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金メダルを掛ける姿に何度でも拍手と涙を

この二日間、気持ちがいつまでも夢のようにふわふわとし、継続したいと思ってきたことなのにnoteを開くことが出来ずそこから離れたのは意図的だった。理由はただ一つ「侍ジャパンの金メダル」だ。家族でなく親戚でもなく、友人でもない侍ジャパンを、こんなにも号泣しながら決勝を見届けた人間は、日本中探してもそうそうに居ないと思う。しかも録画を何度も何度も見て、その度に何度も何度も泣く人間なんて。

様々な感情を抱き、たった数時間の試合中そして試合後に私の頭はぐちゃぐちゃになり、そんなことを繰り返しているうちに昨日閉会式を迎えた。下手に発言してしまえば、興奮のまま誰を傷つける発言をしてしまうそうで、それだけは嫌だったし、三連休ということもあり緩んだ脳では正常な判断が出来る自信がなく初めてnoteを開かない日を作ってしまったけど、この判断は正解だったと思っている。


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2日経ち、あんなに泣いた理由は何だったのか振り返りながら、貰った心の栄養をもとに自分には何が出来るのか考えれば、考えた分沼にハマってしまって、大変大変。でもオリンピックでの侍ジャパンを見て改めて思ったことは、その存在のありがたさだった。日頃から私の心理的な柱は「人」ではない。自分の趣味嗜好でバランスを保ってきて、その中心にはプロ野球にあり、それはきっと生涯大きく変わることではないだろうと思っている。予想せず子供を産むことがない限り、大切な存在はそうそうできないはずだから。

それは時として奇妙な目で見られ攻撃対象になり、更に私の無性愛であるセクシャルと重なれば更に狙われ居場所を剥ぎ取られる。そんなことを幾度となく繰り返して生きてきたけれど、それでもこの心理的柱から私は離れることができなかった。

だってそれは憧れであり意地、願望であり切望、僻みなのに喜びでもあって、とにかく私の中のありとあらゆる感情が働く唯一の対象だからなんだと思う。ノーマルな幸せではない私を周囲はいまだに可哀想と言う。変わっているとも言い無神経にも「結婚しないの?」なんて聞いてくるけど、それを気にするステージをようやく抜けられた気がした。様々な意見が飛び交ったオリンピック。それでも選手達は与えられたチャンスを確実に乗り越え、自分たちの金メダルへの道を自分たちで切り開いた。

その姿を見ていれば、例えオリンピックのように金メダルがもらえなくても、プロ野球ペナントレースのように優勝のビールかけが実在しなくても。自分の目指す場所・姿を描き続けそれに伴う行動をしていればいつか近づけるんじゃないかと、希望を持たせてくれるその存在は、いつだって大きく背中を押してくれた。あと一歩、あと一瞬。「あと」という言葉に期待する事は嫌いだったけど、それでも「いつか」私は私が望む私になれるような気がする。周囲のリアクションや反応を気にすることよりも、目標をブレさせず挑むことは間違いなく格好良いのだ。


たくさんのエネルギーを貰いすぎた東京2020オリンピック。

侍ジャパンを応援していて本当に良かった。侍ジャパンを心から応援できたから、また前を向いて自分を信じることができそうだ。いつだって勇気をくれる本当に感謝ばかりの存在。私も彼らのように目標を成し遂げられる格好良い人間になりたい。やっぱり野球って最高だな。


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