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いつかこの趣味にも飽きてしまうのだろうか


結局のところ、働く意味の深い確信なんてまだ私には分かりきっていない。今日は締め切りとの闘いで疲労困憊の体を引きずって帰ってきた。とにかく意味を考えることよりも現実と向き合い、残業をしないことの方が優先順位が高くなってしまうのは会社員として当たり前の行動だと思う。


「幸せな時間を買うために」それは趣味のために仕事をしていると今まで胸を張ってあらゆる場所で公言してきたけれど、もしこの趣味が唐突にどうでも良くなってしまったとしたら、飽きてしまったら。私が働く意味って何に変わるのだろう。何かに変わることすらなく意味を見出せないままになってしまうのではないか。時々すごく怖くなる。何に対しての恐怖心なのかすら曖昧なのに、漠然と将来の自分の姿を想像すると怖気づく。漠然としすぎているからなのかもしれないけれど。


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最近は夢をよく見るようになった。でもそれは決まって暗い夢、しかも何度も同じような夢を見続けている。夢の中の私は10年・20年先の私で、今のまま何にも変わらず、人に縛られず自由でハッピーなはずなのに、友人先輩後輩みんながそれぞれ家庭を作り新しい居場所を大切にしている。その中一人でいることを次第に寂しく思っても術がない。そして寂しさを埋めるように趣味に没頭するけれど、そのうち全てが馬鹿馬鹿しくなってしまうのだ。決まってそんな夢。


今は今の状況を満足しているけれど、いつか現実に引き戻される出来事に仮想の世界を楽しんでいる自分を恥じてしまうかもしれない、とも思っているのは本当のこと。今は良くても「あの時ああしていたら」なんてタラレバを言って後悔する時が来るのだろうか。一人で旅行に行く時間を誰かと過ごしていたのなら、とか。野球観戦に行くのでなくご飯会に参加していたならば、とか。


一人が良いくせに置いていかれるのは嫌という面倒くさい私だけれども、こんな私を受け入れてくれる人がいれば良いな、と言いたいんじゃなくて。こんな私を受け入れなくちゃいけないのは私自身なんだろう。どれだけ褒められても自分のことが苦手で遠ざけたかった時期を昔と思っていたけれども、実は今も同じ。人に認められるより、自分を認めることの方が難しい。そしてこれからもこの不安を抱えながら生きていくしか術はないのだと思う。誰かの方に寄り掛かってみたい。



そんな状況だけれども、明日から東京ドームで日ハム・楽天戦。


いつか、飽きてしまうかもしれない趣味も、楽しいと感じるうちは素直でいたい。


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