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私の百寺巡礼

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五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
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#真言宗

同行二人

同行二人

同行二人
読み方:どうぎょうににん

お遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。

一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。

キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。

あしあと

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江戸品川宿を思わせる寺 品川区 真言宗醍醐派海照山普門院品川寺 私の百寺巡礼230

江戸品川宿を思わせる寺 品川区 真言宗醍醐派海照山普門院品川寺 私の百寺巡礼230

東急花御朱印巡りの最中、偶然に見つけ立ち寄ったお寺だ。
というよりも、京浜急行線沿いの旧東海道・品川宿界隈は知らなかった古刹や有名な広い寺が多かった。

海照山普門院 品川寺は、真言宗醍醐派の別格本山で大同年間(806~10)開創と伝えられる品川区で最も古いお寺です。本尊は水月観音(非公開)。東海七福神の毘沙門天を祀っています。
入口にある大きな銅造地蔵菩薩坐像は「江戸六地蔵」の一つで神田の鋳物師

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近場の修行場? 川崎市麻生区 真言宗豊山派星宿山蓮華蔵院王禅寺 私の百寺巡礼221

近場の修行場? 川崎市麻生区 真言宗豊山派星宿山蓮華蔵院王禅寺 私の百寺巡礼221

一歩足を踏み入れると旧い時代に行ってしまったかのような山の中。

王禅寺は、星宿山王禅寺と称し、真言宗豊山派にて、延喜21年(921年)に高野山三世無空上人が開山。関東の高野山と呼ばれていた。周囲には大きな樹木が茂り、この地を愛した北原白秋の歌碑がある。前庭には、樹齢450年と伝えられる禅寺丸柿の原木がある。これは、「柿生」という地名・駅名の由来となったといわれている。平成19年(2007年)に国

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丁寧な対応に心温まる 中野区 真言宗御室派十善山蓮花寺密蔵院 私の百寺巡礼192

丁寧な対応に心温まる 中野区 真言宗御室派十善山蓮花寺密蔵院 私の百寺巡礼192

この辺りは真言宗のお寺が多い。真ん前には百観音で有名な明治寺があるが、そこは真言宗東寺派だ。新井薬師を始めとし、真言宗豊山派寺院が中の国は多い。

当寺は北条氏直の持仏、将軍地蔵を本尊とし小田原城内に創建された。後、慶長16年に江戸矢の倉に方30間を拝領し、住職法印恵誉上人は本尊・将軍地蔵を捧持して移り、殿堂を結集した。 その後、正保元年に浅草寺町に土地を拝領して移転した。以来、御室法親王の隠室と

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座する御大師様 鎌倉市 真言宗大覚寺派加持山宝善院霊山寺 私の百寺巡礼190

座する御大師様 鎌倉市 真言宗大覚寺派加持山宝善院霊山寺 私の百寺巡礼190

江ノ島に向かう途中にある真言宗寺院だ。
鎌倉の良さは、タイムスリップしたかの如く、旧いまま残されている寺院を観られることだと思う。

宝善院は、真言宗大覚寺派の寺院でご本尊は薬師如来です。
また、宝善院を開山された泰澄大師が信仰された十一面観音坐像も祀られています。
この像は平安中期以前の作(伝行基作)とされ、鎌倉最古の十一面観音像の一つとされています。
泰澄大師は「越の大徳(越前(福井)・越中(

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丸子の神宮寺 川崎市中原区 真言宗豊山派日吉山神宮寺大楽院 私の百寺巡礼187

丸子の神宮寺 川崎市中原区 真言宗豊山派日吉山神宮寺大楽院 私の百寺巡礼187

東京、神奈川にまたがる多摩川。川崎市中原区にある真言宗豊山派の大楽院は多摩川沿いにある。

大楽院は奈良・長谷寺を本山とする真言宗豊山(ぶざん)派の寺院で、もとは山王社(現・日枝神社)の神宮寺を務めていました。

現在、本堂の脇壇に祀られている木造釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)(市重要歴史記念物)は高さが2m余りもある大きな作品で、印相(いんそう)(仏の手の形)は瞑想している姿を表す禅定印(

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多くの像に巡り合える場所 東京都大田区 真言宗智山派明楽山森立寺密蔵院 私の百寺巡礼186

多くの像に巡り合える場所 東京都大田区 真言宗智山派明楽山森立寺密蔵院 私の百寺巡礼186

東京都大田区と神奈川県川崎市を結ぶ多摩川。大田区側の多摩川沿いに走るのが東急多摩川線だ。私が若い時には目蒲線と言い、蒲田駅から目黒駅まで繋がっていた。現在は多摩川駅で分断され、目黒線、多摩川線となっているようだ。

この辺りは、真言宗智山派の寺院が多いことに改めて気が付いた。
最も、山を越えて池上線の方に行くと池上本門寺の末寺が多くなるのだが。

そんな中で出会ったのが、ここ密蔵院だ。

大田区の

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戦火を免れた小さなお堂に気さくな住職 世田谷区 真言宗豊山派青龍山勝国寺 私の百寺巡礼160

戦火を免れた小さなお堂に気さくな住職 世田谷区 真言宗豊山派青龍山勝国寺 私の百寺巡礼160

世田谷区というと、私のような貧しい田舎者は敷居が高い。
そんな中、松陰神社と豪徳寺の間にあったこちらのお寺。
お金がありそう。立派過ぎて入れない。と思った。

勝国寺は、吉良政忠(法号勝国寺照岳道旭)が開基となり、世田谷城の裏手鬼門除けとして丸香山薬師院と号しと号し創建、吉良家滅亡後も江戸幕府より12石の朱印状を与えられた御朱印寺として栄え、末寺6ヶ寺を擁した小本寺だったといいます。

東京は昭和

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日本三大薬師の1つ 秩父郡小鹿野町 真言宗智山派四阿屋山法養寺薬師堂 私の百寺巡礼154

日本三大薬師の1つ 秩父郡小鹿野町 真言宗智山派四阿屋山法養寺薬師堂 私の百寺巡礼154

バスを乗り継ぎ、ここまで来た。ここに来るきっかけとなったのは、昨年、小鹿野町にある十輪寺さんにて御朱印だけ頂いていたからであった。

秩父鉄道の終点、三峰口駅より小鹿野町町営バスに乗って20分ほど。

目の前にバス停があるので有難い。迷うこともない。

薬師堂ということで、もちろん本尊は薬師如来だ。
なんと!こちらは日本三大薬師の1つなのだという。

他には、神奈川県伊勢原市にある日向薬師様。

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都会を静かに見守る弘法大師様 中央区東日本橋 真言宗智山派川崎大師東京別院薬研堀不動院 私の百寺巡礼147

都会を静かに見守る弘法大師様 中央区東日本橋 真言宗智山派川崎大師東京別院薬研堀不動院 私の百寺巡礼147

日曜日の早朝だったからだろうか。
東日本橋と言えば激込みのイメージがあるのだが、私が訪れた時の東日本橋界隈は人もまばらであった。

地下鉄の駅を出る時には、出口を間違えないこと。

B3以外の出口に行ったら目的地に辿り着けないであろう。

駅を出ると、旗が並んでいる。おおお、わかりやすい。感謝。

ということで、目的地である、川崎大師分院薬研堀不動院に到着。

御本尊・不動明王尊像は、崇徳天皇の代

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下山の思想 横浜市保土ヶ谷区 高野山真言宗西方山大仙寺 私の百寺巡礼123

下山の思想 横浜市保土ヶ谷区 高野山真言宗西方山大仙寺 私の百寺巡礼123

山は登るだけで終わりではない。頂上でずっと過ごすわけではなく、やがては下るのだ。人生も同じ。

想えば、私の人生はずっと何かを目指して登っていたような気がする。大したものでもないのに。
そんなある日、いきなり突き落とされたのだ。

横浜市保土ヶ谷駅近くにある大仙寺は神戸山惣持院神宮寺と号して天禄年間(970-973)に創建、その後衰微したものの、応永年間(1394-1428)に鎮淳法印(応永28年

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三福かえる🐸 小田原市 東寺真言宗高田山満願寺円蔵院 私の百寺巡礼105

三福かえる🐸 小田原市 東寺真言宗高田山満願寺円蔵院 私の百寺巡礼105

高田山満願寺円蔵院はもと国府津の宝金剛寺の末寺で、現在は東寺真言宗である。源頼朝公が府中十八ヶ村の八幡社の取締りとして祀ったものが、今の高田若宮八幡で、その別当が当寺であった。頼朝公が政子御前の安産を祈願して満願寺号を下賜したとの伝えがある。当寺境内にある聖天堂の歓喜尊は、明治15年に境内の竹林より出現。子孫繁栄を祈る有徳の神様で、毎月16日が御縁日である。又、大祭は4月16日に盛大に催されます。

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桜とお堂 横浜市南区 高野山真言宗医王山東光寺 私の百寺巡礼104

桜とお堂 横浜市南区 高野山真言宗医王山東光寺 私の百寺巡礼104

横浜市南区の久保山は火葬場、市営墓地とある為か、お寺が多い。この東光寺のその一つだ。

医王山東光寺について。
はじめ戸部村の東方西戸部反目六二番にあったが、横浜開港後の市街地の発展と、久保山共葬墓地開設にともなう環境の変化によって、明治三五年一〇月一三日、現在の地に堂宇を建立して移転したものである。
昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲によって灰燼に帰し、昭和二五年六月一五日木造平屋トタン葺、間口五

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気さくに話の出来る寺院 横浜市保土ヶ谷区 高野山真言宗羯摩山円福寺 私の百寺巡礼75

気さくに話の出来る寺院 横浜市保土ヶ谷区 高野山真言宗羯摩山円福寺 私の百寺巡礼75

横浜市南区、西区、保土ヶ谷区は真言宗の寺院が多い。
南区の薬王寺住職様に教えていただいたように、赤門東福寺が中心となっている。こちらの円福寺さんも同じである。

こちらを訪れた時に、応対してくださったのは、年配の女性であった。
多分、住職のお母様?
あ、よくあるパターンのように、「住職がいないから」と、ここで断られるかな?と諦めていた。
というのも、そのような事がかなりの数に上るからだ。

だが、

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