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当事者が支援者になることって?

医療・福祉が身近にある当事者がそれに興味を持ち、学んで、実際の支援者を目指すことは自然だと思う。
実際、大学の福祉学科には当事者の仲間がたくさんいたし、こども病院で出会った闘病仲間は今、東京の病院でCCUの看護師さんになっている。
だけど当事者が支援者になるときには多くの葛藤と壁がある。
わたしも車椅子ユーザーでありながら医療ソーシャルワーカーとして仕事 をしたことで、例外なく経験した。
今回は「目に見える障がい当事者」の支援者としての葛藤を書きたいと思う。

支援者が当事者だったらクライエントの気持ちがわかる?

わたし当事者なんで、クライエントの気持ちわかります!っていう支援者はむしろ危険だと思っている。
例え同じ病気でも、同じ年齢でも経験や感じ方はひとりひとり違うので、わかったつもりでいると齟齬が生まれ、支援関係は破綻するだろう。
だからわたしは安易に当事者性を出して、わかるわかると事を進めることはせず、ソーシャルワークの理論や技術で仕事をするようにしてきた。
たぶんそこは当事者性の少ない支援者より意識して、誰よりも理論や技術にこだわった。
今となってはちょっとこだわり過ぎていたと思うこともある。

ただ、信頼関係を築くために自己開示として自分の経験を少し話したり、クライエントからわたしの障がいについて聞かれれば躊躇いなく答えた。
支援のためとは言え、こちらからクライエントに踏み込んだ話を聞いているので、こちらも開示することで対等な関係を築きたいと思った。
もしかしたらそういう場面ではちょっとだけ当事者性が役に立ったかもしれない。

健常の支援者と同等のサービスが提供できている?

これは支援者としてサービスを提供している間、ずっと葛藤していた。
葛藤場面は大きく分けて3つ。
1、サービス内容に付随した配慮
例えば患者さんと目線を合わせて話すとか、相談室に入る時ドアを開けるとか、サービス(ここでは相談援助)に付随したちょっとした気遣い。
わたしが車椅子でベッドサイドに行くと、患者さんがスペースを空けてくれたり話しやすいように起き上がってくれることが多かった。
患者さん自身がわたしに目線を合わせるためにしゃがんだり、相談室やお部屋のドアの開閉など上げればきりがない。
上記は提供するサービス(相談援助)と切り離すこともできるかもしれないが、自分が車椅子であることで、どこか自分の中で「不完全な支援者なのでは」という認識から生まれる葛藤は少なからずあった。

2、当事者性の支援への影響
「ねえちゃんに心配されるなんて情けない」と年配男性のクライエントに言われたことがある。
誰しも自分の困りごとや生きづらさを誰かに話したり相談することは勇気のいることであり、自尊心も傷つく。
その相談相手が、20代・女性・障がい者・小柄というアイディンティティを持っていて、支援者として現れたらどうだろう。
受け止め方の是非は別として、今の日本社会でのジェンダー論やインクルーシブ教育などの話を考えると、フラットに受け止められる人の方が少ないと思う。

あと、これは想像の域だけど、病気や障がいがなかなか受容できないときに、受容してそうで支援職として働いている人間が目の前に現れた時にどんな反応を抱くか。
そう考えたら回リハの担当はちょっとやりにくいなぁと思っていた。(ちなみに実践経験は急性期と療養しかない)

3、クライエントの価値観の受容と自分の尊厳の相反
クライエントから差別的発言を受けても批判できない。
これにはわたしの受け止め方の問題もあると思うし、具体的に何を言われたかとかは割愛するが、受容と包摂のジレンマってこれかぁと思ったことはあった。

ここまで書いた葛藤は、わたしの障がい受容度とも関連はあると思うが、そこまで考えるとわたしはいつも訳分からなくなる 笑

支援者になるにあたって当事者だからと配慮を求めることは難しい?

残念ながら医療福祉の現場に余裕はまったくなく、支援が必要な同僚や部下に時間を割くことは難しいことが多い。
面談室の消毒の作業やプリンターの用紙交換を頼むのも申し訳ないほど。
就活時には、物理的配慮さえお願いすれば、他の人と同じように仕事ができることをアピールするしかなかったが、医療福祉のバックヤードには物理的な配慮をかなえられるスペースも少なかった。
よく病院はバリアフリーだから職場としては最高だという言葉も耳にするが、実際バックヤードはバリアだらけである。
これはハード面の話。

ソフト面では配慮を求める必要はないと思っていたが、先に書いたようなジレンマが多い分、支持的機能強めのスーパービジョンを受けるとか、セルフケアが充分にできる状況とかも必要だったかもしれない。

支援者を目指す障がい当事者の方へ 

なんか障がい当事者が支援者になるのは大変そうに書いてしまったかもしれないけど、答えのない物事を考えることが好きになったし、色々な価値観に触れられたのは本当によかったと思っている。
障がいにより「奪われた経験」が多い分、支援者になって得られたものは多い。

最初にも書いたけど、医療福祉が身近にあったから学んで支援者になろうというのは自然なことだと思う。

障がい当事者のわたしが支援者になって大切だと思うことは、
・ソーシャルワークの理論や技術を磨くこと
・葛藤に潰されない状況をつくること
(支持的機能強めのスーパービジョンを受けるとか、セルフケアを充分にできるとか)

障がい当事者が支援者として活躍できる場が増えることを願ってやまない。

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