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フクジロの話(ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記より)


ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記,宮沢賢治より
(日本の文学36,金の星社,1986)
・・・・・・・前略・・・・・・・
フクジロがよちよちはいって行きますと、荒物屋のおかみさんは、怖がって逃げようとしました。おかみさんだって顔がまるで獏のようで、立派なばけものでしたが、小さくてしわくちゃなフクジロを見ては、もうすっかりおびえあがってしまったのでした。
「おかみさん。フクジロ・マッチ買ってお呉れ。」
 おかみさんはやっと気を落ちつけて云いました。
「いくらですか。ひとつ。」
「十円。」
 おかみさんは泣きそうになりました。
「さあ買ってお呉れ。買わなかったら踊をやるぜ。」
「買います、買います。踊の方はいりません。そら、十円。」おかみさんは青くなってブルブルしながら銭函からお金を集めて十円出しました。
「ありがとう。ヘン。」と云いながらそのいやなものは店を出ました。
 そして今度は、となりのばけもの酒屋にはいりました。見物はわいわいついて行きます。酒屋のはげ頭のおじいさんばけものも、やっぱりぶるぶるしながら十円出しました。
・・・・・・・・略・・・・・・・
「これはいかん。実にけしからん。こう云ういやなものが町の中を勝手に歩くということはおれの恥辱だ。いいからひっくくってしまえ。」とペンネンネンネンネン・ネネムは部下の検事に命令しました。
・・・・・・・・略・・・・・・・
「こら。その方は自分の顔やかたちのいやなことをいいことにして、一つ一銭のマッチを十円ずつに家ごと押しつけてあるく。悪いやつだ。監獄に連れて行くからそう思え。」
 するとそのいやなものは泣き出しました。
「巡査さん。それはひどいよ。僕はいくらお金を貰ったって自分で一銭もとりはしないんだ。みんな親方がしまってしまうんだよ。許してお呉れ。許してお呉れ。」
 ネネムが云いました。
「そうか。するとお前は毎日ただ引っぱり廻されて稼がせられる丈けだな。」
「そうだよ、そうだよ。僕を太夫さんだなんて云いながら、ひどい目にばかりあわすんだよ。ご飯さえ碌に呉れないんだよ。早く親方をつかまえてお呉れ。早く、早く。」今度はそのいやなものが俄かに元気を出しました。
 そこで
「あの車のとこに居るものを引っくくれ。」とネネムが云いました。丁度出て来た巡査が三人ばかり飛んで行って、車にポカンと腰掛けて居た黒い硬いばけものを、くるくるくるっと縛ってしまいました。ネネムはいやなものと一緒にそっちへ行きました。
「こら。きさまはこんなかたわなあわれなものをだしにして、一銭のマッチを十円ずつに売っている。さあ監獄へ連れて行くぞ。」
 親方が泣き出しそうになって口早に云いました。
「お役人さん。そいつぁあんまり無理ですぜ。わしぁ一日一杯あるいてますがやっと喰うだけしか貰わないんです。あとはみんな親方がとってしまうんです。」
「ふん、そうか。その親方はどこに居るんだ。」
「あすこに居ます。」
「どれだ。」
「あのまがり角でそらを向いてあくびをしている人です。」
「よし。あいつをしばれ。」まがり角の男は、しばられてびっくりして、口をパクパクやりました。ネネムは二人を連れてそっちへ歩いて行って云いました。
「こらきさまは悪いやつだ。何も文句を云うことはない。監獄にはいれ。」
「これはひどい。一体どうしたのです。ははあ、フクジロもタンイチもしばられたな。その事ならなあに私はただこうやって監督に云いつかって車を見ている丈でございます。私は日給三十銭の外に一銭だって貰やしません。」
「ふん。どうも実にいやな事件だ。よし、お前の監督はどこに居るか、云え。」
「向うの電信柱の下で立ったまま居睡りをしているあの人です。」
「そうか。よろしい。向うの電信ばしらの下のやつを縛れ。」巡査や検事がすぐ飛んで行こうとしました。その時ネネムは、ふともっと向うを見ますと、大抵五間隔きぐらいに、あくびをしたりうでぐみをしたり、ぼんやり立っているものがまだまだたくさん続いています。そこでネネムが云いました。
「一寸待て。まだ向うにも監督が沢山居るようだ。よろしい。順ぐりにみんなしばって来い。一番おしまいのやつを逃がすなよ。さあ行け。」
 十人ばかりの検事と十人ばかりの巡査がふうとけむりのように向うへ走って行きました。見る見る監督どもが、みんなペタペタしばられて十五分もたたないうちに三十人というばけものが一列にずうっとつづいてひっぱられて来ました。
「一番おしまいのやつはこいつか。」とネネムが緑色の大へんハイカラなばけものをゆびさしました。
「そうです。」みんなは声をそろえて云います。
「よろしい。こら。その方は、あんなあわれなかたわを使って一銭のマッチを十円に売っているとは一体どう云うわけだ。それに三十二人も人を使って、あくまで自分の悪いことをかくそうとは実にけしからん。さあどうだ。」
 ところが緑色のハイカラなばけものは口を尖らして、一向恐れ入りません。
「これはけしからん。私はそんなことをした覚えはない。私は百二十年前にこの方に九円だけ貸しがあるので今はもう五千何円になっている。わしはこの方のあとをつけて歩いて毎日、日プで三十円ずつとる商売なんだ。」と云いながら自分の前のまっ赤なハイカラなばけものを指さしました。
 するとその赤色のハイカラが云いました。
「その通りだ。私はこの人に毎日三十円ずつ払う。払っても払っても元金は殖えるばかりだ。それはとにかく私は又この前のお方に百四十年前に非常な貸しがあるのでそれをもとでに毎日この人について歩いて実は五十円ずつとっているのだ。マッチの罪とかなんとか一向私はしらない。」と云いながら自分の前の青い色のハイカラなばけものを指さしました。すると青いのが云いました。
「その通りだ。わしは毎日五十円ずつ払う。そしてわしはこの前のお方に二百年前かなりの貸しがあるのでそれをもとでに毎日ついて歩いて百円ずつとるだけなのだ。」
 指されたその前の黄色なハイカラが云いました。
「そうだ。その通りだ。そしてわしはこの前のお方に昔すてきなかしがあるので、毎日ついて歩いて三百円ずつとるのだ。」
「ふうん。大分わかって来たぞ。あとはもう貸した年と今とる金だかだけを云え。」とネネムが申しました。
「二百五十年五百円」「三百年、千円」「三百一年、千七円」「三百二年、千八円」「三百三年、千九円」「三百四年、千十円。」
 ネネムはすばやく勘定しました。
「もうわかった。第三十番。電信柱の下の立ちねむり。おまえは千三十円とっているだろう。」
「全くさようでございます。ご明察恐れ入ります。」
 その時さっきの角のところに立って、あくびをしていた監督が云いました。
「どうです。そうでしょう。私は毎日千三十円三十銭だけとって、千三十円だけこの人に納めるのです。」
 ネネムが云いました。
「そうか。すると一体誰がフクジロを使って歩かせているのだ。」
「私にはわかりません。私にはわかりません。」とみんなが一度に云いました。そこでネネムも一寸困りましたがしばらくたってから申しました。
「よし。そんならフクジロのマッチを売っていることを知っているものは手をあげ。」
 硬い黒いタンイチはじめ順ぐりに十人だけ手をあげました。
「よろしい。すると十人目の貴さまが一番悪い。監獄にはいれ。」
「いいえ。どういたしまして。私はただフクジロのマッチを売っていることを遠くから見ているだけでございます。それを十円に売るなんて、めっそうな、私は一向に存じません。」
「どうもこれはずいぶん不愉快な事件だね。よろしい。そんならフクジロがマッチを十円で売るということを知っているものは手をあげ。」
 硬い黒いタンイチからただ三人でした。
「するとお前だ。監獄にはいれ。」とネネムが云いました。
「それはさっきも申しあげました。私はただ命令で見ていただけです。」
「するとお前は十円に売ることは知っている、けれどもただ云いつかっているだけだというのだな、それから次のお前は云いつけてはいる。けれども十円に売れなんて云ったおぼえもなし又十円に売っているとも思わない、ただまあ、フクジロがよちよち家を出たりはいったりして、それでよくこんなにもうかるもんだと思っていたと、こうだろう。」
・・・・・以下略・・・・・
■自分から見えない所で行われていることは係らずに過ごせます.知らないでいた方が楽でしょう.皆が自分の周りだけしか知らず,自分は正しいと思っていても,全体としてとんでもないことになっているかもしれません.廃棄物処理なども自分は格安に済んでよかったと思っても,違法に山の中に捨てられているかもしれません.下請けの構造や分業が全体として無責任を許す構造を作り出します.いじめの問題もこのような精神は関係がありますし,劣化が著しい政治もこのような社会の風潮の現れです.今日の新型コロナウイルスcovid-19の感染拡大でも専門家の意見を聞くなどと言って,どこで決めたのかわかりません.専門家や統計学や科学が隠れ蓑に使われています.トランス・サイエンスの時代は,稿を改めますが,科学では決定的できない問題(確率しかでない)は,私たちみんなの総意で決めるべきことです.数学や科学を隠れ蓑に利用されたくない.
自分の周囲だけ良くなればとか.自分の会社だけよくなればとか,日本だけ良くなればとか多少は仕方がないが,全体を見ないのは下品です.私はいつもこのフクジロの話を思い出します.

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