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料理と思考の繋がり

楽しい土日を過ごした次の日の月曜日はどうしたって体が重い。「休日にリフレッシュを」とよく唱われるけど、リフレッシュが一周回りダルくなるのはみんな共通だろう。とにかく週初めの通勤電車内は、頭の上にモヤモヤとした吹き出しが見えてしまいそうなほど疲れきっている人が多く、勿論私も漏れることなくその一人。

だから気持ちが上がるような対策として朝の電車で外を眺めながら私がしていることは、音楽を聴くことよりも、SNSをチェックすることは後回しにして、夜ご飯の献立をどうするかを考える。


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料理を作る時間は大好きだ。一年の内旅行にいっていない日は必ず自炊をしている。

まずメニューをある程度決め食材を冷蔵庫から出したら、あとは勝手に手が動いてくれる。不思議なことに、私の頭の中では料理とは違うことを思い浮かべているのに、意識とは別のところで工程はきちんと進んでいく。それはまるで上から糸を垂らされて操られている様にも思うけれど、確実に心が二箇所に分裂してそれぞれで意思を持ち生きているのだ。

料理中はやたらと悩みが解消されることが多い。いや解決というよりも、すごく冷静に物事を捉えられる貴重な時間だ。出来上がっていく料理を見て良い匂いを目一杯吸い込むと悩みが大したことがないと気がつくことが多い。一方向から全力で考えるよりも、時として力が抜けた状態且つ半分の気力で考えた方がスッと納得いく答えに辿り着けるように思える。

だから悩んだらお酒を飲むことに手を出すのではなくて、もしかしたらお酒にあうおつまみをまず作ってみる方が意外と心が楽になる最善なのかもしれない。愚痴り酒よりも、楽になった心で楽しく飲むお酒の方が美味しいに決まっているのだから。


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今日はメニューの一品として、冷蔵庫に大量にある長ナスを輪切りにし、とき卵+パン粉+粉チーズをまぶし少量の油で揚げた。タルタルソースをかけても美味しいし、甘辛のタレを作っても、さっぱりと味ぽんだけで食べるも良し。同じメニューでも見方を変えれば別物として楽しむことができる料理でこれもまた、一方向だけじゃなく違った見方をして得られる物であり楽しみ方だ。私はきっと料理と思考ってどこか通じる部分が必ずあると思っている。そしてそのことからいつも、偏見で物事を捉えていては勿体ないなと思い知るのだ。

片側から見て判断するのは勿体ない

それは事象に限らず対人間も同じことではないだろうか。

だからこそ面白い。人の思考も、料理も。どちらも大切にして生きていきたい。

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