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海外経験者は、大したことない人が多い

留学なり駐在なりで、海外経験を持つ日本人は増えてきています。これ自体は悪いことだとは思いません。また、海外で経験を積むことも悪いことではないし、むしろ推奨したいくらいです。しかし、まだ海外に赴いたことのない人たちに一つ言いたいのは、このような海外経験を持つ人たちに漠然と憧れを抱いてはいけないということです。「帰国子女かっこいい」だとか、「留学なんていけてるね」だとか、軽々しくいうのはお勧めできません。なぜなら、多くの海外経験を持つ人々は思った以上に大したことないからです。

実体験:ひどい留学経験者

たまたま1年オーストラリアへ留学していた人と知り合い、何度か一緒に出歩いたのですが、結構苦痛でした。というのも、海外での貴重な体験をその程度のアウトプットしかできないのかと失望させられたからです。

まず、この方は海外経験を単なる語学の勉強としてしか捉えていない節がありました。英語が自信ないと自称しているにしては、わざわざ人の目の前で英語に変換して発音よく言ってみたりと、いわゆる「海外かぶれ」の行動が目立ち、それだけならまだしも、他人に対して「自分は海外かぶれな行動を取る人が嫌い」という始末。英語がある程度得意なのは結構ですが、それを見せびらかしたいという気持ちが強すぎると感じました。留学において、外国語習得はもちろんしっかりやるべきだと思います。しかしそれにとどまらず、安住した日本という故郷を出て、新しい環境において初心に戻ることも大事なことだと考えます。この方はその機会をうまく活用することなく、結局驕り高ぶりにその貴重な経験を割り振ってしまったのかと思うと、少し悲しい気持ちになりました。

これだけならまだ耐えられたのですが、私の限界を超えたのは、英語で友人と話している留学生に対し、「日本に来て英語を話している人は嫌い。見せびらかしているとしか思えないし、日本に来たなら日本語を勉強するべき」と冷ややかに言い放った時でした。この言葉には正直怒りしか込み上げてきません。あの人は1年の海外留学で多様性の何たるかを何一つ学べやしなかったのです。多くの留学生は、この方が決めつけるような怠け者なのでは決してなく、日々の努力を重ねて頑張っている選りすぐりの優等生たちです。日本語学習においても例外ではなく、そのスキルを毎日磨いています。しかし、日本語ばかりでは疲れるのです。ジャンクフードが続くとあっさりした和食が食べたくなるのと同じで、留学生たちも母国語を話すことで自分を癒す時が必要なのです。この方だって1年の留学期間があったなら、母国語を話せないということがどれだけ苦痛かを汲み取れたはずです。にもかかわらず、いざ母国に帰ったら「郷に入れば郷に従え」の過剰な強制。この方の中で多様性は踏み躙られました。この経験で、今後一切この方と自ら関わらないと決心するくらい、残念な気持ちになりました。

多くの海外経験者も見落とす多様性の本質

正直、この方のみではありません。多くの帰国子女、海外経験持ちはこんな感じです。多様性を許される場に身を置きながら、いざ母国に帰ったらこの体たらくなのです。本当はその経験において、多様性の本質にだって気づけたはずです。多様性の本質は、国籍でも身を置く文化でも、性別でも肌の色でもない。それは、他人を「かけがえのないその人」として認識して、思いやることなのです。

また、多様性=グローバリズムなどという公式は間違いです。グローバリズムは他人を国籍でカテゴライズして一般化しますが、多様性はむしろ個別化します。ですから個人を見る目を養う、すなわち多様性を身につけるのは、実は国内であっても十分可能なのです。ただし、海外で経験を積んだ方が漠然とした海外のイメージが明確になることで、日本も海外も素晴らしい人は素晴らしいし、大したことないやつは大したことないという見落としがちなある種の普遍性にたどり着け、それがカテゴリーを超えて人を見るきっかけになりやすいという点において、より多様性の本質に気づきやすいということがあります。従って、多様性に配慮するとはそのようにカテゴリーを超えて人の本質を見る洞察の力なのです。

私が前述した人は、結局ここを学べずにいたのです。ですから、留学生たちが置かれた状況を吟味することなく「あれは自助努力が足りない」などと言い張ることができたのです。必要以上のソーシャルカテゴライズから脱するチャンスだったのに、十分に生かすことができていませんでした。このようじゃとても海外で生活した意味がありません。そして、間違いなく多くの人がそのようにチャンスを活かせず、無為な時間を過ごしています。

これから海外へ赴く人へ

もしかしたら、海外を目指しているかたがいるかもしれません。その方には、ぜひその貴重な機会を生かしてほしいと思います。語学の勉強も大事ですが、何より言語・文化の壁がある中でも支えてくれる人、手を差し伸べてくれる人を大切にしてください。その人たちが、あなたを「かけがえのない1人」として真摯に接してくれる人であり、あなたが目指すべき多様性を身につけている人なのですから。

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