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軌跡の先を #4

●3年ほど前に初めて書き、翌年にヒイヒイ言いながら改稿し、そのまた次の年(昨年)に印刷所に頼んで紙の本として作った長編小説の前半くらいまでをnoteに投稿する試みです。筆力の未熟さを承知の上で、投稿にあたっての手直しをせず、印刷所に納品した本文データそのままをお届けします。
●ほぼ「心意気を買う」形にはなりますが、紙の本を売っているページはこちら→https://sheep16-baa.booth.pm/items/5074168

4

 大学生活の滑り出しは上々だった。まだまだ音楽と関係のない教養科目が多い座学の講義では、マリーの力を借りずとも自力で食らいついていった。人前での発表を伴う講義はマリーの度胸に任せて乗り切った。郁美、由香里、玲奈とは、実技科目を除いてほぼいつも一緒だった。講義でわからないところがあった時には教え合ったり、何かの用事で誰かが講義を欠席した時には取ったノートを見せ合ったりした。食堂でもいつも一緒に食事をし、他愛もない話で盛り上がった。
 由香里と玲奈は軽音楽部に入り、由香里はピアノを習っていた経験からキーボード担当に、予想通り高校では書道部だったらしい玲奈はベースに初挑戦なのだという。郁美はサークルには入らず、付属図書館でのアルバイトを始めた。高校まで筋金入りの帰宅部だった私はというと、同期に誘われても先輩に声をかけられても、なんだかんだと理由をつけてすべて断った。断り文句を口にするたびにマリーが私の気持ちを尊重してくれているのを感じたが、唯一、由香里から軽音楽部に誘われた時だけはマリーの心が大きく揺らぐのがわかった。
 私が一番不安視していたのは、やはりマリンバの実技レッスンだった。四十代くらいの女性の先生に師事し、マリンバの演奏を学ぶのだが、ここでマリーは驚くべき活躍を見せた。私は、「任せておいて」と自信満々なマリーの言葉に半ば縋るように、自分の身体の主導権を完全にマリーに預けた。そんなことができるのかと思ったのだが、できないことはないようだ。マリーには本当にマリンバの経験があったようで、私自身には経験のまったくなかった二本バチでの課題をすぐにクリアして、四本バチでの曲のレッスンに入った。四本のバチ―つまり片手に二本ずつバチを持つことになる―でマリンバを叩くところなど、吹奏楽部で打楽器担当だった穂乃果の姿をコンサートで見た印象しかなかった。そんな私が実際にそれをやってのけていることが、レッスンのたびにただただ不思議だった。
 講義や実技、それに空き時間の端々に、引っかかるものがあった。ただ人前が得意というだけとは思えないほどの、マリーの場慣れした立ち振る舞い。言葉にこそしなかったものの、軽音楽部入部の誘いには明らかに乗りたがっていた。初めての四本バチのレッスンで、先生が「藍川さんと同じ癖のある学生を教えたことがある」と不思議そうに漏らしたこと。心に引っかかっていく小さな疑問を、アパートに帰って一人になるとマリーに問いただしてみるのだが、マリーはというと言葉を濁してばかり。私のもやもやは未解決のまま、どんどん心の中に沈殿していくのだった。そしてそのまま、私とマリーしか知らない不思議な二人三脚の大学生活は続き、あっという間に一月が経ってしまった。
「マリー、その後どうなの? なんともないの?」
 食堂でうどんをすすりながら、郁美が少し落とし気味の声音で尋ねてきた。
 連休も過ぎ、私も高校時代までとかけ離れた環境に慣れ始めてきた。今日はいつもならこの後にあるはずの講義が休講になり、私はもう大学に用事はなかった。アルバイトが休みの郁美も同様に昼食を摂ったら帰ると言っていた。由香里と玲奈はサークル棟に行って練習に励むようだ。そんな話からの、突然の問いだった。
「ああ、うちに『出る』かって話? なんともないない。至って平穏無事」
 私、の声を借りたマリーが笑った。郁美は「ならいいけど」と言いつつもすっきりした顔をしていない。平気なそぶりで唐揚げ定食のキャベツを口へ運ぶ私の身体に、そのアパートに出た幽霊が今まさに取り憑いているのだが。
「マリー、あのさ。ちょっと言いにくいんだけど」
 カレーライスの手を止めて、由香里が口を開いた。それから、隣に座る玲奈とちらりとアイコンタクトを取って、いつものようにやや勢いのある口調ではなく本当に言いにくそうに続けた。
「軽音の先輩で、ちょっと気になること言ってた先輩がいてさ」
 ね、と玲奈に振り、玲奈は困ったように小さく頷く。なんとなく不安になる私に反して、マリーが話の先を急かしたくなるのを懸命にこらえているのが伝わってきた。
「偶然にしてはできすぎだ、って」
 どきりとしたのは、私なのかマリーなのか。
「それ、どういうこと?」
 恐る恐る尋ねてみるのは私の意思だ。由香里は眉に皺を寄せて首を傾げた。玲奈の方を見ても、まだ半分ほどオムライスが残っているのにスプーンを置いてしまっている。
「あのね、怒らないで聞いてほしいんだけど。マリーのアパートのこと、学生が亡くなったって噂のことね。ちょっと気になってて、先輩方に知ってますかって聞いちゃったんだよね」
「うん、それはいいんだけど」
 必死に隠そうとしているが、マリーは「それで?」と聞きたそうだ。
「軽音でドラムやってる、総合芸術学科の四年生の先輩がいるんだけど、学生が亡くなったことは確かにある、って言うから。その場にいた人、五、六人かな。やっぱり気になっちゃって、詳しく聞こうとしたんだ」
「そしたら、ね」
 由香里の話を受けて、気まずそうに玲奈が隣を見やった。
「須賀先輩っていうんだけど、すっごく怒った感じで、首突っ込まないでくれって」
 玲奈が小さな声で言う。
「私、うっかりマリーの名前出しちゃって。そしたら、かなりキツい感じで言われた。偶然にしてはできすぎだ、関わらないでくれ、って。それから、須賀先輩とはなんか話しにくくて、それ以上は何も聞いてないし、話してない」
 由香里は悩みながらそう言って、「ごめん、変な話して」と食事を再び始めた。それにつられて、残りの三人もそれぞれの食事に手をつけ始める。
「もしかして、事件、とか?」
 食堂を出て正面玄関の前で別れる間際、話を蒸し返したのは、先ほどの話を黙って聞いていた郁美だった。
「事件?」
 マリーが何も知らないふりをしているのを感じた。話を引き出すタイミングを窺っているのがわかる。
「まさか。事件なら、もっと具体的な噂になってるでしょ」
 マリーの言葉は、何か情報を持っていそうな由香里と玲奈を試しているのだろう。
「そうかもしれないけど、須賀先輩って四年生だから、まだ旧学科の人がいた時の入学でしょ。再編前の話なら、知ってる人あんまりいないかもしれないよ」
 由香里が腕組みをして反論する。玲奈も同調している様子で頷く。皆川大学は、六年前に学科の再編を行っていた。それは、受験前に大学のことを調べていて知ったことだ。在学中の学生の中では、四年生だけが旧学科の卒業生と学生生活をともにしていたことになる。それがあってか、四年生と三年生以下にはほんの少しだけ見えない壁があるように感じると、いつかの昼食時に玲奈がぽつりと言っていた。
 四年生の須賀先輩だけが何かを知っている様子であること、私の話を出した時に怒っているようだったこと。それらは旧学科からの再編とマリーの未練が何らかの関連を持っているのではないかと思わせた。
「そうでも、事件ならもう少し地元の人の噂になる、かも」
 「事件」というワードを持ち出しておいて、郁美の口調はしぼみ気味だ。私はマリーの意思をわざと無視して、思い切って発言してみることにした。
「今まで気にしなかったけどさ、やっぱり自分の住んでる家のことだから。本当のことが知りたいって、私は思う」
 三人の視線が一様に私へ向く。震えてしまいそうになったが、口に出した言葉は引っ込めることができない。思わず下を向きたくなるのを、マリーは許してくれなかった。
「まあ、マリーにしてみればそうだよね。私、他の四年生の先輩にそれとなく聞いてみようか」
「私も、なにかわかったら教えるよ」
 由香里が一番にそう言ってくれた。玲奈も協力してくれるようだ。
「私は、あんまり力になれそうにないけど、地元民としてちょっと調べてみるかな」
 郁美も私のことを思ってくれているようで、なんだか不思議な気分になる。高校まで、穂乃果以外の同級生とはほとんど親しくしていなかったから、友達が自分のために動いてくれるという状況がピンと来ないのだ。嬉しいような、恥ずかしいような、今までに感じたことのない気持ちだ。
「みんな、ありがとう」
 うまく笑顔で言うことができただろうか。いや、きっとマリーがうまくやってくれている。三人が口々に私を案じる言葉をくれて、由香里と玲奈はサークル棟へ、私と郁美は帰路についた。
「綺麗だよね、桜」
 自転車を押す郁美が視線を遠くへ向けてぽつりと言った。その先には、私のアパートへの通り道にあたる桜並木がわずかに見えている。今は半分ほど散っているが、満開の時は息を呑むほど綺麗な桜が川沿いを縁取るように咲き誇り、ちらちらと光を反射する澄んだ川面も相まって、桜の名所と謳っても恥ずかしくないのではないかとすら思った。
「初めて見た時はびっくりしたよ。本当に綺麗だった」
「そうでしょ。私、小学校の友達と毎年見に行くんだ。隠れた花見スポット、みたいなね」
 郁美は自慢げだ。生まれ育った街に誇れる絶景があるというのは羨ましい。私の地元は、これといって名所と言えるようなスポットを持たない寂しい田舎町だ。
「綺麗だよ、とは聞いてたけどね」
「えっ、誰に?」
 失言だった。オリエンテーションの日にマリーが「綺麗だよ」と言ったのが記憶に残っていて、うっかりそのまま口に出してしまった。サークルにも所属せず、アルバイトもしていない私から考えれば不自然な話だ。マリーの存在を不用意に伝えてしまってはよくない。不利益はないのだが、幽霊の存在の信憑性から話が始まってしまうと私の手に負える自信がない。
「まあ、近所の人、かな」
「そっか」
 郁美は気に留める様子もない。なんとか切り抜けることができたようだ。
「いっちゃん、旧学科の時の大学ってどんな感じだったかって知ってる?」
「うーん、私もよく知らないんだよね」
 郁美の申し訳なさそうな返答。「そうだよね」と、この話を深堀りするのをやめるマリーの意思が伝わる。
「私こっちだ。じゃあ、また明日」
 郁美が自転車のサドルに跨る。気付けば分かれ道まで来ていた。
「うん、また明日」
「何かあったら言ってよ」
「本当にありがとうね」
 ペダルを踏み込んで小さくなっていく郁美を見送ってから、アパートへの道を歩いていく。郁美が誇らしげに見ていた桜並木で歩調を緩め、ピンク色が散りかけた眺めをゆっくりと過ぎていった。
(マリーも見に行った? あの桜)
(うん、友達とね。お弁当なんか作っちゃってさ)
 マリーが懐かしく、大切に思っている記憶なのだろう。心がぽかぽかしてくる。
(さっきの話。マリーが死んじゃったのって、何かの事件のせいなの?)
(事件、っていう事件ではないよ)
 マリーは一瞬言い淀んだ。事件という事件ではなくとも、普通の亡くなり方ではなかったことを想像させるような言い方だ。
(マリーの会いたい人って、もしかして、うちの大学の軽音に関係がある?)
(ある、ううん、あった)
 苦々しい様子のマリーだが、私は初めてマリーがはっきりと私の問いに答えてくれたことに驚いた。
(じゃあ、旧学科とも関係ある? 須賀先輩っていう四年生の先輩とは?)
(須賀くんか)
 マリーは黙ってしまった。ここで掘り下げてはいけなかったか、と反省して、心をなるべく無にして歩いた。アパートに帰り着き、座椅子の上でくつろいだ体勢を取る。何かを考え始める前にマリーがこう言い出した。
(まりあ、須賀くんと話せないかな)
「えっ、私が?」
 一人の部屋にいる心の緩みからか、うっかり大きめの声が出てしまった。
(須賀くんと話してみたい)
 マリーの声は真剣だった。マリーがいるとはいえ、見知らぬ人、それも先輩と話すことには大きな抵抗を感じた。しかし、マリーが未練を持ったままだと、私はいつまでも幽霊に取り憑かれたままの状態なのだ。今の私が取れる最善策は、ここで動くことだ。
「由香里と玲奈に聞いてみる」
 マリーとはギブアンドテイクの関係。マリーがうまくやってくれるのなら、私もそれほど気負わずになんとかできる。そう信じるしかない。

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