うわべだけでいい

大学一年生。

2019年。
 
世の中にまだコロナウイルスという言葉が浸透する前。

僕は普通の大学生になると決めた。

普通の大学生とは一体何を意味するか。

私にとって普通の大学生とは、当たり前のように人と交流し、会話し、日々の生活を楽しめる人。

当たり前の日常を当たり前のように享受できる人。

それなりに居心地の良いサークルに入り、それなりの人間関係を築き、それなりにかわいい彼女を手にいれ、それなりに楽しい時間を過ごし、それなりにアルバイトをこなしてそれなりのお金を得る。

それ以上は何も望まないし、何もかもそれなりでよかった。

そのためにも大学一年生の時の私は、まずそれなりが手にはいるサークル探しにいそしんだ。

何かに真剣に取り組む訳でもなく、ただ飲み会をするだけでもない。

それなりに仲間と交流できさえすればサークルのディテールはどうでも良かった。

結果として入ったサークルは想像通り、それなりに居心地がよかった。

なかにはどうしても気にくわない人間や合わない人間、共に会話していても全く盛り上がらない人間などもいたが、そんなものは許容範囲内だった。
 
それ以上に居心地のよさ、自分が自分でいられる環境に満足していた。

また、自分と釣り合いそうなそれなりにかわいい女の子も見つけることができた。  

いや、むしろその子ありきでサークルに入ったといっても過言ではない。

大学一年生の一年間は、ひたすらその子の視界に入り心を開いてくれる努力をした。

心を開いてくれなければ、彼女になどなってくれるはずがない。

自分がいかに誠実で頼りがいがあり、同性からも異性からも印象が良いか。

日々のさりげない振る舞いによって、彼女にそう思ってもらえるような努力を試みた。

最初は心の距離を感じた彼女もいつの日か自ら話しかけてくるようになった。

あるときまでは順調に目論見通りの大学生活が送れていたと言える。

ただ大学三年生となった今だから言えることだが、  

私は大学一年生で得た普通の大学生としての手応えを全てコロナで失ってしまった。

なぜなら私が望んだそれなりはキャンパスライフがあってこそ成立するものだった。

キャンパス内で良好な人間関係、充実感が得られさえすれば良くて、休日は一人の時間を大切にしたかった。

元来、お一人様気質の私は人といる時間が基本的に苦痛だ。

常に相手が自分にとってどういった価値を持った存在か。

頼れる先輩なのか、バイト先でシフトが被るだけの人なのか、同い年のちょっと気になる子なのか、全く波長が合わない後輩なのか。

それによって接し方を変えるような人間であるため、人間関係を築くことはそう容易ではない。

だからこそ私にはキャンパスライフというフィルターを頼りにして人間関係の構築を試みた。

大学でする話なんか、気にくわない授業やかわいい同級生のこと、サークル活動のことなどいくらでも共通の話題を見いだすことができる。  

特に同じ大学、同じ学部、同じ学科、同じ学年という共通項はかなりの部分の人との会話を助けてくれた。

休み時間はこういった共通項でとりあえず盛り上がっておけば時間は潰せるし、人間関係も良好になった。

しかし、コロナで頼みの綱は全く役立たずになってしまった。

キャンパスライフが形骸化したなかで大学の人間と交流を保つことは苦痛でしかない。

会わなくても良いのなら会いたくはないし、それで日々を過ごせるならそれで良い。
 
オンライン授業は無理して人と仲良くする必要もなければ、会う必要もない。

さほど発言も求められないし、出席も重視されない。
 
課題もこなせる範囲内で友達と共有するまでもない。

オンライン授業はお一人様気質の私にとってお一人様を加速させる大きな要因となった。

なかには孤独を感じるようになり、体調を崩したり、大学生活に対するモチベーションを失ってしまった人もいるかもしれない。

しかし、元来の特性を許してくれる社会になってしまったことで、幸か不幸か私は一人の時間を充実させることに注力した。
 
当然、大学の友人との関わりは減り、コロナが落ち着いたことで再開されたサークル活動への参加も気まぐれになった。

でも今となっては、一人の時間を過ごしてる自分が一番自分らしく生きていて心地が良いことを思い出してしまったのだ。

徐々にコロナ前の生活が戻りつつあるが、私の生活はコロナ禍に見事に適応してしまった。  

もはやうわべの人間関係すらどうでも良い。

一人で過ごして良いのなら存分に過ごしてやる。


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