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世界に色がつくとき #17

薄い青色のワンピース、ショルダーバッグには財布とスマートフォンと、一応、ヘッドホン。忘れ物は、たぶんなし。
デートなど初めてだから、いつもではしないくらいしつこく持ち物を確認してしまう。家を出る前に、鏡で自分の姿を確認した。変じゃない。大丈夫。
長い夏休みのさなか、橋本町まで行って由香里と仲直りしただけにとどまらず、恵介くんとお付き合いをすることになり、これから早速デートに出かける。それらの出来事があまりにも目まぐるしくて、自転車を漕ぐ足の感覚がふわふわする。
駐輪場に自転車を停めて、駅前の少女像を目指す。像のすぐそばに細身の男の人が立っているのを認めて、思わずスマートフォンで時間を確認した。九時四十五分。常識の範囲内と言えなくもない時間だが、それにしても早い。
「け、恵介くん」
面と向かって呼ぶとなると照れてしまって、呼びかける声が裏返った。
「さ、彩ちゃん、おはよう」
恵介くんも似たようなひっくり返り方の声で返してきた。それがおかしくて、二人で笑う。
「ずいぶん早いね」
「僕はいつもこうなんだ」
私の言葉に、恵介くんは困ったような笑みを見せた。
「楽しみな予定があると、つい早く準備ができすぎちゃって、そのまま早く家を出すぎちゃうんだ。小学校の修学旅行の時なんか、早く学校に着きすぎて先生もまだいなかったよ」
「あはは、なんか意外」
「意外? そうかな」
「うん。恵介くんって、あんまりそわそわしたところのあるイメージがないから」
私が言うと、恵介くんは顔色を変えて俯いた。真っ赤になっている、のだと思う。
「それより。この時間だと、一本早いバスに乗れそうだよ」
恵介くんが慌てたように話題を変える。確かに、今からバスターミナルへ行けば、予定していたよりも一本早い水族館方面行きのバスに乗れる。
「そうだね。じゃあ、行こう」
駅前バスターミナルまで歩いて向かう。といっても、歩いて一分かそこらの距離だ。一緒に歩く時間を味わう間もなく乗り場に着いてしまう。
水族館方面へ向かうバスの乗り場では、親子連れが一組だけ待っていた。その後ろに私達は並ぶ。幼稚園くらいの男の子が二十代半ばくらいの両親にちょっかいをかけて、優しくたしなめられている。その様子を眺めていると、恵介くんはどんな子どもだったのだろうとふと興味が湧いた。
バスが乗り場に滑り込んできて、私達は親子連れに続いて乗り込んだ。二人掛けの座席に座り、恵介くんの顔をちらりと窺ってみる。彼もまたあの親子連れを見ていた。
「恵介くんって、子どもの頃はどんな感じだったの?」
気になったことを口に出してみると、恵介くんははっと我に返ったようにこちらを見て、それから少し考える仕草を見せた。
「そうだなあ。おとなしい子どもだったかな」
「へえ」
子ども時代を思い出しているのか、遠くを見るように視線を動かした恵介くん。
「親には、手のかからない子だったって言われる。おとなしくて、自己主張があんまり強くなくて、わがまま言うこともほとんどない子どもだった」
なんだか、今の恵介くんの印象とそう変わっていないような気がする。
「彩ちゃん、今の僕と変わってないって思ったでしょ」
「えっ」
驚く私の顔を見て、恵介くんは笑った。
「顔に書いてあったよ」
思わず両頬に手を当てる。心なしか頬が火照っているように思えた。そうしているうちに車内アナウンスが響き、バスが発車した。
バスは郊外の方へとどんどん走っていき、普段はほとんど見ない景色が窓の外を流れていった。
「彩ちゃんは、どんな子どもだったの?」
「私?」
不意に恵介くんが尋ねてきて、少し焦ってしまった。
「彩ちゃんがどんな子だったのかも知りたい」
真っ直ぐな目でそう言われると、なんだか気恥ずかしくなってしまう。
「内気な子どもだったなあ。友達もそんなに多くなくて、いつも特別親しい子の後ろについていくような子だった気がする。でも、絵を描くのが好きだったから、絵を友達に褒めてもらうこととかもあって。そういうのが嬉しくて、好きだったな」
恵介くんは、心地のいい音楽を聴くような表情で私の話を聞いてくれた。
「彩ちゃん、絵が好きなんだね。森井さんと会った時も、スケッチブック持ってたし」
「でも、ヘッドホンがないと色がわからないから、今はあんまり描かないよ」
「そうなの? もったいない」
「いいの。それで」
「そう? でも見たいなあ、彩ちゃんの絵」
そう言われて、スケッチブックに描いた恵介くんの顔が脳裏をよぎった。途端に顔が熱くなる。
「今度、機会があったら描くよ」
「楽しみにしてるね」
にっこりと笑う恵介くん。私はなんだかその顔を見ていられなくなって俯いた。
途中の停留所で乗客の乗り降りがあり、バスの中の顔ぶれは気付けばすっかり入れ替わっていた。ぼんやりと車内を見ていると、ちょうど今停まった停留所であの親子連れが降りていくところだった。男の子の「ありがとうございました」という大きな声が、車内のざわめきの中でもはっきりと聞こえた。
「あの親子も、水族館に行くんだと思ってた」
恵介くんが同じ方へ視線を向けていたことに気付き、はっとする。
「でも、ここから少し行ったら大きな公園があるよ」
「そっか、そっちに行くんだね」
この停留所の近くには、大型の遊具をたくさん備えた公園がある。私も小さい頃、両親に連れられて行ったことがある。
「水族館、よく行くの?」
ふと気になって尋ねてみた。私は色がわからないこともあってあまり外出するのが気乗りせず、せっかくバス一本で行ける距離にある水族館へも小学校の社会科見学で行ったきりだ。
「よく行くわけじゃないよ。そうだなあ、中学生の頃に行ったきりかな」
「へえ、誰と行ったの?」
「一人で。変かな」
「そんなことないよ」
恵介くんがほっとしたように笑う。
「急に思い立って、一人で行ったんだ。テスト前の学校帰りに、一人で」
「恵介くんって、思い立ったら即行動、みたいなところがあるよね」
「あはは。やっぱりそう思うよね」
失礼なことを言ったかもしれないと思ってひやりとしたが、苦笑する恵介くんが気を悪くしたようには見えない。
「昔から、何かを思いついたら人に相談する前にすぐやってみる方だったんだ。映像研でも、そんな感じだよ」
「そうなの?」
「映画もさ」
恵介くんはそこで言葉を切って、少し俯いて続けた。
「一年生が僕の他にもう一人いるんだけど、その人はまだ作品を撮ってないんだ。僕は、先輩の話を聞いてすぐにでも撮ってみたくなっちゃって」
それに、と言って、恵介くんは私に視線を合わせた。
「彩ちゃんが主演の映画が、どうしても撮りたくて」
うまい返しがいくらでもあったはずなのに、照れてしまって何も言うことができなかった。顔が妙に火照って、心臓の鼓動が耳に直接響いてくる。
車内アナウンスが響いて、間もなく終着の水族館前に着くことが告げられた。
「降りなきゃね。えっと、運賃は……」
そう呟いて財布を取り出す恵介くんにつられて、私も自分の財布の小銭を探る。行きのバスの中でもこんなにドキドキしてしまうのに、水族館できちんとデートがまっとうできるのだろうか。自分で自分が心配になってしまうが、それと同じくらいの期待が私の胸にはあった。

いただいたサポートて甘い物を買ってきてモリモリ書きます。脳には糖分がいいらしいので。