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文化を失うとは、どういうことか。②

島根県の特産品である石州和紙を使った紙布というのは、かつてはこの地域の人々にとって当たり前に有るものでした。紙布用に紙を切る専門の職人さんがいたほどで、その職人は「紙切ナタ」を使って200枚重ねた和紙を2ミリ巾に切るという技術を持っていました。すごい。

しかし、この地方での紙布の生産というのは100年前に途絶えました。
その理由は昨日書いた通り、廃藩置県、産業革命、都市集中型生活など、一言で言えば「近代化」にあります。そういった流れのなか、時間を掛けて一枚の布を作る行為が時代遅れとして葬り去られたのは当然のことだと言えます。

人は近代化によって、時間や季節に左右されずに欲しいものを欲しいときに手に入れることができるようになりました。今の私が山奥でも便利に暮らしていられるのは、先人たちがそれを願い、実現してくれたお蔭です。


ここから、石州和紙による紙布の文化が失われたことで何が起きたのか考えていきたいと思います。

近代化により、まずは工業製品の布が紙布に取って代わりました。つまり、どこかの工場で作られたものが、全国に届けられる。そこには、もちろん土地固有の特徴というものはありません。
石見地方で和紙の生産が盛んだったから、和紙を使った布を作る…そういうふうに土地の環境と、そこで生み出されるものには関連があったのですが、その関連が断たれるということが島根県だけではなく日本中で起こったわけです。土地の環境と関係なく、均一なものが平等に行き渡るようになりました。

ここで、18世紀のフランスで提唱された「ミリュー(風土)説」について触れたいと思います。
それは芸術を含めたもろもろの文化的事象というのは「風土」「人種」「時代」という要因によって、それを産み出す基本的精神が作られると言う説ですが、では、紙布の文化が失われたとき、「時代」は確かに変わりましたが、「風土」「人種」は変わっていません。…ということは?

ということは、私たちが均一な工業製品を使うとき、「この土地に暮らす私」という本来持つべきアイデンティティが置き去りにされているのではないでしょうか。土地固有の「風土」は知覚されなくなり、それにより「人種」の個性もなくなったと言えるかもしれません。

このように、土地と乖離して、そのアイデンティティを失う状態は、ニュートラルで、無味乾燥で…「からっぽ」という表現がしっくりきます。
根ざす土地を知らず、アイデンティティを失って「からっぽ」になった私たちは風船のようにふわふわと風の吹くまま流されていくのです。

紙布の文化が失われたことで、見た目だけ立派に、しかし精神は空洞で、自分の落とし所が定まらないような感覚を持つ人が増えたのではないでしょうか。(一時流行った「自分探し」も、これが原因なのかもしれません)
紙布の文化というのは、ひとつの例で、あらゆる文化の喪失について同じことが言えると思います。


今、文化とは何かを考えたとき、それはひとりひとりの記憶の集合体であり、共通認識(社会的ネットワーク)だと言えます。

つまり、文化が失われるということは、多くの人の記憶の積み重ねが失われるということです。親しい人が亡くなった場合、故人は遺された人の心のなかで生き続けることができますが、文化が失われるというときは、「心のなかで生き続ける」ということもありません。つまりそれは、根本的な死と捉えられますが、自分の身近な人のことではないしスケールが大きいために、感情を動かされることもありません。

私たちは、ひとつの文化が失われるということに対して、もっと心を痛めなくてはならなかったのではないでしょうか。


しかし、失われたと思っていた文化も個人のなかにその記憶の片鱗が残っていたりするものです。ご近所のかたとお話しをすると、「昔は家でお蚕を飼っていて…」「このあたりでも紙を漉いている人がいたなぁ…」と、とても興味深い記憶が飛び出すことがあります。

そこで、今出逢えるみなさんの記憶を入口にして、土地と密接に結びついて生きていた頃の記憶にアクセスできるかもしれない…と考えるようになりました。
その記憶とともに紙布の文化を掘り起こす作業をすることで、以下を実現するヒントが得られないかという仮定を立てました。

①自分たちの文化を培ってきた精神を取り戻す。
②自分たちの人種を取り戻す。
③土地との繋がりを取り戻す。

神奈川出身の私にとって島根は縁もゆかりもない土地かもしれませんが、島根だからこそこの仮説に挑戦することができると考えます。
それは、この土地には石州和紙をはじめ、昔の文化が今も生きていたり、その痕跡を見つけることができるからです。そして、それを再建できる可能性も。

私の立てた仮定が現実のものとなったら、この場所は、他所からみて、眩しいくらいに魅力的な土地になると思います。それができたら島根の人も県外の人も、多分みんな楽しいし、楽しい。あと、楽しい。笑


ここで布を織ること。
本当にたくさんの偶然が重なって、たまたまこうなったという感じですが、やるからには、生み出す結果は「たまたま」にしたくないと思っています。

挑戦に失敗は付きものですが、失敗しても大丈夫と思えるくらいに、心強い応援をみなさんからいただくので、いざ挑戦。
みなさま、どうか面白がって見届けてやってください!


◎作業風景instagram
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島根県石見地方、川本町という人口3500人の小さな町地域おこし協力隊として、染織をしています。協力隊の任期後に作家として独立し、「石見織」を創立するために、日々全力投球。神奈川県横浜市出身。