私のために生きているけど、私だけのためには生きていない
実は最近ようやく衣替えをした(冬服をしまった)。私のクローゼットは先週まで冬物ニットと夏の半袖が居心地悪そうに混在していたけれどようやくスッキリと整い、心なしか洋服に対して「え!?色濃くなった!?」と思ってしまうほど畳み直すと美しく生き返った。物を購入しなくなり、それはもちろん洋服も対象で、今ある物全てがスタメンになったこの1年半。1着の着用頻度も明らかに増えダメージが蓄積された洋服たちをいかにぞんざいに扱ってきたか。輝きを取り戻したその姿を見て反省する。
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環境問題を学び始めてまだ日は浅いけれど、明らかに私の中にある考え方の変化を感じている。購入の際は長期利用が可能か・原材料は何なのかをよく吟味するようになり、洗い物をする時にはどうすれば水量を減らせるのかを考えシンクへのお皿の積み方を変えた。職場でバチバチにホチキスを留めることはもうしていない。
そうした変化にふと、自分自身が気がついた瞬間、なぜか少しだけ自尊心が保たれる感覚がある。”私は私のために生きているけど、私は私だけのためには生きていない”。その言葉が理解できるようになった。両親の子供である私は誰の親でもない。だから「将来の地球のため・将来の子供達のため」と言われても実感がなく、どこか自分が介入する意味はなく、他人事のように思ってきたけれど今はそうじゃない。
親でなくてもその問題に遠慮することなく、恥じることなく参加していいし、参加することで顔も知らない誰かに何かしらの影響を与えてしまうという、強い責任感を抱き始めたのだ。自分だけのためと思って生きてきたことが、知らず知らずのうちに誰かのために、良い方向の餌になっていたい。まだまだ勉強中、知識は初心者レベルだけど、私は私にできる小さなことを積み重ねて増やして、みんなの子供の将来ために力になりたいと思えるようになったことが、まず勉強の成果なのかもしれない。
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