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幼稚園 初めての挫折

こんな高頻度でnote更新するのも珍しいのだけれど、他人のnote読んでいたら書きたくなってきた。
ぶっちゃけ書こうと思えばいくらでもある。
ただそれを文章化するのが億劫、
だって話した方が早いし。フリック入力遅いし。(スマホで打ってるので。)

てわけで今日のお話は今から14,5年前。
僕が幼稚園の頃まで時を遡りたいと思います。

14,5年前だから、まあ年中か年長かそこいらです。当時は一日の中心に遊びがあって、ひたすら無心で、かわいい先生がいて、口下手でも仲良くしてくれる子や好きといってくれる子がいたり。
今と比較しても当時の充実ぶりがうかがえる感じで。
まあ、物は言い様なので、周囲の状況がそうだったとしても、当時の僕は何も考えていなかったので、この環境が充実してるかどうかなんて考える以前に充実という言葉を知らなかった。ソクラテスに会わせてやりたいぐらい無知で素直でおとなしい、蒸留水みたいに不純物の入ってない子でした。

でもあまりに知らなすぎたんですね、当時の僕は。

というのも、僕の幼稚園では年中ぐらいになるとひらがなの勉強や数字の勉強が始まるわけです。
鉛筆でワークに薄く書かれた通りにひらがなや数字をなぞって、最後の一コマは何も書いてないコマでみたいな。

あれです。漢字ドリルのひらがな、数字版って感じのやつでした。かんじだけに。

そもそも鉛筆すらろくに持てなかった僕は、そこから周囲との差を感じ始めました。

意外とみんな教育されてるんですよね。

で、ひらがなを書き始めたらそれはもう地獄。
幼稚園の時に初めて遭遇した「む」や「を」の難しさといったら。
いまでも鮮明に覚えています。
みんなは続々と「む」や「を」を書き終え、先生に見せにいく。
僕はひとり机で葛藤してる。

先生が言うんです。
「みんな上手だね~」と。

僕はその「みんな」のなかにはいなかった。
当時は恥ずかしいとかじゃなくて、この状況はなんだ?なんなんだと。

何度書いても、鉛筆に不馴れなせいで強弱がつかず「カク、ガッ、カク、ガッ、シュッ」って感じで尖りまくったひらがなを量産してる始末でした。

数字を書く際も同様の事態が訪れました。

僕が当時、苦戦したのは数字の「2」
上に述べたような筆記スタイルだったので、困ったことに意図せず「Z」を量産してしまう始末でした。
決してふざけてたわけでも眠かったわけでも、ふざけてたわけでもなかったんです。
 
しかも、屈辱的なことに(これもいま思えばって感じで当時は何も考えてない)、授業中書けなかったから翌朝になっても一人だけ数字の「2」の書き取りをやらされたわけです。
 
いや、書いてて思ったけどこんだけ出来ないなら先生教えろよ笑。

しかしまあ、教えてはくれず、本来だったら早便で朝早くからチャイムがなるまで存分に遊べるはずだったのに僕はひたすらZZZZZZZZZ

誰からも気にかけられなかったわけではないんですよ。
 
女の子が「もっと丁寧に、力込めすぎ」みたいなことを言ってたんです。確かに。

だから、こうした面でもかなり当時は人間関係にも恵まれてました。

常に気にかけてもらえる人がいたみたいなので。

まあ、そんなことは何も考えられず、しんせつな(というか当たり前な)アドバイスも耳に入らず、結局どうしたのかは幼稚園の頃なので定かではありませんが、気づいたら「む」も「を」も「2」も書けるようになっていたので、時間が解決してくれた以外のことは言えません。

これは、後日談ですが、あとになって母親にこの当時と思われる話をされて。

たぶん、先生と保護者の面談かなんかで、先生に「○○くんは他の子に比べて作業が遅い」と言われたらしいです。
母親はこの他人事な発言にイラついたそうですが、大人の対応を見せ、僕にも当時の話は小学生になってからされました。

母親も母親で、僕に何かを押しつけたり、強要することがなかったので、そんなにこの当時の話もトラウマとかにならず、大学生になった今にまで語れる笑い話になったわけです。

さて、いつもより文体が柔らかかったのですが、僕はどうやら文章を書くことに関して器用貧乏なようで、自分の文体はこれだ!っていうのがなく、面白い!って思った人の文章に寄ってしまう癖があります。
簡単に言うと、コピー能力みたいなものです。
星のカービィか黒子のバスケの黄瀬みたいなあれです。

今日の文章も寄せる気はないけど、自然とそうなってる気がします。

エピソード自体は10年以上温めていた大作なので、大コケする映画かよ!って感じですね。

このぐらいのノリで毎回書ければ続くけど、なんせ気分屋さんなので次はいつになるか分かりませんが、またいつか書きたいと思います。

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