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人間関係は選択自由だと思った

そう、約3年半ぶりに実家生活に戻った。アパートの中を片付けてみると、乗用車2回でほぼ全てを出せてしまうほど実際荷物は少なかった。初めての親元を離れての暮らしは快適でもあり、それでも今振り返ると圧倒的に辛さの方が優っていたと思う。友達がすぐそばにいるわけでもなく、だからって両親に電話をしてしまえば必要以上に心配かけてしまうと分かっていたから一人で我慢をし続けてきた。

でもいつの間にか「戻りたい」が勝ち、今まであったこと、自分の考え・理由を話したら笑って「帰っておいで」と言ってくれた母と、「ここはしいなの家なんだから」と言ってくれた父。それを聞いて私は号泣し、実家へ戻ることにしたのだ。情けない、恥ずかしい。いろんな気持ちがあったけど、それでも感謝が一番大きくて、両親をこれまで以上に大切に考えたいと、強く思った。

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何があったのか、というと恋人からDVだ。DVって人によって程度や受け取り方が違うと思うけど、私はそこら辺のレーダーが敏感だったようで、幸せな瞬間も多くあったけど辛い瞬間の方が記憶に残り、いつの間にか家に帰りたくなくなっていた。とにかく気を張って酷く傷心してしまったようで「もっと上手くやる方法があったんじゃないか」とか「もう少しだけなら我慢できたんじゃないか」とか「私が悪いんじゃないか」とか考え出したらキリがないから、もうやめた。全てやめたのだ。

私は私の人生を生きている。仕事をしてコーヒー豆を挽いて、趣味を楽しんで、大切な人達と一緒に時間を過ごしていきたい。私だって一人の人間とし、人間関係を選択していいはずなのだ。もちろん結婚していて子供がいて、だったりすると私のように安直で楽観的な現実ではないのかもしれないけど、私は籍を入れていないし、子供に関しては必要以上に注意深く考えてきた一人の女だ。私は幸せに育ててあげられることが出来ないと確信していたから。だからこそ今回の選択をした。

人を傷つけることを言う人はきっとこの先も直らない。人に手をあげる人も、仮に直ったとしても、いつかまた同じことをされる日が来るんじゃないか、と怯え、怒らせないことだけを考え、正直に気持ちを伝えられない生活は既に、人として対当ではないのだ。相手の事情や心を汲み取り、実際自分自身の反省が必要なこともあったけれど、やっぱり「気持ち悪い」と言われた私の心、「死ね」と言われたあの時の傷は一生消えない。頭を叩かれた日のことなんて忘れる日はない。その傷の瘡蓋をまた剥がすようなことはもうしたくなかった。

どんなに大好きと言われても、人の人生のために私自身の人生を犠牲にする必要はこれっぽっちもないのだ。


生まれ育った場所に戻り、子供の頃から親しんだ道を歩くと、鈴虫たちが一生懸命にその場で美しく鳴いている。私ももう一度この場所で、一生懸命に生きようと思う。


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