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「黒いめんどり・・・」と「貝の火」

「黒いめんどりと地下のこびとたちの物語」(黒いめんどりあるいは地下の住人達)は,アントニー・ポゴレリスキー作(室原芙蓉子訳):新読書社(東京)とラドガ出版所(モスクワ)の共同出版として発行されました.私のロシアの友人Igorが,ロシアで有名な物語であるとして,この本を送ってくれたのは,1988年12月のことでした.35年も経ち,本の内容はすっかり忘れていましたが,今回読み返してみると大変面白いことに気づきました.
アントニー・ポゴレリスキーの「黒いめんどり・・・」は,宮沢賢治の「貝の火」に繋がるものがあります.翻案とかオマージュとかの視点で考察してみましょう.
ぜんたい,私は宮沢賢治の作品が大好きで,いくつかの作品の解説も書き教材にもしていました.例えば以下などをお読みいただければ幸いです:

「貝の火」も,賢治の作品のうちで大好きな作品の一つです.
以下の青空文庫で読むことができますので,そちらでお読みください.

「黒いめんどり・・・・」は,以下にあるようです.

しかし,現在,入手は困難かもしれません.そのため,この話は概略わかる程度に補いながら,進めるようにします.「黒いめんどり」とは黒魔術の魔道儀式を連想するような響きがありますが,これは,地下のこびとたちの魔法の世界と現実世界の交流物語です.

まえがきを引用:ーーーー

子供のための魔法のものがたり「黒いめんどり・・・」は,1829年にアントニー・ポゴレリスキーが書いて,出版されたものです.
ポゴレリスキー(1787年~1836年)は,当時のロシア社会で最も高い教育を受けた人の一人で,同時代の代表作家プーシキンの友人でもあります.
黒いめんどりの話は,ポゴレリスキーが自分の甥アリョーシャのために書いたものです.そのアリョーシャは,後に有名な詩人となったアレクセイ・トルストイのことです.
ポゴレリスキーは,現実と空想の世界を結びつける名人でした.
このお話でも,当時のペテルブルクの生活,学校という現実の生活と地下のこびとたちの魔法の世界がみごとに描かれています.
ロシアの大作家レフ・トルストイは,ポゴレリスキーのこのお話が特に気に入って,このお話のすばらしさは,決して大作家プーシキンの作品にひけをとらないと明言しています.ーーーー(引用終わり)

「貝の火」は「黒いめんどり・・・・」のオマージュか

これら二つの物語は,舞台セットも登場人物も全く違う作品に仕上がっており,独立作品であると思うのも自然なことです.
私は,まず,これらの話の根底には同じ思想があることを指摘しましょう.次に,共通の根底思想のどこに違いがあるのかを考察します.

黒いめんどりは,ペテルブルク市のワシリー島にあった寄宿学校生のアリョーシャの物語です.アリョーシャは,9歳か10歳,りこうでかわいい少年.勉強も良くでき,みんなに愛されていました.ただ,両親がペテルブルクから遠いところへ住んでいたので,土曜日が来て友達はみんな親元に帰ってしまうと,孤独でさびしさをひしひしと感じるのでした.塀で囲まれた寄宿学校の庭には,にわとりたちがいて,アリョーシャはパンくずを持って行ってあげたり,にわとりたちと仲良しでした.それらのなかでも,黒いめんどり(クロ)と気が合い,クロはアリョーシャに良くなついていました.
事件は,視学官が学校に来るので校長先生も奥さんもてんてこ舞いの日に起きました.料理女は,にわとりを捕まえにやってきて黒いめんどりが捕まってしまう.「ねえ,トリーヌシカお ばさーんおねがいだから,ぼくのクロにかまわないでよ!」アリョーシャがいきなりおばさんの首にとびついたので,クロはそのまにぱっと逃げだし,屋根の上までとびあがり助かる.
視学官が到着し豪華な会食が終わると,アリョーシャはテーブルを離れてよい許可をもらって庭に遊びに出る.もう日暮れが近かったが,クロが嬉しそうにアリョーシャに駆け寄ってきた.
その晩,アリョーシャのベッドの下にクロが現れる.その夜のクロは言葉がしゃべれるのだ.地下のこびとの国に行くには色々な防衛線を乗り越えなければならなかったが,次の晩もクロが現れ,とうとう地下のこびとの国へ導いてくれる.実はクロは,地下のこびとの国の大臣であった.アリョーシャは王様から「何か望みのものはないかな?」と言われる.アリョーシャは思いつかなかったが,「ぼく,勉強しなくても,出される宿題はなんでもすらすら答えられるようになりたいな」と言ってしまう.

二つの物語の主人公(寄宿学校生アリョーシャ;ウサギの子ホモイ)は,他の命(黒いめんどり;ヒバリの子供)を救いました.主人公の行為は,無欲の純粋な善意からでした.この行為により,それぞれの国の王様(地下のこびとの国;鳥の国)から素晴らしい褒美(宝珠と呼びます)を頂くことになる.アリョーシャもホモイもそのようなものは,要らないと断るのだが,結局,宝珠を持たされてしまう.この宝珠は,一粒の「麻の種」であったり「貝の火」であったりする.
自分では望まないのに宝珠を持たされてしまい,それを持ち続けるためには条件がある.その条件は,「地下のこびとの国のことは外で絶対秘密にする」という王様との約束であったり,立派な行動をして決して他人をいじめたりしてはいけないというものだ.この「麻の種」をポケットに入れているだけで,勉強をしなくても,どんな宿題や問題をだされようともそれに完璧に答えることができる.ホモイの「貝の火」の場合は,特に効用はないのだが,その火炎の美しさは実は良心のバロメータであるのだ.
アリョーシャの驚異的な学力も,ホモイが「貝の火」の所有者であることも,周囲から尊敬を集めることになる.急に偉くなった主人公に対し,みんなの態度が変わってしまう.それにも増して主人公の心も行動も変化し傲慢になるのだ.結局,条件を守り切れず,ついに破綻が起こることになる.
自分では望まないのに宝珠を持たされてしまい,それを持ち続けるための条件を守り切れず,罰が下るというのが,これらの話の根底にある.なんとも理不尽なことではないか.
罰は,「黒いめんどり」では,地下のこびとの国に課され国民全部がどこかへ引っ越すことになる.大臣である黒いめんどりが別れに現れる.
「君のあさはかな態度がもとで,私は罰としてこの鎖をつけることになったのだ」「だが,泣いてはいけない,アリョーシャ!君の涙は私にはなんの助けにもならない.私の不幸をなぐさめる方法はたった一つ.心を入れかえるようにつとめて,またもとのような良い子になることなのだよ.では最後にもう一度,さらばだ!」・・・・アリョーシャは床に倒れており元気になるまで六週間ほどかかった.
一方,「貝の火」ではホモイに課される.
・・・・・ホモイのお父さんがただの白い石になってしまった「貝の火」をとりあげて,「もうこんな具合です.どうか沢山笑ってやってください.」と云うとたん,貝の火は鋭くカチッと鳴って二つに割れました.・・・・・
ホモイが入り口でアッと云って倒れました.目にその粉が入ったのです.
・・・・・・・・それにホモイの目は,もうさっきの玉のように白く濁ってしまって,まったく物が見えなくなったのです.・・・・・・・・
「泣くな.こんなことはどこにもあるのだ.それをよくわかったお前は,一番さいわいなのだ.目はきっと又よくなる.お父さんがよくしてやるから.な.泣くな」・・・・・
私はこの最後のお父さんのことばが一番好きです.
ここが,この話のきもです.「こんなことはどこにもある」でしょうか?「よくわかったお前は,一番さいわい」なのでしょうか.
ここで賢治が言いたかったことは何でしょうか?
「貝の火」は,宮沢賢治(1896年~1933年)の作品です.賢治作品の多くは生前発表されることはなかったのですが,この作品も私には完璧に見えますが,宮沢賢治はこの原稿を未定稿と記し,さらなる構想の進化をきびしく模索していました.「因果律を露骨ならしむるな」との書き込みがあります.貝の火が象徴するものをもっと明確に表現したいと改稿を考えていたのです.

宮沢賢治とポゴレリスキー

宮沢賢治(1896年~1933年)は,ポゴレリスキー(1787年~1836年)の100年後の時代を生きた人ですし,遠いペテルブルクのことですから,この二人が現実に出会ったことはありません.しかし,宮沢賢治がトルストイなどのロシア文学を読んでいたことは良く知られています.宮沢賢治は,本を読み時空を超えて旅をし,多くの人々に出会いました.きっと,ポゴレリスキーにもアリョーシャにも黒いめんどりにも出会ったことでしょう.

宮沢賢治「旅人のはなし」からーーーー以下引用

・・・・・その旅人は永い永い間,旅を続けていました.今頃もきっとどこかを,どこかで買った,洋傘をひきずって歩いているのでしょう.・・・
旅人はある時,「戦争と平和」と云う国へ遊びに参りました.そこでは彼はナタアシャやプリンスアンドレィやに会いました.悲しみや喜びやらの長い芝居を見てしまって最早この国を出ようとするとむつかしい顔をしてその国の王様が追いかけて参りました.・・・
旅人は行く先々で友達を得ました.・・・それはそれは随分遠くへ離れてしまった人もありました.旅人は旅の忙しさに大抵は忘れてしまいましたが・・・・この人たちを思い出して泪ぐみました.・・・・・
盛岡高等農林学校に来ましたならば,まづ標本室と農場実習とを見せてから植物園で苺でも御馳走しようではありませんか.新しい紙を買って来て,この旅人のはなしを又書きたいと思います.ーーーーー(引用終わり)

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