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大人になってから調べた「ベルマーク」

小学生の時、一人一人学校から茶封筒が配られベルマークの回収をしていた。その茶封筒を冷蔵庫に貼り、ペットボトルのラベルやお菓子の箱についたベルマークを大きなキッチンバサミで切り取り集め、誇らし気に持って行った覚えがある。何のために使われているか、ということは大きく考えていなくて、先生は「集まった点数が車椅子に変わるんだよ」なんて言っていたけど私達子供の目的は、友達よりも合計得点を多く集めることの方が大切だったから、茶封筒の回収日には机の上で各々が点数を数え報告し合い競い合っていた。


今日、配られた飲み物を飲んでいた時、ふと目にした3点分のベルマークは小学生の時と同じ姿をしていて懐かしくなった。子供が一つの楽しみとして一生懸命に集めていたものが、当時果たして何に変わったのか今でも分からない。先生の言った通りどこかで車椅子になったのだろうか。何千枚集めても軽いペラペラのマーク達は誰かの役に立つ形あるものに変われたのだろうか。考え出したら知りたくなる。

だから調べてみた。

具体的に「車椅子」という字は見つからなかったけど、どうやら教育援助活動に使われているらしい。きっと当時も同じように使用方法だったんじゃないだろうか。そして主には学校主体の団体活動のもの。「じゃあ、今私の手元にあるベルマークは使われることはないのか」とガッカリしながら読み進めていくと個人でもベルマーク運動に参加する方法があるとのこと。

それは「参加学校に送る・財団に直接送る・公共の回収BOXに投函する」。

スーパーの荷詰台のところにたまにちょこんと置いてある赤のBOX。その状況が頭に思い浮かんだ。1点=1円。こんな小さな数字でと正直思うことはある。でもこの1点が集まり10点に、100点に、1000点になり子供達の役に立つ日が来るのであれば、何でもかんでも無意味だと思いゴミ箱に捨ててしまうのは何か違うのではないか、と私の心が冷静に言った。調べて自分の正しいと思うことをしたいと強く言った。


仕事帰り、駅周辺では「ひとくち〜円の支援」「月額〜円の支援」等多くの募金活動が行われているのを目にしてきた。それでもそ勇気がなかった理由は間違いなく「お金」だった。裕福でもなんでもないただの会社員がお金を払って支援することは、その現場をこの目で見ていない限り踏み込むことは難しい。本当は何かしてあげたいのにそこだけが引っかかり、いつも下を向いて話しかけられないようにしながら通り過ぎてきた。だったら、自分ができる範囲の支援をするしかないのではないか。

募金を惜しむことなく出来てしまう優しさ溢れる人達と比較したら、私はセコくてダサいと思う。気持ちよく協力ができない自分勝手な人間なんだと思う。でもそもそも支援に比較はするものではないだろうし、自分の生活・資金・思考で可能なものを調べて選択することができる。それがインターネット社会になった今、スムーズに行える強みだろうしやると決めた今、元気にランドセルを背負う子供達の姿を想像して、ベルマークを集めてみようと思う。


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