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LOVEもLIKEも永遠ではないけれど

人に対して・こと・ものに対して「好き」は継続しないものだと思っている。24時間、365日どの時間を切り取ってもそう思えるものがあるのだとしたら、それこそ切っては切れない縁で俗に言う運命なのだろうけど、大体のことは一定期間を過ぎると「好き」よりも「離れたい」、或いは「この一面は嫌い」という様なそんな感情が生まれるのは私だけではないだろう。それが極端に現れたり指摘されると「飽きっぽい」になるのだとも思う。

以前友人とお酒を飲んだ時に彼は酔っ払いながら「結婚したいけど好きは永遠じゃないから、そこは妥協している」と言って、それを聞いて50%理解できて50%理解できなかったのを今でも覚えている。私も「好きは永遠じゃない派」だからラブラブな写真を見たりするとお節介にも10年後を想像してどこか心の中でモヤモヤが広がったり、自分の趣味にいつか飽きが来ることを極端に恐れて繋ぎ止めている。でも「妥協している」には両手を挙げて賛成できない。


「好き=永遠」ではないにしても「好き=大切」は永遠であって欲しいと思う。

熱烈な時期を乗り越えた時、確かに覚める瞬間や他を見て美しく思う事はあるだろうけど、一度でも「好き」と思った事・物・人に対して「妥協」という言葉を使うのはいかがなものか、と酔っぱらった私は彼に説教してしまいそうだった。何様だバカヤロウと言ってやりたかった。

でも私は彼のことが大事で大切で。つまり人として好きなのだ。好きな人に押し付けがましく自分の意見を押し付ける事はしたくなくて柔らかい雰囲気でそれでも主張したら、彼は「その考えもいいね」とこれまた柔らかく包み込んでくれた。


世の中うまく説明できないことばかりだ。お酒が間にあると伝えたいことの半分も伝えられないし、しかも特に今は対面で顔を合わせる機会はほとんどないし。でも、なんとなく自分の思っていることを感覚的にでいいから受け取ってくれる人、感覚的にでいいから意見を交換できる人、そして違う意見の時に考えさせてくれる人の存在は貴重だし、そういう人に出会えた時こそ「もっと素敵な大人になりたい」と思う瞬間なのかもしれない。


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