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川崎のサッカー小僧よ永遠に!中村憲剛選手引退に寄せて。

シゲクです。

去る2020年11月1日、川崎フロンターレに所属する中村憲剛選手が今シーズン限りでの「引退」を表明しました。

ついにこの時が来てしまったのかと、頭ではどんな選手でも「引退」は避けられないことがわかっていても、心ではなかなか折り合いがつけられません。

嬉しい時も、悔しい時も、いつもその後ろ姿はピッチの真ん中にありました。大きいスタジアムの遠い席からでも、その独特な動きで中村選手の姿がどこにあるのかいつもすぐに見つけることが出来ました。

今までフロンターレに所属したどの選手よりも中村選手の応援歌はスタジアムに響き渡ったと思います。

ホームスタジアムである「等々力競技場」にはいつも老若男女問わず、在籍年数の長さを現すように様々なシーズンの「14」のユニフォームやシャツを身に着けて歩いている方がどの選手より多かったことを記憶しています。



私はこれまで「川崎フロンターレ」に関わる記事を2つ書いています。

この2つの記事の中でも中村選手はピッチ上の主役でした。

2017年12月2日、川崎フロンターレは初めてのタイトルを手にしました。幼稚園から大学院の途中まで川崎市民であった私は、そのリーグ優勝の瞬間、友人と共に等々力競技場のスタンドにいました。

川崎フロンターレと私との関わりは、小学生時代にクラブの名前を募集していることを耳にしたことから始まります。その時の私は少年野球チームに所属しており、サッカーには全く関心がありませんでした。ただ、毎年フロンターレの選手たちが近くの商店街の夏祭りに来ていたことを思い出します。

サッカーの試合を本格的に見始めたのは、2002年のワールドカップからでした。修学旅行で訪れた京都で、メキシコvsイタリア戦をみんなで観戦したのを思い出します。日本中を熱狂させたワールドカップは、世界中のスーパースターによる素晴らしいプレーと共に、深く私の心にも刻まれています。

ワールドカップ後は、当時世界最強リーグと言われていたセリエAで活躍していた、「重戦車」の異名を持つヴィエリ選手のファンになりました。毎週のようにヴィエリ選手の凄まじいゴールシーンがテレビで流されていました。

川崎フロンターレの試合観戦に行くようになるのは、中学時代の友人の誘いがきっかけでした。その後、現在一緒に観戦している高校時代の友人と共に試合観戦しています。ちなみに、私が歴代で特に推している選手は、ジュニーニョ選手と大久保選手です。ゴールを決め続ける選手が好きなのかもしれません。

現在は、満員になることが多い等々力競技場ですが、私の中学生時代は学校に無料券が配られていたことを懐かしく思い出します。フロンターレドリルでは学べていない世代です。自分の成長と共に、川崎フロンターレは川崎の象徴として、強いチームになっていった印象があります。

でも、ただ一つだけ足りないものがありました。それは、「優勝」です。いつの間にか「準優勝」が積み重なっていました。

話を2017年12月2日に戻します。この日、友人と2人で、20歳で亡くなった友人のお墓参りをしてから等々力競技場へ向かいました。タクシーで等々力へ向かう最中、3人の母校である高校の前を通ったことを思い出します。

等々力競技場に着いてからは、冬の太陽で照らされた選手たちの練習を見ながら、試合が始まるのを待っていました。その時のスタジアムの雰囲気は、いつも通りでした。

試合が始まると、阿部選手の先制点が鮮やかに決まります。その後もフロンターレは得点を重ね、気付けばスコアは4-0になっていました。

その頃、私は目の前の試合よりもスマホで鹿島アントラーズの試合を見始めます。スコアは0-0でした。海外サッカーでもリーグ優勝が決まる試合では、ファンがスマホで他会場の結果を気にする様子が見られると思いますが、その時は自分でその行動をしていました。

そして、その瞬間はやってきます。

先にアントラーズの試合が終わり、選手たちはピッチに倒れこんでいます。少しだけ早く、心の中で「優勝だ!優勝だ!優勝だ!」と思っていましたが、周りのサポーターや友人は目の前の試合に集中していたので、黙っているのに必死でした。

等々力でも長谷川選手のゴールが決まり、すぐ後に試合が終わります。

優勝の事実を告げられ、飛び跳ねる選手、その場に崩れ落ちる選手、飛び跳ねる子供サポーター、号泣するサポーターなど、本当に嬉しいことが起きた時のいろいろな反応を見ることができました。

すぐに始まった優勝セレモニーを観ながら、友人のテンションはおかしくなっていました。気付けば日が落ち、空にはいくつかの星が輝いていました。

その後に友人と2人で、肉を焼きながら飲んだビールの味は忘れられません。20年以上待ち望み、あれだけ産みの苦しみを味わった1つ目の星が生まれる瞬間は、もう二度と訪れません。あの感動を味わえたことに感謝しています。


2019年10月26日、埼玉スタジアム2002でルヴァンカップの決勝戦が行われました。

対戦カードは、北海道コンサドーレ札幌vs川崎フロンターレです。前日の大雨から変わり、晴れ間の見える陽気の中、5万人近い観客がスタジアムを埋めました。

フロンターレは幾度となくカップ戦の決勝に進出していますが、私はいつもテレビ観戦でした。現地でフロンターレが出場した決勝を観戦するのは今回が初めてです。とても良い雰囲気の中、駅から友人と2人でスタジアムまで移動しました。

チケットに書かれた番号の席は、ピッチからとても近く、選手たちの表情も良く見えました。これから行われる死闘を感じさせないほど、穏やかにセレモニーが行われます。

試合が始まると、コンサドーレが先制し、フロンターレを応援するスタンドには嫌な雰囲気が漂います。しかし、阿部選手のゴールで同点で前半を終えました。

後半が始まり、中村選手、小林選手が投入されます。後半終了間際、小林選手のゴールで、フロンターレがようやくリードします。しかし、ラストプレーのコーナーキックで追いつかれてしまいました。

ここから、体感的に長い長い時間が始まりました。延長前半、長谷川選手が投入されましたが、谷口選手をレッドカードで失い、フリーキックを直接決められたことで、窮地に陥りました。ここでマギーニョ選手が投入されます。しかし、延長後半に小林選手の得点で同点とし、勝負はPK戦で決着することになりました。

PK戦は、フロンターレ側のゴールで、フロンターレが先攻、コンサドーレが後攻でした。順調にPKを決めていく両チームですが、フロンターレ4人目の車屋選手がミスしてしまいます。先攻が先にミスしてしまうと、キーパーである新井選手がゴールを防がなければ負けてしまいます。

周りのサポーターにも、自分にも「またか…」という心の動きが多少なりともあったものと思います。しかし、新井選手は決められれば負けのところを、セーブします。この時、私の心臓が止まりそうになりました。

6人目のサドンデスに突入すると、長谷川選手がゴールを決めます。

そして、最後に新井選手の腕の中にボールが吸い込まれていきました。この時、すべてがスローモーションに見え、再び私は心臓が止まりそうになります。一瞬、すべての音が無くなり、その後、凄まじい歓声、涙、ため息、悲鳴、5万人近い観客とピッチの中の選手とスタッフのすべての人々の様々な感情が渦巻いていました。

ルヴァンカップのタイトルという星は、コンサドーレとフロンターレの間を激しく行ったり来たりしながら、最後は新井選手の腕の中にありました。

そして、すぐにセレモニーが始まり、小林選手がルヴァンカップを掲げます。MVPには新井選手が選ばれました。

いつかどうしても見たかった光景を、やっと見ることができました。この素晴らしい試合を生で見れたことは、とても幸せなことです。スタジアムを出るときには、いつしか夕焼け空に変わっていました。


「フロンターレは弱い」「フロンターレはタイトルは取れない」と言われていたこともありました。それでもすべて乗り越えてタイトルを手にしてJリーグでも屈指のクラブになりました。

そこにはいつも中村選手の姿がピッチ上にありました。中村選手のいないフロンターレは想像もつきません。

それでも、どんな名選手でもいつかは「引退」します。今シーズンの最後の瞬間までピッチ上の中村憲剛選手の姿を目に焼き付けたいと思います。

川崎のサッカー小僧よ永遠に。


2020年11月12日に、「川崎のサッカー小僧よ永遠に!中村憲剛選手引退に寄せて。【日本代表編】」を公開しました。こちらもお読みいただけたら幸いです。


今日は、この辺で失礼します。

中村憲剛選手引退記念特集雑誌










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