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身包み剥がされた時残る個性

美容室の予約をした。私の美容室に行く頻度は3ヶ月に一回。4ヶ月に一回の時もある。2年前までは2ヶ月に一回。


それは旅行のペースに合わせて予約していたからだ。今安易に足を運べなくなってからは伸びっぱなしの期間が続いていた。

ただ、6/4・5・6の東京ドーム開催「読売巨人軍vs北海道日本ハムファイターズ」の交流戦を観戦しに行くにあたりホテルの予約もした。確かに都内でなんなら定期券内だけど、プチ旅行をすると決めたのだ。多分、自室と東京ドームの往復になるけれどそれでも立派な旅行として、私は美容室を再来週の木曜日に予約したという経緯。


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染めてなくて真っ黒な黒髪。誉めてもらえることが多くて嬉しくて染めてない。憧れる人が黒髪で真似している。あとは正直に言うと、旅行や趣味にお金をかけるのは大好きだけど、美容室に頻繁に投資したくないという理由が強いから黒髪のままだったりする。白髪が出てきたらそのとき初めて染めることになりそうだ。

不思議なことに前髪だけ直毛で後ろ髪は癖っ毛。だから湿気のある今の時期はかなり朝手こずっているのだけれど、ボブだった髪型はここ一年でミディアムになった。そんな私は学生の時の友人に会うと「雰囲気が全く変わらない」と言われるのだけれども、それは褒められているの?それとも貶されているの?と疑問に思ってしまうけれど、心は大きく変化しているのだ。


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人は見た目が重要だ。これは揺るぎない事実で好かれるのは整っている人たちばかりだ。チヤホヤされるのも美人やイケメンだし、外見で職業を狭められてしまうこともある。少し自信のある人は、都内であれば表参道をスカウトされるかもしれないと期待して歩くこともあるのだろう。流行や綺麗なもので身を包みさらに加工をしてSNSに投稿するのだろう。


何が真実なんだろう。


私はよくそう思う。人と会ってキラキラの笑顔を向けられ、持ち物全てがパーフェクトで隙がないと逆に疑ってしまう。「この人は外見重視をする人なのではないだろうか」と。だって、普段から視線を気にしない生活をしていればどこかしら抜けていてもいいはずだ。例えばメイクが完璧でも靴が汚れてるとか、ネイルが綺麗でもスマホが傷だらけ、とか。そういう人間らしさが1ミリも感じなく完璧だと、計算のような気がしてしまうのはきっと私だけではないはずだ。

家の中ではダラダラしてて欲しいし、なんならスルメとか食べてくれてると親近感が湧くのに。どうしてそう言う姿を隠してしまうのだろう。


個性個性を重視しているのだとしたら、身包み全部剥がされた時、何を個性と言うのだろうか。それはやはりその人の知見や性格なのではないだろうか。そんな状況は起きることはないけれど、私は本性を見てその人と仲良くなっていきたい。流行じゃなくていい、綺麗に完璧でなくていい。ただその人の良さが会話から・態度からにじみ出ていれば私はそれがいちばんの美しさだと考える。


黒髪を珍しがる同世代はどこか私を幼いと思っていることに気がついている。でも、その心に触れて私は大切な人を作っていき、大事にする事が出来るのだ。



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