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軌跡の先を #3

●3年ほど前に初めて書き、翌年にヒイヒイ言いながら改稿し、そのまた次の年(昨年)に印刷所に頼んで紙の本として作った長編小説の前半くらいまでをnoteに投稿する試みです。筆力の未熟さを承知の上で、投稿にあたっての手直しをせず、印刷所に納品した本文データそのままをお届けします。
●ほぼ「心意気を買う」形にはなりますが、紙の本を売っているページはこちら→https://sheep16-baa.booth.pm/items/5074168
●店頭委託販売、カバーイラストでお世話になっている「キノコファクトリーのねじろ」さま(熊本県)はこちら→https://nejiro.kinocofactory.work/
↑閉店予定とのことです。大変お世話になりました。

3

 大学生活二日目を終えて、私と郁美、そして由香里と玲奈は学習室で履修登録の用紙を前に唸っていた。昨日、もう数人の一年生と一緒に先輩のアドバイスを聞いていたため、用紙の大半は埋まっている。とはいえ履修登録にも締め切りがあるため、そうのんびりもしていられない。だから、こうして四人で用紙と睨めっこしているというわけだ。
「私、ピアノにしようかな」
 由香里が伸びをしながら言う。残る科目は実技科目なのだ。こればかりは自分の得意分野をよく考えて決めなければいけない。
「由香里、ピアノ習ってたもんね」
「そうなんだ」
 玲奈の言葉に、私、いやマリーが相槌を打つ。
「私は声楽にするかな」
 郁美がシャープペンで顎を軽く叩きながら呟くと、由香里が「声楽?」と繰り返す。
「いっちゃん、声楽やったことあるの?」
「ないけど、高校時代合唱部だったし、基礎だからなんとかなるって信じてる」
「ふうん」
 由香里が納得したように頷いて、それから私と玲奈を見やり尋ねてきた。
「玲奈とマリーは?」
「私は、うーん、書道行こうかな」
 玲奈が少し迷って返す。由香里の「やっぱりね」という言葉に、きっと書道部か何かに所属していたのだと想像する。
「私は、打楽器取るよ」
 私、ではなくマリーの言葉に、一同が驚いてそれぞれ声を上げる。
「打楽器? 何やってたの?」
 郁美の問いに「やってはいないけど」と返したかったが、マリーが勝手に言葉を紡ぐ。
「昔ちょっとね。マリンバが少し叩けるかな」
(私、マリンバなんてやったことないよ!)
 マリーは私の心の叫びを無視する。
「意外。マリー、高校で帰宅部だったって言ってたから」
 郁美が言うのに、「中学時代も帰宅部だったよ、騙されないで」と心の中で主張するが、マリーは当然のように無視だ。
「マリーが一番意外なとこ行くよね」
「うんうん」
 頬杖をついて言う由香里とそれに同調する玲奈の言葉を受けて、私は拳を握りしめて憤りを露わにしたくなったが、実際の私はおそらく涼しい顔で三人と話を続けている。またも私は置いてけぼりを食らってしまい、もどかしいような悔しいような気分になる。
 履修登録の用紙が埋まったところで、私達四人は帰路についた。実家暮らしの由香里と玲奈は電車で三十分ほどの街まで帰り、同じく実家から通っているが、この街で生まれ育ったという郁美は自転車で帰る。私は、朝に来た道をアパートまで徒歩だ。大学は街の外れで、途中までの道は全員同じだから、分かれ道まで一緒に帰ろうということになった。郁美も私達に合わせて、自転車を押して歩く。
「マリーってこのへんで一人暮らしなんだっけ」
 大学の敷地の緩い坂道をゆっくりとしたペースで下りながら、郁美が言う。
「うん。コーポあさがお」
 コーポあさがおというのは私のアパートの名前だ。その名を聞いた瞬間、郁美の顔が引き攣った。
「まさか、コーポあさがおの一階の角じゃないよね」
「え、そうだけど」
 郁美は溜め息に近い声で「うわあ」と漏らした。由香里と玲奈は何のことやらという顔で郁美の表情を覗き込んでいる。
「そこ、何年か前にうちの大学の学生が亡くなったって話だよ」
「ええっ?」
 声を落とした郁美と反対に大きな声を出してしまったのは、マリーではなく私の意思が前面に出たのだと自信を持って言える。他の二人も同様に驚いている。
「ちょっと待って。マリー、なんでそんなとこに住んでんの?」
「幽霊とか信じないタイプ?」
 由香里、玲奈がそれぞれ尋ねてくる。
「まあ、安かったからさ」
「うーん、それはわかるけど」
 郁美にまでそう言われても、まさか「その部屋の幽霊が私に取り憑いている」などとは言えるわけがない。物件を決めたのは、本当に安かったからというだけだ。幽霊の存在も、マリーと出会うまで本当にまったく信じていなかった。
「でもさ、事故物件だとか、全然言われなかったよ」
 これも私の本音だ。
「なんか、事故物件でも、その後に誰かが住んじゃうと、それ以降は言わない不動産屋もあるとかなんとかって」
「そんなの詐欺じゃんね」
 郁美の言葉に、由香里が語気を強めて言う。
「実際、何人か住んだけど、『出る』からってすぐ退去してっちゃったんだって。私も噂しか知らないけどね」
「マリー、大丈夫なの?」
 郁美に不安を煽られてか、玲奈が問う。
「大丈夫だよ。私、気にしないし。今のところなんともないから、家賃安くてラッキーって感じ」
 一体何をしたのさ、と問いただしたい気持ちでいっぱいの私をよそに、マリーはこともなげに返事をする。そんな会話をしているうちに、私のアパートへ向かう曲がり角に差し掛かった。
「じゃあ、私こっちだから。また明日ね」
「私も家あっちなんだ。またね」
「うん、またね」
「また明日」
 郁美は私が指差した道と反対側の細道を示した。由香里と玲奈は駅方面だから直進だ。郁美は自転車のペダルに足をかけながら、「マリー、本当に気を付けてね」と小声で言った。私は、いやマリーは軽く手を挙げて返す。
 帰り道、行きと同じ道を辿っているはずが、夕日のせいか違う景色のように見える。行きは気にもしなかった、豪雪地帯のためまだわずかに残っている積雪がなぜだか目に留まり、日が落ちていく時間だからか、それとも気のせいか、気温も低く感じる。それがなんだか不気味に思えて、心細さを振り切ろうと声には出さずマリーに話しかけた。
(ねえマリー。マリーはうちの大学の学生だったの?)
 マリーは返事をしない。
(マリー。なんで私にできもしない実技選んだの?)
(マリー。マリーは前に住んでた人に何したの?)
(マリー、聞いてる?)
 何を尋ねてもマリーの声は返ってこない。答えたくないということか。不安が勝っていた私の心もだんだんいらだちが優位になってきて、意識して何も考えないように、マリーに心を読まれないようにしてアパートまでたどり着いた。
 部屋に戻って、荷物を置き上着を脱いでから、そのまま座椅子に身体を預ける。改めて今日を振り返ると、あの出来事は一体なんだったのだろう。極度の人見知りの私が、朝の郁美との会話から始まり、今日だけで三人と親しく話せるようになるなんて。それに、自己紹介のような注目を浴びる場面が大の苦手だったはずなのに、いつもの緊張に襲われて何もできなくなるどころか、平気な様子でつらつらと言葉を並べて質疑応答までこなしてしまった。幽霊が取り憑いて「うまくやる」というのは、人の苦手なものまで克服してくれる力のある現象なのか。
 そもそも、マリーは一体何者なのだろう。大学の内部を知った様子のマリー。私の実際に沿った自己紹介をしてみせたかと思いきや、やったこともないマリンバの実技を受講すると言い出す。これも「うまくやる」のうちなのだろうか。一番の疑問は、マリーの目的だ。郁美の言う、このアパートで亡くなった学生というのは確実にマリーだ。そのマリーが私に取り憑く目的は一体なんだというのだ。未練があって幽霊になるというのはフィクションでよく聞く話だが、大学生活をやり直したいとでも言うのだろうか。もし大学生活がマリーの未練で、それに協力してくれという話なのだとしたら、私は四年間マリーに身体を貸すことになるのだろうか。
(それはどうだろう)
「マリー!」
 突然脳に響いたマリーの言葉に、思わず大きな声が出た。
「なんで無視すんのさ」
 ここは私一人しかいない部屋なのだから、口に出してマリーと会話したところで不審ではないだろう。幽霊相手でも、会話は声に出した方がやりやすいのだ。
(さっきは話したくなかったの)
「今は話してくれるの?」
(うーん、どうかな。でも、お願いはある)
「お願い?」
 私の疑問に答えてもくれないくせにお願いだなんて、マリーはずいぶん身勝手だ。
(会いたい人がいるんだ。大学に通って、勉強しながらでもいい。でも、身体は貸していてほしい。私だけじゃ実体がないから)
「それが、マリーの未練?」
(まあ、そんなところかな。協力してくれる? 私がまりあの苦手なこと全部うまくやるからさ、お願い)
 どちらかというとずっと上からだと思っていたマリーの態度が、急に下手に出る形になる。そうなると、私も断りにくい。
「マリーに身体を貸しても、その、何も起こらないんだよね。ヤバいこととか」
 自分の身の安全に関わることは確認しておかなければいけない。オカルトの類は信じていないが、現にマリーという幽霊に取り憑かれている以上、何が起こらないとも言い切れない。私もやはり命は惜しいのだ。
(たぶん、危ないことは起こらないと思う。断言はできないけど。少なくともまりあの身体に害がないように、私も気をつける)
 マリーの言葉から、以前の入居者に対して何か危険なことをしでかしたわけではないと直感した私は、それでも少し迷ってから返事をした。
「いいよ。協力する。その代わり、ちゃんとうまくやってよ。ギブアンドテイクでいこう」
 私の言葉を聞いて、マリーは心底おかしいというように笑った。
(ギブアンドテイクね。いいこと言うね。じゃあ、よろしくね、マリー)
「マリーはそっちじゃん」
 それきり、その日はマリーと特に会話することはなかった。
 スマートフォンをほったらかしにしていたせいで、穂乃果からメッセージが来ていることに遅れて気が付いた。
〈どうよ、大学は?〉
 どうもこうもない。住み始めた部屋に出た幽霊に身体を貸して、ギブアンドテイクの大学生活を送ることになってしまったのだから。今まで穂乃果にそうしてきたように、正直にそのことをメッセージにしたためて送ろうと、スマートフォンの画面をタップした。文字にして打ち込もうとしたところで、ぴたりと指が止まる。
 この状況を、穂乃果にどう話せばいいというのだろう。穂乃果は幽霊の存在など信じてくれるのだろうか。いや、信じてくれたとしても、私が幽霊に取り憑かれて、その幽霊に協力することになったなどと言ってしまっては、穂乃果に無用な心配をかける。彼女は今でさえ、極度に人前が苦手な私を心配してくれていることだろう。それを上回る心配をかけることはしたくない。穂乃果は、人よりも心配性なところがあるのだ。穂乃果自身の学業に差し障るようなメッセージを、そんな穂乃果の性質をよく知る私が送るわけにはいかない。
〈なんとか乗り切れたよ。穂乃果は?〉
 穂乃果にこれほど大きな隠し事をしたのは初めてだった。考えてみれば、今まではお互いの距離が近すぎて、こんな大きな隠し事などできるわけがなかったのだ。そう思い至って改めて、今の私と穂乃果の間を隔てる物理的な距離の大きさを意識する。穂乃果の実家が市外に引っ越した時には、通う高校が変わらなかったこともあり距離など感じなかった。これが「寂しい」ということなのだろうか。いや、それとは少し違うかもしれない。
〈まりあもやればできるってわけだ。私はなんか、憧れの聖域に入っていくみたいな緊張感がある〉
 それほど間を置かずに来た返信を見て、穂乃果らしいと思った。彼女がリペアマンに憧れていることは、たびたび本人の口から聞いていた。だから、彼女の進路を知った時も驚かなかった。穂乃果の話によると、中学一年生で出た初めての吹奏楽コンクールで、受け持っていた打楽器の部品が壊れてしまい、会場にいたリペア係の人に応急処置をしてもらったことがリペアマンを志すきっかけだったらしい。私にとって裏方で動く穂乃果が憧れであるように、穂乃果にも同じような思いを抱く出来事があったのだ。
〈こんなに離れるのは初めてだから心細いけど、お互い頑張ろうね〉
 また嘘をついた。穂乃果と離れて心細い気持ちは本当だが、そんな気持ちを抱いている場合ではなくなってしまっているのだから。今は、マリーの未練を晴らすために協力する、それが第一だ。
 穂乃果からガッツポーズのスタンプが送られてきた。やはり、私の現状を穂乃果には言えない。そう思って、適当なスタンプを返してスマートフォンのアプリを閉じた。

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