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ぶつからないと価値観や本音は分からない

ひなたの道を歩かなくちゃ、なんだか人生もったいない

原田マハさんの書籍「独立記念日/インディペンデンス・デイ」の中に登場する言葉です。今日、この一文に出会った私は、この言葉を自分の指針にしようと決めました。「あ、凄く素敵な言葉に触れられたな」と嬉しさで心臓がギュッとしました。生活していると、その局面各々で言葉を強く意識するタイミングが訪れます。


人間関係において「価値観」に悩まされることが度々ありますが、価値観が異なるのは当たり前なのに、その壁を越えられないことが多いと思います。片方が受け入れてられても、もう片方が受け入れられないような関係なら、もうそれは仕方がないことではないでしょうか。その不一致が価値観なので。私はその境を探るときに一つ大切にしていることがあります。

それは同じ言葉にときめくことができるか、です。言葉というと少し大袈裟かもしれない。同じ本・映像・歌詞・誰かの言葉にときめくことができるか、がピッタリかもしないです。もちろん違った意見を反対するわけではなくて、ただ、全部じゃなくていいから、本当に重要な瞬間に涙を流せて笑い合える瞬間があること。これって重要だと思います。


例えば映画を見て号泣する私に「何がそんなに泣けたの?感動する場面じゃなくない?」と言われた帰り道、1人家に帰ってみると切なくなりました。

例えば美しい空間に足を踏み入れて感動したくて「水族館に行きたい」と言った私に、「水族館行くと美味しそうって思っちゃうんだよね」という斜めすぎる答えが返ってきたときに、「この人とは合わないだろうな」と。

例えば私が歌詞が好きでよく聞く歌手を「デジタルタトゥーの人」と悪びれもなく言われたときの心のザワツキ。

そんな小さな会話から何かが噛み合わない、違和感をおぼえます。相手の良いところをたくさん知っている、尊敬している、でも自分の大切な部分を力の加減なく強く握られてしまったようなそんな感覚を見て見ぬ振りしようとしても、ふとしたときに思い出してしまう。好きや感動を帳消しにしてしまうようなことを言われてしまった時、私は「価値観が合わない」と判断します。そしてそれはきっと私も相手に無意識でしているはずとということを理解して。その上で、「今、それ言われたのあんまり良い気持ちしない」と伝えます。

どうにかしてこの人と離れないようにしたい、と思うことはありました。相手のことを本当に嘘なく受け入れることができるのであれば、隣にいることは正解かもしれません。でも少しでも違和感を感じながら、少しずつ自分が傷ついていることに気がついているのならば話し合いをして、手を離すこともまた正解かもしれません。それは自分のためでもあり相手のためでもあります。正直にその人と向き合えないことは、自分も相手も苦しいことだということが最近の私の学びです。


私は相手と喧嘩をしてでも向き合うこと・話し合うことは必要だと考えています。喧嘩をしたくない・怒られたくない、という人の考えを理解しようとしました。ぶつからず気を使って楽しさだけを求めるのは、一体本当にお互いのためなのかと何度も考えました。「言い方や態度」を改めて見直し、反省もしました。一度もぶつかることなく穏やかに過ごすことができるのならばそれは理想です。でも喧嘩をしてでもお互いを曝け出すことも不要にはどうしても思えないのです。そもそも「怒りたくない」の気持ちも少しは理解されるべき点なはずです。どちらか片方が悪いなんてことはあり得ないのだから。

喧嘩をした上で、お互い必死になってでも意見を伝えた上で、その先どうするかを考えたい。その人が持つ「価値観」ってなんなのかを分かりあいたい。そのまず最初のワンアクションから逃げてしまうのならば、やっぱり価値観が合わないという結論なんだろうな、と。

ぶつかることを悉く避け仲良くしたい。私はそれを望みません。


「ひなたの道を歩かなくちゃ、なんだか人生もったいない」

この言葉を否定しないでくれる人を大切にしたいです。


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