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湯ヶ島にある天城神社

死ぬまでに47都道府県を制覇したいと思っている私です。どうもこんにちは。とりあえず27まできましたが、四国はまだ未上陸です。

ちょっとした所用で湯ヶ島に立ち寄りました。
湯ヶ島は伊豆の中央に位置する小さな温泉郷。
小説「伊豆の踊子」でも「修善寺で一泊、湯ヶ島で二泊」みたいな描写があるので、古くからある由緒正しい温泉郷なのでしょう。

そんな湯ヶ島を散策していたところ、ひっそりと佇む「天城神社」という神社の前を通りかかりました。
恐らく、湯ヶ島より南にある天城峠とゆかりがあるのでしょう。
石川さゆりがこぶしをコロコロ転がして歌っていたあそこですね。

パッと見た感じとても小さな神社で、何を祀っているのかもわかりませんが、せっかくなのでお参りに立ち寄ってみることにしました。

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神社の前には、井上靖の「しろばんば」の一節が書かれた立て看板。
井上靖はこのあたりの出身みたいですね。
「しろばんば」は自伝とも言われているので、この地のことが書かれているのでしょう。私は、この看板に書かれた一節しか読んだことないので、詳細はわかりません(要は読んでいない)。

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鳥居。
あまり参拝者はいないようで、クモの巣が多い。
クモの巣に引っかかると、異様にテンションが落ちるので要注意。

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一礼して鳥居をくぐると、すぐに本殿が見える。
社務所もない。手水舎も水が流れていない。
地方にはよくあるタイプの小さな神社だ。

だが、なんだかおかしい。
妙な違和感を感じる。
本殿に近づくと、その妙な違和感がなんなのかがわかった。

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狛犬がおっさんである。
犬といえば犬なのかもしれないが、明らかにおっさん側に寄せてきている。
待てよ。斜に構えて見ているからおっさんに見えるのかもしれない。
正面から見てみることにする。

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おっさんである。
とぼけた顔してババンバン。
まごうことなくおっさん。そこら辺にいるおっさんである。
ちょっと遠目で見ることにする。

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やはりおっさんである。
飲み屋で店員を呼ぶけど、中々気付いてもらえないテイストのおっさんである。
手足が妙に細いところは、栄養が足りていないデスクワークに従事するおっさんを彷彿とさせる。

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向いている方向もなんだかおかしい。
普通、狛犬は一対で向き合う形になっているはずだ。
だが、ここのおっさんたちは同じ方角を向いてしまっている。
「右へ倣え」のサラリーマン感覚が染みついてしまっているのかもしれない。

そんなわけないか。

気になるので、一応調べてみる。

むかし、肩を痛めた旅人が湯ケ島に湯治に訪れ、その際に世話になった村名主へのお礼なのか、川谷から担ぎ上げてきた大きな3つの石で、2体の狛犬と弘法さんの石像を彫っていました。その旅人が姿を消すと、村はずれの道端の松の木の根元に弘法さんの石像ががちょこんと座っており、天城神社の本殿前には狛犬が、2体とも同じ方向(天城山の方向)を向いて据えられていました。
その当時は天城山に棲む山犬に群れで襲われる被害があったのですが、天城山の方向を睨んだ狛犬が奉納されてからは山犬がいなくなり、山仕事が楽になりました。そしていつの日か、弘法さんの石像が置かれた場所にはお堂が建てられ、村人は山仕事に行く際には弘法さんに手を合わせてから出かけるようになりました。

なるほど。
能ある鷹は爪を隠す。
とぼけた顔をしているが、しっかりと睨みを利かしているということか。
やるときはやる。決めるときは決める。

冴えない顔していても、普段はだらしなくても、昼間のパパはちょっと違う
実に日本のおっさんっぽいじゃないか。

女よ。若者よ。
おっさんを馬鹿にするなよ。
太ろうと、禿げようと、つまらないギャグを言おうと、説教臭くなろうと、加齢臭がしようと、おっさんはやるのだ。普段はヘタレた体でも、やるときはやるのだ。女子供を守るのだ。日本を守るのだ。
敬えとは言わない。だが、居場所だけはよこせ。

どうでもいいですね。すみません。
狛犬さん。おっさん呼ばわりしてすみません。

というわけで、思いもかけずに風変わりな狛犬さんと出会えて、少しだけ嬉しかった私でした。おっさんを大切に。

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