ハンサムなママのハンサムな行動
本日、土用の二の丑の日である。
丑の日といえばうなぎ。だから今日は、うなぎを食べてたハンサムなママさんのことを書こう。
あの紫式部の石山寺付近のお店でのこと。
赤ちゃん連れの三人家族が、隣で遅めのランチをしてた。
今の時代に子育てする人、子育てを終えて一段落の人。
そんな方々を無条件で応援している。
尊敬もする。
特に、女性は。
わたしがこれからどうやって生きようか、子育て中の人の力になれないかな、と思案することもある。
そんなことを言いながら、元来は子供が苦手。保育園で働くのはちょっとしんどい。
『出産はもはや国家プロジェクト』
誰かがそんな表現をして、心の底から感銘を受けた。
政府の本音は産んで欲しくて、それはしごく当然のこと。
少子化がこの国をどれほど蝕んでるか、もう目も当てられない状況だから。
その一方で昭和と違い、平成、令和の子育ては孤独で負担で閉塞的。
産む、産まないの選択肢も確立している。もはやそれを否定することが否定される。
だから、特に都市部の若い人は産まなくなった。
そんな今の時代でも、事情がどうあれ産んで育てるこのママさんには、ゆっくりご飯を食べてほしい。
勝手ながら隣のテーブルでそう願った。
かわいい系よりかっこいい美人系。
ハンサムなママ、という表現がよく似合う。
赤ちゃんが声をあげてぐずりだした。
どこの店でもよくある光景。
店内はほとんどお客さんがいない。
年配のご夫婦がわたしの反対側で、目を細めて赤ちゃんに声かけをする。
パパが赤ちゃんを抱き上げあやす。
おいしい~!とママが声をあげて楽しそうにうなぎを頬張る。
ああ、おいしいのね、よかったよかった。
豪華にうなぎにしたんだね、せっかくの外食だものね。
食べて食べて。わたしが作ったんじゃないけど。
ママだって、おいしいものをゆっくり食べたいよね。
赤ちゃんが声をあげても、誰もここで困っちゃいない。
気を遣っちゃうんだろうけど、気を遣わなくていいのよ。
ママだから我慢したり、大変なことがたくさんあるだろうけど、ママだから我慢するのが当然なわけじゃない。
ママだって好きなことをたくさんしていたいはず、できないのがむしろおかしい。
心の中はおばちゃん全開。
そんな言葉を無言でかけつつ、わたしはわたしのご飯を楽しむ。
ぐずり続ける息子くん。
落ち着かないのか、ママは結局猛スピードでうなぎを食べ終えた。
わたしはお釜に底に残ったしじみ飯に取りかかった。
一杯目は香りを、二杯目にしっかり蒸らした味を、最後にお焦げを愉しむ。
それがこちらのお店のしじみ飯の味わい方。
無心でお焦げをこそげていると、
「お騒がせしました」
と声がした。
ママが店員さんにご挨拶したんだ。
そう思って顔を上げたら、ママがきりっとした顔立ちを微笑ませて、わたしを見ていた。
わたしに向けた言葉だった。
「いえいえ、全然。お気になさらず」
そう答えたわたしに、ハンサムなママはもう一度頭を下げる。
それからお店を出ていった。
──── なんと、ご丁寧な方なのか。
礼儀正しく気持ちのよいママさんだ。
こちらとしては、謝らなくていいことである。
『でも、うるさかったですよね!ごめんなさい!』と聞こえる、きっぱりした口調。
潔くて、なんだか惚れ惚れしてしまった。
それにしても、どうしてわざわざ謝ってくれたのだろう。
もしかして、と推測がまとわりつく。
こちらに否があったのかも、とHSPゆえ余計気になる。
わたしは、不機嫌だったり疲れてると見られがちな顔立ちだ。
何でもないのに、「どうしたの?疲れてるよね」と言われたりする。
そんなつもりはないけれど、ひとりでご飯を食べてたわたしは、ママからすれば不機嫌そうに見えたのかも。
そんなことなかったのにな。
反省。
ひとりでいても、もっと笑顔を心がけないと。
ハンサムな顔立ちとは程遠くても、
かっこいいわたしでいたいのよね。
そして、
今夜はうなぎにしましょうか。
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