父の日
今日は父の日
旦那さんにケーキを買ってきてキャンドルを立ててお父さん一年記念を祝った
私の父の事、寝る前にふと色々と想いが巡り書き留めておく
父は起業、投資、ギャンブルやらなんやらで私が幼少期に大きな爆弾の様な借金苦を3度ほどぶっ込んでくれた
言い争いや仲違いが増えどんどん父の事が嫌いになった
顔を突き合わせると喧嘩になるし、高校生の頃は体を担がれて壁に投げつけられた事もあった
そんな私は"実家"という場所もどんどんと嫌いになった
家にいると言い争いが絶えないし、何でウチはこんな環境なのだろうと常々思っていた
結婚をして家を出て、36年住んでいた大阪を離れ神奈川へ引っ越した
その当初は"大阪を出る事は痛くも痒くもない"と豪語していた程
それだけ家族というものが嫌になっていた
結婚してから有難いことに男の子を授かる事になり、紆余曲折ありながらも出産
その後、私は産後鬱になる
生きているのが辛かった
子供を持つ責任が怖かった
神奈川で一人で切迫早産の頃から溜め込んでいた不安や孤独がそこで爆発した
あんなにもバリバリ働いてフットワーク軽くどこへでも風の様に動き回っていた私がこんな事になるなんて天と地だった
死にたくて仕方なくてそんな頃、私は高いビルを探したり、ネットで自殺方法を検索したり、長い紐を首に巻き付けてみたり、と異様な行動を繰り返す様になった
それを緊急事態と70歳の高齢の両親が大阪からコロナ騒動の中、半日かけて私に会いにきてくれた
孤独の中にいた私の心が、安堵に包まれた事を今も覚えている
しかし、異様な行動は治る事もなくどんどんと悪化する様になった
そんな中、父は私に言った
"いつでも大阪に帰ってきてええんやで、一人ででも、子供連れてでも、その先の事は皆で考えればいい"と
その後、精神科に強制的に入院となり、その時の付き添いも帰ってきてからの付き添いも父がしてくれた
一ヶ月ほど、一緒に生活もしてくれた
そんな父は糖尿病の合併症で緑内障の為に目がもうほとんど見えていないそう
そんな中、私の為に行動してくれた
私の産後鬱は現在、何か長い夢の中から目が覚めてあの当時の様な気持ちでは無くなった
そして、大阪へ帰省する度に、父の事を"ちゃんとお父さん"として大切に想えるようになった
こちらも長い夢の中から目が覚めた様だ
この歳になって、今更ながらちゃんと感謝やありがとうの気持ちは、親が生きているうちに伝えておかないと後悔してしまうのではないかと考えられる様になった
お父さんには今日、メッセージをして"ありがとう"を伝える事が出来た
38年間生きていて初めて素直に言葉をお父さんに向けて綴ったかもしれない
長くなったけども
今日はこんなん思える
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