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言葉から始まる〜九段理江「東京都同情塔」【読書感想】

私はしばらく小説作品から離れていたのだが、本作で一気に引き戻されたように思う。芥川賞受賞、押韻の効いたタイトル、そんな軽い興味からかなり深くまで引きこまれた。まさに今という時節に読むべき1冊だったと思う。

《あらすじ》
ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名沙羅は、仕事と信条の乖離に苦悩しながらパワフルに未来を追求する。

「東京都同情塔」は言葉そのものを巡る洞察に満ちた作品である。牧名沙羅と東上拓人という青年の語りが本作の中核を成している。しかしこの2人の関係性を掘り下げてみると、本作の人と人が通い合うことへの祈りに満ちた書としての側面が浮かび上がってくる。その点に注目してみた。


牧名沙羅の言葉

一幕と五幕の語り手である建築家・牧名沙羅の言葉数は凄まじく多い。「自分自身のことは何でも言語的に説明可能だと信じきっているみたい」と作中でも形容されているが、まさにそのように頭の中でも思考に沿うように言葉を並べ、会話の中でもあちこちに話題を飛ばしながら言葉を並べる。そしてその言葉選びには強いこだわりがあり(カタカナを嫌うなど)、強迫的に見えるほどだ。

序盤で示されることだが牧名は学生時代に性加害に遭い、自分がその出来事を説明できずに周囲に否定された経験がある。これは“言葉”に挫折した経験と言えるだろう。牧名が言語化にこだわり、不快を心の中に侵入させないように言葉によって籠城するのは彼女なりの防衛機制とも考えられる。牧名の言葉は彼女自身を守り続けたものであり、同時に彼女自身を縛りつけるのである。

彼女は決まったルーティーンを日課にし、口癖のように「〜でなければならない」「〜であるべきだ」と語り、自身のイメージを堅く守っている。まさに建築物のように、そう建ったのだから(建つべきだから)そうあるのだ、というように。そうした揺るぎない自分を構築してきたからこそ、15歳年下の友人・拓人に対して自分に抑圧的で慎重な、そして極端な接し方になるのだろう。


拓人の心

本作の2幕、4幕の語り手となる東上拓人は非常に美形の青年として描かれる。牧名から目を掛けられた年下の友人として登場する彼は、身なりを整えることで、豊かで恵まれた何でも持っている若者に見える外見をしている。しかし実のところは育ちに大きな問題を抱える。父親はおらず、母親からは生まれたことを否定され続けてきた。そうした経験が彼の達観した目線を養ったのだ。

拓人は牧名の言葉遣いなどに母親の姿を繰り返し重ねる。幼児期に母親を欲望し、父親の存在でそれを断念し成長するのはフロイトが提唱したエディプス・コンプレックスの概念だが、拓人は生まれてから母親の愛情を受けず、父親もおらず、その欲望は断念されぬまま保存されてきたのだろう。母の代替として牧名を見る時、その欲望は変形し、どこか憐みを持つものになっている。

あれだけ自分の言葉に自信を持ち、その思考で未来を予見できるとまで語る牧名が、拓人の素性を完全に誤解してしまうという点が興味深い。この2人の会話が深まるにつれて、言葉の不確かさがじっくりと炙り出されていく。牧名が圧倒的に能動的な存在として描かれる一方、拓人は受動的にしか生きてこなかった姿が描かれ、その対比もまた2人の不可思議な結びつきを象徴している。


東京都同情塔の言葉と心

犯罪者を「同情されるべき人(ホモ=ミゼラビリス)」と扱い、新宿のタワーマンションで外に出れない以外は何不自由ない暮らしをしてもらう、という「シンパシータワートーキョー」の計画が本作の物語の中心にある出来事である。”タワマン文学“などとは全く異なる角度から、階級や格差を眼差し、その「シンパシー」という言葉の真意を読者へと問い掛け続ける物語の運びをする。

牧名が“人間”を指して「思考する建築」と語る描写があるが、ならば建築物は「思考しない人間」ということになるだろう。牧名は建築家としてのキャリアの到達点として、東京都同情塔なる「思考しない」建築を生み出した。均質に保たれた健全な心のために、ただ最上級のケアを提供するというあまりに思考もなく、議論や対話を受け付けない塔は牧名の無意識が析出したように思える。

支配欲が強かったから建築家になった、という牧名の言葉に沿うならば、塔というのはメタファー的にも男性的かつ支配的なものであるし、この建築物の意義としても理想的だ。さらに、そこに完璧な建築である拓人が働き、自分の伝記を書いているという状況も牧名にとって完璧なように見える。性としても、仕事としても、支配を果たし、“あるべき姿”を達成しているように思う。


しかし、牧名には“犯罪者に同情できない”という思いもある。あるべき姿を体現した先に彼女にとって全く“言うべきでない言葉“が溢れてくる。そんな世界において、彼女が最後に何を選び取るのか。私は、破壊願望の先で、もっと自由になる姿に見えた。自分を縛っていた言葉の檻から、言葉を使って自由になるということを示唆するような。そこに一抹の希望はあるのかも、というようなラスト。そんな人と人が作り得る可能性見たのは、私があまりにもそれを望んでしまっているからだろうか。現実はいつも、言葉から始まるのだと私も思っているからだろうか。


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