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映画館のせいで、映画を好きになりきれない(あるいは大手シネコンへのご提案)

梗概(この長い文章の要点)

 この文章で述べている内容は以下の6点にまとめられる。興味を持っていただけたら本文もぜひ読んでほしい。

  • 映画とはその音を含めたコンテンツであるはず。

  • にもかからず、映画館は、飲食による映画の音の妨害が許される環境であることがほとんどだ。

  • 様々な反論はあるだろうが、こういった状況のせいで、私は映画を好きになりきれずにいる。

  • 映画館には、「飲食禁止の回」設けてもらえないだろうか(+1500円とかでもいいから)。

  • もし飲食禁止の映画館などがあれば教えてほしい。

  • 少しでも共感してくれる人は、ぜひこの記事を広めてほしい。

 



はじめに(ある日)

 郊外、というにしても少し遠い街の小さな映画館へ、あまり有名ではない映画を観るために1時間半かけて足を運んだ。土曜日だった。
 その2日前、ネットで1800円のチケット代を支払い、いつも通り一番後ろの席をとる。その時点で左右は空席だった。

 当日、上映5分前に入場して待つ。ミニシアターということもあってか、予告映像も何もまだ流されていなかった。
 右席は空席のままだったが、通路を挟んだ左の席を見ると、夫婦かカップルか、髪のボサボサな中年の男女が座っていた。男がチップスターのサワークリーム味、女がポテロングをボリボリボリボリボリ音を立てて食べていた。
 悪い予感。しかしミニシアターということもあり、食事の売店はなく、飲食持ち込み可の劇場だったのでルール違反なわけではない。

 スタッフが後方から注意喚起をする。「まもなく『○○○○』の上映を開始いたします。他のお客様のご迷惑になりますので、携帯・スマートフォンの電源はお切りください」。スタッフが出ていく。……。
 非常口をのぞいて場内の照明が落ち、「ブー」と古き良きブザーがなり、予告映像の上映が始まる。左からボリボリボリボリボリボリ。……。
 予告映像も終わり、スクリーン上でも上映中の注意喚起が行われる。可愛らしいアニメのキャラクターと映画泥棒が以下の点を控えるよう注意を促す。
①映画の録音、撮影、②上映中の会話、③携帯・スマートフォンの着信・通知、④携帯・スマートフォンのディスプレイの光、⑤前の座席を蹴る
 以上。……。ボリボリボリボリボリボリボリボリ……。祈る私。

 本編上映開始ボリボリ。数分経過ボリボリ。ボリボリゴクゴク、コンビニ袋ガサガサ……。入場からずっと気になっていたが、ついに堪えきれず私は隣へ声をかけてしまう。
「すみません。うるさいんでやめてもらってもいいですか」
「は? 食べちゃダメなの? 禁止されてるの?」
 
そう応えた少しカタコトの中年女性はシアターから出ていく。

 ……マジかあ。このタイプか。鼓動が速まる。私は度胸がある方ではない。あーめんどくさいタイプの人間確定。関わりたくない。強がってみるが怖い。連れの男はこちらに一瞥もくれることなく無言。チップスターは手に持ったまま。ハァ。めんどくさ。休日だからか?こんな映画を愛していなさそうなバカがやってくるのは。もういいや。どの道どんな映画であってももう楽しくは観られない。

 鞄を手にし、私も劇場を出る。案の定、おそらく映画好きなのであろう長身細身でメガネをかけた大学生と思しきスタッフを捕まえて、女は何やら主張している。それは予想通りの"ショット"であり、会話内容も想像がつく。
「こっちが帰るんでもういいですよ。大丈夫です」
 そうスタッフに声をかけ、出口へ向かう。小太りの女はこちらを睨みながらスクリーンへ戻っていく。「どうされましたか」と声をかけてくれたスタッフへ経緯を説明して、「まあ私が神経質なだけなので。ご迷惑をおかけしました」と伝え映画館を出た。

 私はしばらく映画館へ行くことはないだろう。何度も繰り返してきたことだ。こういう出来事がそこそこの確率で発生するせいで、私は映画を好きになりきれずにいる。

本題:映画館での音と飲食について

 上記エピソードにおいて、私は自分の正しさだけを主張するつもりはないことを最初に断っておく。
 むしろ「正しい行為=不正ではない行為=規則が禁止していない行為」と規定するのであれば、正しくないのは私だ。冷静になったいま、私の行為は行き過ぎだったと反省もしている。
 また、明文化されたルールさえ守っていればその他は自由だと考える先方と、明文化されていなくとも守るべきマナーや不文律はあるはずだという私の考えの違いでもあるだろう。
 お気づきになられているかわからないが、映画館側は、男女のボリボリを禁止する文言など一切発していなかったわけだし。

 上記のような「正しさ」に関する問題にはこれ以上立ち入らない。前置きが長くなり申し訳ない。
 私が今回言いたいのは、「こういう出来事・人間と、ある程度の確率で遭遇するせいで、あるいはその遭遇を許す映画館という環境のせいで、私は映画を好きになりきれない」ということです。


前提と主張:映画は映像だけをいうか

 たとえばの話。あなたが映画館に足を運び上映が開始される。すると美しい映像は流れているものの、一向に音が聞こえない。BGMはもちろん、役者のセリフも聞こえない。そのまま上映は終了する。
 この状況でクレームを言わず、返金を求めない人間がいるだろうか。あえて極端なたとえ話だが、私が言いたいのはそういうことだ。

 つまり、そもそも映画はその音が取り去られてしまっては成り立たないという前提は、万人に納得していただけると思う。
(※無声映画や聴覚障害を持つ方の映画の楽しみ方を反論として持ち出すことは、重箱の隅をつつくことでですらない難癖なのでやめてほしい)

 そして、この前提を了解していただい上で、映画とは音を含めて1つのコンテンツなのに、その「音」への阻害妨害が許される環境、あるいは低くない確率でそういった阻害妨害に遭遇する環境がスタンダードとして存続していること、に疑問を投げかけたい


反論:商業としての映画 あるいは文化的背景・映画"館"の歴史

 ただ、こういった主張をすると、まず第一に以下のような反駁がある。
「映画館にとっては飲食物の売上も大切だ」、もっと極端なもので言えば「飲食(と飲食物の販売)を禁止にしたら映画館は潰れる」というもの。

 後者に関しては本当にそうなのか疑問符がないわけではないが、いずれにしてもごもっともな意見だと私も思う。
 特異な例をのぞいて、映画館とは「映画という崇高な芸術作品を守るための慈善団体」ではなく「映画というコンテンツを収益の手段として利用する営利企業」であることがほとんどだからだ。

 劇場で食べるポップコーンが文化の一部となっしまった以上、また映画館での飲食物の販売がそこそこの利益をあげている以上、今後映画館が飲食を禁止することはないだろう。それは資本主義経済において当然すぎるほど当然のことだ。

 また、別の視点で、「そもそも映画とは静かに観るものではなかった」という反論もありうるかもしれない(詳しく調べたわけではないのでテキトーな言い方になるのをお許しいただきたい)。

 テレビがまだなかった時代の映画館に、市民への映像でのニュース報道の役目(プロパガンダの役割も)があったこと。
 他の芸術を例にとれば、現在私たちが神妙に姿勢を正して聴いているバッハやモーツァルトの音楽も、かつては宮廷で開かれるパーティーの賑やかしや、皇帝への献上物であったこと。

 このような歴史を考えると、映画に関しても「映画だけに集中して静かに観る」という姿勢の正当性を主張する方が、歴史的には異常なのかもしれない
 現在の映画好きが襟を正して視聴する小津安二郎も当時は家族で足を運ぶただの娯楽映画であったこと考えればこの可能性も高そうだ。

 だから、私は別に「映画館は全館飲食禁止にすべきだ! それが映画にとって正しいことだ! ムキー!」と言いたいのではないことをご承知おきいただきたい。


再度主張:でもさ……音にも金を払っているのに……

 そういった反論も承知の上で、最初の話に戻る。
 私は映画をちゃんと観たい。そのためには映画の一部である音を飲食によって阻害されたくない。
 
全面的に正しくはないとしても、そう主張することは、わがままなことだろうか(私が神経質なのは括弧に入れて考えてほしい)。

 しかしいまの映画館は、飲食による音の阻害妨害に関して、それを禁止していないし、禁止する理由もない。
 だから私はある程度の確率で「客ガチャ」に失敗し、音を含めた映画を邪魔され、しばらく映画館へ足を運ばなくなる。そのため、映画を好きになりきれていない。
「また前みたいなことがあってお金無駄にするの嫌だな、やめとこ」となってしまう。

 再びたとえばの話。
 外食をして、メインディッシュの料理がきた。上質な肉に、その味を引き立たせる工夫極めたソースがかかっている。
 すると、隣の席の客が手を伸ばし、そのソースに胡椒や七味をかけてきた!

 これも極端なたとえ話だが、程度の差こそあれ、飲食の音によって映画の音を邪魔されることに、これと本質的な違いがあるだろうか。
 私は音にも金を払って、ついでに交通費も払い、劇場にいる。

 いまの映画館は、たまに現れる他人の料理の味を変える客を排除してくれない。トホホ……、という話。
 ドルビーなんとかなど、音響設備にこだわった映画館も増えてきている中、これは奇妙な話だと、みなさまは少しも思わないのでしょうか。

映画館へのご提案

 自分で言うことではないけれど、私は世間の平均と比べば映画を「ちゃんと」観ている方だと思う。

 無論、映画館からすればボリボリとモノを食いながら見る人間と、「ちゃんと」映画を観ている人間は、「客」という点で何ら変わりないのはわかっている。
 むしろ映画館で売っているものを買ってくれるそういった人の方が「いい客」なのだろう。

 ただ、傲岸不遜で尊大な態度であることを承知で言わせて貰えば、「真剣に映画を観よう」という人間を、飲食で騒音を撒き散らす人間のせいで失うことは、映画という文化の存続を長期的な視点で考えたときに、ちょっとした損失ではないかと思う

 映画館が慈善事業ではないことは理解している。
 繰り返しておくが、全館飲食禁止にすべきだというつもりは毛頭ない。

 しかし、仮に以下の提案のようなシステムが取り入れられると、私のような人間が安心して映画が観られるのに、というちょっとした希望を述べさせていただくぐらいはお許しいただきたい。
 ただ、こういった提案がもし通るとすれば資金的に余裕のある大手シネコンのみとなるかもしれないが。

飲食禁止回の設置

 土日のどこか1回、あるいは金曜夜の回などに飲食禁止の上映回を設けてはいただけないだろうか
 私としては、それで「ちゃんと観られる」安心が買えるのであればプラス1500円のチケット代だとしても迷いなくその回を予約する

 映画を"好きになりきれない"私でもそれくらい思うのだから、需要はある程度ある気がするのだが、いかがだろうか。
 素人考えなのは重々承知の上で、それでも試す価値は0ではないと思う。

その他些細な提案

  • 飲食物の持ち込み禁止の徹底

    • 特に、音と匂いの強い食べ物や開けるたび「プシュッ」と鳴るペットボトルの炭酸飲料などを持ち込んでいる人間は、あまりにもではないですか! と言いたくなる。

    • 飲食物の販売をしていないのに持ち込み可にしている映画館は、正直よほどのことがない限り避けるのが得策。

  • 飲食による音に関しての事前注意喚起

    • 「禁止」は不可能でも、迷惑になるような音は出さないように上映前の映像などで注意喚起をしてほしい。

  • 音による迷惑な客が近くにいた場合、別の回に振り替えてほしい

おわりに


 最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

 もしこれをお読みいただいた方の中で、共感してくれる方や、映画関係者の方がいらっしゃれば、この記事を広めていただけるととても嬉しいです。

 また、飲食禁止としているシアターや、映画を阻害する音に関して厳重に注意を払っている映画館をご存知であれば、ぜひコメントなどで教えていただけると嬉しい。
 そういった映画館をまずは応援していくことから始めたい。

 同じような考えの人は、ある程度はいると信じているので、私が映画館を選ぶ際に、どう最大限リスクを排除しているか、別の記事でまた紹介したい。そちらもぜひお読みください。

 ところで、私のような神経過敏気味の「映画好き」たちが、このような環境をどう戦い抜いているのか知りたいと思う。私がクレーマー気質なだけなのだろうか。穏やかさ、寛容さが足りないのだろうか。

 最後に、今回の記事の中には出てこないような別の視点からの反論や、映画館事情に詳しい方のご指摘などあればぜひうかがいたい。コメントをお待ちしています。


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