切迫早産の日々
結婚して三ヶ月が過ぎた頃、お腹に赤ちゃんが宿ってくれた
しかし惜しくもその子は子宮外妊娠で私の右側の卵管と共に切除された
その後また三ヶ月が経ち、今現在の息子がお腹にやってきてくれた
37歳での高齢妊娠である事、過去の子宮頸がんの際に手術した円錐切除が気になる
しかしながら妊娠当初はきつい悪阻にも耐え、なんとか生活出来ていた気がする
冬がやってきた頃、子宮頸管の長さを測る事になる
そこから切迫早産が始まった
現在の日本の産婦人科では、切迫早産=ウテメンリンリトドリンの点滴+安静(寝たきり)が常識かのように扱われていて、その事に私は納得が出来ていなかった
医師の友人に頼んでペッサリーで様子を見てくれる病院を探してもらったり、Twitterでペッサリーをした方にDMを送ってみたりと当時は必死だった
怖い点滴と孤独の中の安静入院
絶対にやりたくない
その一心だった
妊娠してから想像していたキラキラ妊婦なんて私には1ミリも無くて、"なんなんだよ、これ"と毎日思っていたのが正直なところ
しかし足掻いても足掻いても、子宮頸管は短くなり入院する事になる
入院中は帝王切開後の方、陣痛が始まった方、同じ切迫早産の方、陣痛促進剤を入れた方、妊娠高血圧症の方、色んな方と大部屋でカーテン一枚を通して過ごした
コロナだった事もあり、誰とも一言も交わしていない
NSTというお腹につけて張りを確認する機械があり、朝起きると早速それをして早産の状況を確認する日々
最初に書いたウテメンリンとリトドリンという点滴はこの機械での張りの出方次第で始めるよと先生に言われていた
入院は阻止出来なかったけども、絶対に点滴だけはしたくない
その気持ちしかなかった
ストレスや体を縦にするとお腹の張りが強く出るらしく本当にナイーブになっていた
旦那さんには毎日のように要るモノを病院まで持ってきてもらい(コロナのため面会は出来ない)、大部屋内での音や他者の会話からのストレスが酷くて常にイヤホン、アイマスクを装着していた
勿論、歩いたり起き上がる事も出来ないから常に寝たきり、言葉通り毎日が横になっているだけだった
神経質に過ごしていた成果があったのか、お腹の張りは強く出る事がなく、予定日より一ヶ月半前に無事退院する事が出来た
寝たきり生活の合計は四ヶ月、うち一ヶ月半は病院での入院だった
体重も減り妊娠前から気がつけば5kgほど減っていた
退院後、筋肉は殆ど無くなってへろへろ、坂道を歩くのに重力がかかって歩けない、旦那さんのポーランド食器を持つだけで辛かった
出産自体は予定日より一週間前、早産に怯えていた日々は何だったのだろうと今では振り返って思える
ジャイアンみたいな看護師さんがいたり、帝王切開後の痛い痛いという悲鳴が怖かったり、孤独で辛くて先が見えなくてどうしたらいいかわからなかったり、何より体がしんどくてもう妊娠自体をやめられないのかなと何度も何度も考えた
妊娠も出産も人から聞く話とは、全然違うやん!!!なんなの!と常に思っていた
この経験が未来の産婦人科の先生に届いて欲しいなと私は思う
こんな風に苦しむ妊婦さんは、減ってほしい
息子にはお腹の中に一緒にいる間そして産後も、私の神経質やストレスに付き合わせてしまってあまり愛情を注ぐ事が出来なかったから、本当に申し訳ない気持ちになる
その分、今、沢山ギューして沢山わがまま聞いてあげようと思う
今日はこんなんおもてる
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