく脳の片隅に残っていることを再確認した。



 途中、京都御所の前を通りかかった。

 空に向かってすっくとそびえる木々達。
 それを見て連想した言葉は、『 緑立つ 』という季語だ。
 これは、松の枝先の新芽が真っ直ぐに空の方へ伸びる様子をとらえた言葉。

 松の木かどうかさておき、新芽の頃なんて遠い遠いいにしえのこと、もはや幾代もの歴史を目にして来たであろう御苑の樹々に当てはめるには、相応しい言葉とはあまり言えない。
 が、それでも、御苑の濃い緑・深い緑が重なりながら、空へ向かって届きそうなほどにすっと伸び、それらが風で揺れている姿を見ていたら、本来の言葉の意味とは違うとしても、この表現を当てはめるのも悪くないんじゃないかと思った。
 自然における空と緑という原始的でシンプルなものを、季語のようなこれまたシンプルな言葉に重ねてみたくなり、思いついたのが『 緑立つ 』だったのだ。

 なお、うん十年前の高校の修学旅行でも、間違いなく御所を訪れているけれど、「 広い 」という感想しか覚えていない。別の意味でシンプルな感想ではあるが。




 鴨川についた。
 用事もなく鴨川沿いを歩くのは、今日で3回目だ。

 気持ちいいくらいに、真っ直ぐ伸びる川。
 以前、鴨川沿いのベンチで外人さんが話してくれたことだけど、水の流れが常になだらかに整うように、市が川の底の砂利などの形状を定期的に整えているそうだ。
 なるほど、極端に深い所や、流れが急に不規則な部分はほとんど見当たらない。


 川の上にどこまでも続く空は、高いようで手の届きそうな身近さを感じる。
 ピーヒョロロとわかりやすい鳴き声を響かせるとんびも、羽の模様が目でわかるほど低い位置を気安く飛んでくれている。



 ぶらぶらと歩けば、地元の人がごくごく日常を過ごす姿に簡単に出会える。
 よちよち歩きの赤ちゃんがいる家族連れ、
 犬の散歩やランニングをする人、
 スケボーの技を磨く少年達、
 楽器を伸び伸びと練習する壮年のグループ、
 サッカーボールでリフティングする学生達。
 夏場には、透明な川の水に触れ合う親子連れの姿なんかも見ることができる。


 美しい空、穏やかでのびやかな流れの川とともに、各々が思うがままに時を過ごしている。
 それを見て、鴨川沿いは健全だ、とぼんやり思った。
 健全とは、健やかで異常のない、危なげのない様子のことだ。
 
 
 彼らにとっては、この街とこの光景が日常なのだ。


 ───── でも、わたしは、ここから帰らねばならない。

 生まれ持った運でこの地で育った人がいることを思うと、何故、自分は東の都の近隣なんぞに生まれ育ったのだろうか、と考えてもいたしかたない疑問しか湧いてこない。


 気づけば、川を眺めながら、どうやったらこの街に住めるのだろうかと思っていた。
 といっても、具体的な方法を模索していたのではなく、本当にただただ思っていた。
 気に入ったからと、自分からこの街へ移住した人も大勢いる。
 もっと若ければ、貯金をしてそれを元手に勢いで引っ越してしまうのもありだろう。
 けれど、そんな冒険は、今のわたしにはちょっと無理がある。


 本当は。
 ……… 鴨川をのんびり眺めながら、何かその場で文字を打ちたい。
 その文字で食べて行ければ一番シアワセだと思う。


 京都に住むということが、わたしにとっては夢のまた夢の一方で、生まれながらいとも簡単に叶えてしまってる人達がたくさんいる。
 そして、文字を書くことのキャリアをとうの昔からしっかり積み上げている、きっとわたしと歳の変わらぬ人達もたくさんいる。

 この街に生まれ落ちなかったこと、好きな道を選べなかったこと。
 それらが、まるで濃い鼠色の雨雲のように、わたしにどんよりとのしかかる。
 今は素晴らしく晴れやかな空の下にいるというのに。

 最近じゃチャットGPTの話題で持ちきりで、自力で文字を生み出す価値がますますほど遠くなったような、むしろ、さらに激戦になったような。
 とにかく、文字しか書けないくせに、今から文字書きになろうというのが急に無謀に思えた。
 もっともっと若い頃、それこそ、こんな風の時代の世の中になる前の、わたしが24とか25の頃から文字に携わる仕事に懸命にしていたら状況は絶対違ったはず……なんてつぶやいたところで、ただの夢想で強がりにすらならない。


 恋焦がれて、身寄りもないこの土地で老後を過ごす、それが本当にシアワセなのかと臆病心が説明をする。

 じゃあ、死ぬ時にこのままで本当に後悔しないのか?後悔しないように生きる、が自分のモットーではないのか?と、本当の自分の心が反論をする。


 どうするのだろう。
 どうしたいのだろう。

 あきらめるのだろうか。
 本当に、それでいいのだろうか。

 ───── 叶えたければ、手段を探せ。
 何かを実現するために、わたしはいつだって、やれることはしてきたはずなのだから。




 その後、次の用事の場所へと向かう途中のこと。
 何となく歩いていたのに、偶然にも、以前の職場と関係のある職場が入った建物に出会った。
 この中にいる人達とオンラインで繋がって会話をする仕事が、以前のわたしの日常に存在していた。


 もしかしたら…… 、
 この職場で雇ってもらえたりしないだろうか?

 大きな声では言えないけれど、わたしには実はある資格がある。
 それは、特定の職場でないとまったく使い物にならないもの。
 しかし、履歴書には立派に書ける資格で、コレがあるから間違いなく付ける職業があるのだ。
 本当のところ、わたしはソレが嫌いだから、離職して現在に至っている。
 が、同じ仕事を、ここで、京都でまたやれと言われたら、やれるだろうか?

 ……… やれる気がした。
 苦痛でも、この古都に住める手段になるなら、ってもいい。
 稼げる文字書きになってからお金を貯めて移住するより、断然手っ取り早いかもしれない。
 その資格でその職場に即採用してもらえるほど、世の中甘くはないだろう。けれど、調べる価値はものすごくある気がした。

 ほんとうのシアワセな姿、まったくその通りにすることは難しくても、形を変えた叶え方もきっとある。
 可能性はゼロなんて、まだどこにも書いていない。

 『 無理だと決めつけるな 』
 『 描いたとおりの未来になるよう、人の脳は行動するようにできている。
それが引き寄せの法則の鉄則だ。』
と、誰かが言っていた。


 なら、後は描くだけだ。

 本当になりたい姿を、手にしたい日常を。

 その日が来るまで、経済力をどうにかしつつ、自由に備えて今の目の前のものとまずは向き合うのだ。

 それがきっと、今のわたしの積むべき徳で、そのための力添えとご縁が、京都にはきっとあるはずだ。


 そう思ったら、今住む街へとりあえず帰ろうと思った。
 未来の京都で安らぐ自分になるために、まずは、今いる場所へ帰ろう。
 そして、京都で暮らしてるんだな…と空を見上げるわたしになるための準備をしよう。
 



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