ひつじ

文章を書く人です。根が暗いのであんまり明るいお話は書きません。寝言みたいなもんです。音…

ひつじ

文章を書く人です。根が暗いのであんまり明るいお話は書きません。寝言みたいなもんです。音楽が好きです。

マガジン

  • 軌跡の先を

    3年ほど前に書いた長編小説をまとめています。

  • 【不定期連載】給湯器ちゃんと私

    気難しい給湯器ちゃんと私の攻防を不定期に書き付けていきます。

  • 世界に色がつくとき

    • 18本

    藤野ゆくえとひつじによるリレー小説です。どうなるかわかりません。

  • 君と僕と質量保存の法則

    中編くらいの小説を置いておきます。

  • 知らない人

    長編の「知らない人」というお話を連載しています。

最近の記事

軌跡の先を #8

  8  早く来てほしかったような、来てほしくなかったような月末の水曜日、約束の日が訪れた。水曜日は三コマ目の講義を終えればその後に用事はない。いつもの四人で一緒になって講義室を出て、いつもなら用もなく学習室へ行くところだが、私は真っ直ぐ帰ると言って正面玄関のある棟へ通じる廊下で三人と別れようとした。 「何か大事な用事?」  郁美が何気ない調子で尋ねてきた。 「大事な、うん、そうかな」  用事の詳細を話す気になれずにごまかした。それがいけなかったのか、郁美の顔がはっきりと曇

    • 軌跡の先を #7

      7  須賀先輩と私が会って話したことを知らないはずがないのに、由香里も玲奈も、そして郁美までも、マリーに関わる話題を私の前で口にすることはなかった。ずっと昔からそうだったかのように三人一緒の昼食の席でも、他愛のない話で盛り上がっているように見えて、四人それぞれがそれぞれ口に出しにくいことを秘めている、そんな印象があった。いつその話題が出てもおかしくないと思いつつ、何も話すことのないまま新しい一週間が始まり、そして早くも終わろうとしていた。 「バイトで一緒の先輩がさ、サムシン

      • 軌跡の先を #6

        6  迎えた翌日の午後一時、私は須賀先輩と二人、皆川大学の学生御用達だという喫茶店「オペラ」の店内で顔を突き合わせることになった。話にしか聞いていなかった須賀先輩は、長身に短い焦げ茶の髪、何かのロゴマークがプリントされているくたびれた黒のTシャツに色褪せたジーンズという服装、そして何よりとても不愛想な男性の先輩だった。総合芸術学科の女子学生の多さから、勝手に女性を想像していた分、内心たじろいだ。それも、店内で顔を合わせるものと思って「オペラ」へ向かうと、いかにも機嫌の悪そ

        • 軌跡の先を #5

          5 〈サムシングが再結成するんだって〉  由香里と玲奈に「須賀先輩と会って話せないか」と頼んで、渋い顔で保留の返事をもらい、そのまま休日に入った。そんな朝早く、私は寝ぼけ眼で穂乃果からのメッセージを読んだ。まだ覚醒しきっていない頭では、穂乃果のメッセージの意味が理解できない。 〈何の話?〉  神経が鈍ったような指で返信する。すると、驚くべき速さでメッセージが再び届いた。 〈サムシングだよ、サムシング、私の好きなバンド!〉  文面をしばしじっと見て、ようやく理解が追いついた。

        軌跡の先を #8

        マガジン

        • 軌跡の先を
          8本
        • 【不定期連載】給湯器ちゃんと私
          9本
        • 世界に色がつくとき
          18本
        • 君と僕と質量保存の法則
          4本
        • 知らない人
          5本

        記事

          軌跡の先を #4

          4  大学生活の滑り出しは上々だった。まだまだ音楽と関係のない教養科目が多い座学の講義では、マリーの力を借りずとも自力で食らいついていった。人前での発表を伴う講義はマリーの度胸に任せて乗り切った。郁美、由香里、玲奈とは、実技科目を除いてほぼいつも一緒だった。講義でわからないところがあった時には教え合ったり、何かの用事で誰かが講義を欠席した時には取ったノートを見せ合ったりした。食堂でもいつも一緒に食事をし、他愛もない話で盛り上がった。  由香里と玲奈は軽音楽部に入り、由香里は

          軌跡の先を #4

          軌跡の先を #3

          3  大学生活二日目を終えて、私と郁美、そして由香里と玲奈は学習室で履修登録の用紙を前に唸っていた。昨日、もう数人の一年生と一緒に先輩のアドバイスを聞いていたため、用紙の大半は埋まっている。とはいえ履修登録にも締め切りがあるため、そうのんびりもしていられない。だから、こうして四人で用紙と睨めっこしているというわけだ。 「私、ピアノにしようかな」  由香里が伸びをしながら言う。残る科目は実技科目なのだ。こればかりは自分の得意分野をよく考えて決めなければいけない。 「由香里、ピ

          軌跡の先を #3

          軌跡の先を #2

          2  翌朝の八時半過ぎ、一睡もできなかった重い頭を無理矢理身体の上に載せるようにしてアパートを出た。徒歩十五分ほどの大学までの道のりを歩いているうちに、身体を動かしたおかげか少しずつ頭の中にかかっていた靄が消えていき、代わりに初めての大学生活への不安が改めて膨らみ始めた。 (緊張してる?)  私のものではない声が脳に響く。昨夜マリーと名乗った幽霊―だと思う―の声だ。やはりあの出来事は夢ではなかったのだ。 「当たり前でしょ、知ってる人もいないし。だいたい私、人前が大の苦手なん

          軌跡の先を #2

          軌跡の先を #1

          1  ここまで来てしまっては、もう引き返せない。いや、引き返すものかと覚悟を決めてここまで来たのではないのか。自分に何度そう言い聞かせても、幼い頃から付き合ってきた弱い自分が、でも、と声を上げる。どんなに強い気持ちでここにいるのだとしても、怖いものは怖い。  大学生活初日を目前にした真夜中、同じことをぐるぐると思い悩み続けて眠れそうにない。瞼を閉じれば、もう何度目かわからない回想が始まってしまう。 「まりあ、本気?」  私の目標を耳にした幼馴染の穂乃果は、厳しい顔をして声を

          軌跡の先を #1

          夏を繙く

           例年よりずっと長く感じた夏が終わる。いや、実際に例年より長い夏だった。気温は過去最高を叩き出し、真夏日の日数も前代未聞。おまけに、お盆の時期を過ぎても九月に入っても、日中に三十度台まで上がる日が延々と続いた。北海道でもエアコンが必要な気候になったのだと実感させられる、とんでもない夏だった。九月も折り返しの日曜日になってようやく長袖の服を出すなんて、いつもの気候ならあり得ないことだ。 「こんな夏だったからね」  三段しか引き出しのない洋服ダンスをひっくり返して、その中から生成

          夏を繙く

          【不定期連載】給湯器ちゃんと私#8(終)

          2月9日、木曜日。曇り時々雪。がっつり冷え込んでいる。 最強寒波を乗り越え、暦の上では春になり、しかし北海道はまだ寒い。土曜日なんて予想最低気温マイナス21度(地元の数字)らしい。そんな季節に、事態はものすごい勢いで急展開を迎えた。 2月から我がアパートにガスと灯油を提供する業者が変わるらしく、契約とかいろいろあるので連絡してくれとの書面が投函されたのが、たぶん1月末。知らない間に夫が連絡を入れていたらしく、業者が来ると聞かされたのがまさかの当日朝。もっと早く言え。 ま

          【不定期連載】給湯器ちゃんと私#8(終)

          知らせるさ、君には

           突然、人生の夏休みが始まった。仕事がうまくいかないという思いがピークに達するのと、契約の終了を告げられるのはほぼ同時だった。何かをしみじみと考える間もなく、あっという間に私は無職になってしまった。世間でもちょうど夏休みが始まった頃の話だ。求職、という言葉が脳裏を掠めるたびにそこから目を逸らす。まるで後回しにした宿題のように。心の底で沸いては消える焦燥感と、時間がいつもよりゆっくり流れるような間延びした感覚。十年ぶりの気分を味わうようになって、まだ二週間だ。  今朝は早起きを

          知らせるさ、君には

          【不定期連載】給湯器ちゃんと私#7

          1月13日、金曜日。曇り。寒いは寒いけど気温は比較的高め。 2023年を迎えて早くも13日。案の定と言うべきか、給湯器ちゃんが交換されることのないままヌルッと年を越してしまった。ついでに、窓側の換気扇についてもその後音沙汰がまったくない。そうだろうと思った。 つい先週まで、給湯器ちゃんがとてもご機嫌な日が続いていた。朝一のコンタクト装着の時から適温のお湯をくれるし、温かいお湯で食器を洗わせてくれる、もちろんシャワーもほどよく温かいままでいてくれる。そんな日が一週間近く続い

          【不定期連載】給湯器ちゃんと私#7

          君と僕と質量保存の法則 4

           視界が広くなるだけで、気分はずいぶん違うものだ。いや、今の気分が軽いのは、およそ二年ぶりの散髪という、僕にとっては大きなハードルを越えることができたからだろう。 「保護猫が、ちゃんとした飼い主に引き取られたみたいだね」  椅子に腰かけてこちらを見ながら千波が言う。僕はベッドの上に座った状態で頭へ手をやった。頭が軽く感じるだけではない。手で触れても伸びた髪が指に絡みついてこない。さっぱりとした短髪。可もなく不可もない髪型だと思っていたが、やはり手入れのされた髪はそれだけで気持

          君と僕と質量保存の法則 4

          君と僕と質量保存の法則 3

           眠って起きてみれば、こんな突然の再会もすべて夢というオチが待っているかもしれない。薬の力を借りて眠りに落ちる前にそんなことを考えたのだが、目の前には午前の日差しを受けて微妙に輪郭が揺れる千波の姿がある。 「なんかすごく、居心地が悪いんですけど」  よれよれの長袖シャツに高校の指定ジャージといった、千波と再会した昨夜から着替えていない服装で、昨夜は千波が腰かけていた位置に座っている。彼女はというと、昨夜は僕がいた椅子の上にちんまりと収まっていた。 「そう言われましても」  困

          君と僕と質量保存の法則 3

          君と僕と質量保存の法則 2

          「岩崎くんは、もしかしてあれからずっと、こんな感じ?」  千波の問いに何も返せない。その通り、あの事故から僕はずっとこうだ。部屋から出るのは食事とトイレと風呂、そして月に一度通わされている精神科への通院日。それ以外はずっとこの部屋にいる。雑然という言葉では済まされない散らかりようの自室。掃除もろくにしていなければ、簡単な片付けすら最後にしたのはいつだっただろう。こんな場所で、こんな有様でいる僕を、千波はどう思って見ているのか、絶対に知りたくないと思った。 「まあ、人間いろいろ

          君と僕と質量保存の法則 2

          世界に色がつくとき #17

          薄い青色のワンピース、ショルダーバッグには財布とスマートフォンと、一応、ヘッドホン。忘れ物は、たぶんなし。 デートなど初めてだから、いつもではしないくらいしつこく持ち物を確認してしまう。家を出る前に、鏡で自分の姿を確認した。変じゃない。大丈夫。 長い夏休みのさなか、橋本町まで行って由香里と仲直りしただけにとどまらず、恵介くんとお付き合いをすることになり、これから早速デートに出かける。それらの出来事があまりにも目まぐるしくて、自転車を漕ぐ足の感覚がふわふわする。 駐輪場に自転車

          世界に色がつくとき #17