若かりし頃、というか子供を産むより前の私は現実を生きていたのだろうか 感性はいつも感覚的で、擬音語的な何かや匂いや雰囲気で物事を捉えてその中にいる自分はそこに居るようで居ないようで 何故こんなに誰かに認めて欲しかったのだろう 何故こんなに自己表現をしたかったのだろう 息子と生活するようになってから認めて欲しいよ!という気持ちが薄れて、なんとも丁度良い人になれたような気がするな 他人を見る事も比べる事も減ったのが原因なのかもしれないけれど 人生何年あるのかわからないけ
39歳になり、産後にあった子宮脱が酷くなった 2年前出産した時もそうで、切迫早産で半年寝たきりだったのと、もしかしたら会陰切開の時にやられてしまったのかなと思ったりしている 以前お世話になったお医者さんに電話をしたところ、漢方とペッサリーで育児を乗り切りなさいと言われ、通院出来ずで今に至る ネットで子宮脱と調べるとビジネス的なものしか出てこない 実体験として若年層の方のものが全くない デリケートな話だしかきたくないだろうし、皆忙しくてそれどころじゃないのだろう そん
お盆初日、Twitterの誰かの投稿の水子の漫画をサラッと読んだ 茄子のお馬に乗ってお母さんにお盆に会いに帰ってくる話 涙が止まらなくなってしまった 私は今、1歳4ヶ月の男の子と毎日過ごしているけれど 彼には実はお姉ちゃんが居る 子宮外妊娠で私の右の卵管で必死に生きようとしていた命、その子は産まれてくることが出来なかった 旦那さんはその子の事を、えりこちゃんと呼び我が家は四人家族だと言っている お昼寝から目覚めた息子が家の角を指さして大泣きする 何度も何度も指をさ
先日のちょっと悲しかった事 まだ、モヤっとしています 何故かというと ありのままの自分の話をする事が受け手にとって自慢だよ!聞きたくないよ!とストレスに感じたという点で、そのストレスの中身は嫉妬からきているものなのかしら?と 人のコンプレックスに私が土足でずけずけと入り込んで、それが私への嫉妬に変わり、ストレスとなってしまったのなら私も申し訳なかった!!!と謝るべきなのかと 他者との距離感が私は掴めていなかったのは確かだと理解しています 自分の事、それは真実だし、自信が
先日、何気ないメッセージのやりとりを知り合ったばかりの方としていたところ その方のInstagramのストーリーに私の事があまり心地良くない表現で書かれていました 見てすぐに"私"の事だとわかりました 残念な気持ちでいっぱいになりました 熱心に子育て、お仕事頑張ってらっしゃる方なので色々と大丈夫なのかなーと逆に心配になりました 私はメッセージで、不快な私とあわなくて良いよ、返信不要です、これからも頑張って下さいと送り、シャットダウンさせてもらいました 若い頃からで
ストレスが溜まるとやたら物欲が発動する なんなんだろう 要らない服は沢山あるのに、新しい欲しい服は沢山ある なんなんだろう この思考が全てにおいてそんな風にする癖があるんじゃないのかな?と思ってゾッとした 家族、大切にしてる? 友達、大切にしてる? 目の前にある事ちゃん見てる? 可愛い人や優秀な人に憧れてばかりいない? そう どこを切り抜いても私はまた外へ向いている 自分の中を覗く事から逃げようとし始めると物欲が発動するみたい 若い頃に憧れていた歌手の土岐麻子さん
結婚して三ヶ月が過ぎた頃、お腹に赤ちゃんが宿ってくれた しかし惜しくもその子は子宮外妊娠で私の右側の卵管と共に切除された その後また三ヶ月が経ち、今現在の息子がお腹にやってきてくれた 37歳での高齢妊娠である事、過去の子宮頸がんの際に手術した円錐切除が気になる しかしながら妊娠当初はきつい悪阻にも耐え、なんとか生活出来ていた気がする 冬がやってきた頃、子宮頸管の長さを測る事になる そこから切迫早産が始まった 現在の日本の産婦人科では、切迫早産=ウテメンリンリトドリン
我が家の息子は一歳二ヶ月になり、すくすく成長してくれている 産後鬱の時は、笑いもしないし反応もないし、私が抱っこをするとひたすら泣いて、私は産んだ母であるけども嫌われているのだな、、、と本気で思っていた いつからか(半年過ぎた頃くらい?)笑顔が出る様になり、表情も豊かになって、出来る事一つ一つがどんどん増えて、あの頃の辛さは何だったのだろうか 喉元過ぎれば熱さを忘れる 正にそんな感じ そして、私はこのまま怠惰にどん底まで落ちてそこから元には戻れないと二ヶ月ほど前まで
今日は父の日 旦那さんにケーキを買ってきてキャンドルを立ててお父さん一年記念を祝った 私の父の事、寝る前にふと色々と想いが巡り書き留めておく 父は起業、投資、ギャンブルやらなんやらで私が幼少期に大きな爆弾の様な借金苦を3度ほどぶっ込んでくれた 言い争いや仲違いが増えどんどん父の事が嫌いになった 顔を突き合わせると喧嘩になるし、高校生の頃は体を担がれて壁に投げつけられた事もあった そんな私は"実家"という場所もどんどんと嫌いになった 家にいると言い争いが絶えないし
なんで私は女性としてこの世に生まれて来たのだろうか?とずっとその問いを追いかけていた そんな時にサンスクリット語を習いに行っていて、先生は教えてくれた "女性はシャクティという秘めたるチカラをもっているんだよ" そこから私の人生は急展開した 36歳で結婚、子宮外妊娠、切迫早産、出産、産後鬱 そして今に至る 今世の役割指名を果たす為には、自分の中のシャクティとやらを覗いてみたかった 以前は"世界平和"が夢だと語っていた女が、今はそんな事を口にしなくなった 口にしなく
私がヨガのインストラクターの勉強をし始めたのは8年前 その頃から誰かに見つけて欲しくてオープンのInstagramを開始しました こんな事が出来るようになった! こんな人と出会った! 今度こんな事するよ! とヨガしばりなく好き放題に更新を続けてきました 現在は子育て中の為、ヨガのインストラクターはしていないのですが友人、知人との繋がりが強いためInstagramは息子の事を頻繁に更新しています さて、私が何気なく続けていた事は 好き放題に自分事をInstagramで
絶賛我が家のぽこちゃん10ヶ月はベビーカーと抱っこ紐拒否 その話を私の両親に話すと、 "慣れさせないといけない、それが教育だ、 親の体もしんどいのだから言うことを聞かせないと" と言う 私は前へ習え、右向け右が本当はとても苦手な人間で人と合わせる為に顔色を伺って逆に気配り上手な人間に育った 正直、私の様にぽこちゃんはなって欲しくない 世間一般でいう良い子はくそくらえ思想な私に育てられている子供だからか、食べたくないものは食べたくないし、ベビーカーも抱っこ紐も嫌、触りた
先日、私の私物が沢山入った段ボールを開けた 引っ越し後、というよりか妊娠出産してから一度も触れてこなかった物たち 最近の私はと言うと"私"どころではなく、心も体も疲れ切ってしまっている "私"は居なくなっていた でも、その段ボールの中に"私"は居た 大好きで通い続けた伊藤先生のサンスクリット講座でとっていたノート、ヨガのテキスト、昔掲載してもらえた友人の写真が載っているヨガジャーナル、大好きだった書籍や風くんのピアノ譜 段ボールの中を見た後、とても心が晴れやかにな
寒い日が続いていたけれど そんな中季節はしっかり生きていて 植物たちは春に向けて花を咲かせようとしている 不思議なものでそのパワーに手を引かれるのは人間だ 地球で生きてると得を沢山頂いているんだなぁとハッとさせられる 今日はシヴァラトリーの日だとヨガの仲間が皆snsに投稿をしているが 私はそんな事を意識もせず、旦那さんに物言いをしてしまった "二人でうまくやって行くためには、貴方の嫌な一面もこう言うものだと受け入れて生活している もし毎日貴方の嫌な一面を口にしていたら
この年齢になってこんな事をいうのは変な話だけれど 友達が欲しい 2年前に神奈川に引っ越してきてから人と会う事も、遊ぶ事もしてないな どんどん閉鎖的になってるな 友達ってどうやって作るんだっけか
子供を産んでから、両手を空けて外出をした事がない 我が子がベビーカー、抱っこ紐拒否だから余計そう言う風に思うのかもしれないけれど 実際、子供に言う事を聞かせる様に教育したら?と思う人もいるかもしれないが、相手は0歳児 彼にはあまり、叱りつけたり縛る様な親のエゴからくる教育の影響は与えたくないと私は考えている とにかく自由に世界が楽しいと感じて欲しい そんな中、日々思うのが子育て民に社会は厳しいと思う ただ買い物する事も子供がいると難易度があがる ただ電車に乗る事も子