「楢ノ木大学士の野宿」と地学(その一)
「楢ノ木大学士の野宿」と地学
(これは,青空,第4号(1981),p.4-12に掲載したものです)
この夏休みの、前沢先生の、中学一年生への宿題の読書 に、宮沢賢治の「楢ノ木大学士の野宿」も加えられること になりました。私は、この物語を地学の教材として使ってみたいとかねがね考えておりましたので、チャンスとばかり生徒用に解説のプリントを作りました。この原稿はそのときのブリントに手を加え、物語の筋もわかるようにしたものです。そのために、私は、やむをえず、賢治の作品をずたずたにして、原稿中に織り込むよぅな暴挙をしました。これは、とても心が痛むことですが、教材の紹介が目的ですのでお許し願います。もちろん、生徒は、前沢先生のご指導の下、賢治の作品を通して読んでおります。
私は、この原稿で作品論を開陳する気は毛頭ありません。 かつて、天沢退ニ郎の評論「宮沢賢治の彼方へ」を読み、文学者は実に深く作品を分析するものだと感心したことがあります。そこには、私が漠然と感じていたことが論旨明解な文章になっていたのですからとてもうれしく思いました。地学的な解説としては、宮城一男に「宮沢賢治.地学と文学のはざま」などの著書があります。これは、岩石学者宮城一男が、賢治の足跡をたどり、実地に地質を観察して書いた解説です。それにもかかわらず、私が解説を付け加える気になったのは、この「植ノ木大学士の野宿」は、地学的色彩が最も濃く現れている作品で、鉱物学の教養がないと、おもしろ味が充分に伝わらぬ箇所がたくさんあるからです。この物語は、古くさい地学の教科書よりも、火山の生いたち、力コウ岩の風化、化石のでき方などについて雄弁に語りかけていると私は思います。
ぜんたい、私は、宮沢賢治の作品が好きです。宮沢賢治の人生そのものに深く感動します。私が賢治の作品に引き込まれていったのは高一の時からです。その頃、学校から帰ると、毎曰、ずいぶんよく歩きまわったものです。私は、街角や草むらなどで、ときどき、四次元宇宙からのすきとおった風に出合つたような気がしたことがありました。まだ暑い暑いと言っている夏の夕方に、美しい秋の雲を見つ け、上層の気流はもう秋になったなと思ったこともあります。この雲は、数分で消えて行きました。私は、季節の変り目に、ほんの瞬間きらりと見えるこのような美しさをみつけるのが好きです。若芽の青くさいにおいにむせながら 霧雨の中を歩いているとき、ふっとこんな考えが浮んだことがありました。私のこの体は、十の何十乗もの分子が集まってできている。これらの分子は、私が呼吸をしたり、 汗を流したりするたびに排泄され、次の瞬間には大気中にある。木の葉は呼吸し、この分子を細胞中にとり込む。それなら、逆に、今、私の体の細胞を作っている分子は、かつてはこの木の葉の細胞を作っていたものかも知れぬ。こう思ったとたん 私はとても楽しくなりました。自分は、このせまい体だけに閉じこもっているわけではない。この霧の中全体に広がっているのだ。そうだ、私の体も、木の葉も、小鳥も、みんなこの霧の中でぶかぶか浮んで漂っているのだ。私はこの思いつきがとても気にいったので、その年の年賀状には「四次元宇宙の霧の中をぶかぶか漂っているすべての生き物の本当の幸せを祈ります。」とだけ,書きました。この年賀状は意味が通じなかったらしく、谷は気が狂ったと思った人もおりました。それにこりて、以来、 年賀状はごく平凡なものにしております。
私は賢治の書間集を気にいって座右の書にしていた時期があります。賢治が年賀状に、「何もない」とだけ書いた年がありました。私も、何か書くとうそになる、賢治のように「何もない」と書きたいと思った正月は何回かありました。
羅須地人協会跡や岩手山を訪れたのが、私にとって初めての単独旅行。花巻での宿さがしも初めての経験でありました。花巻の町を登山靴で歩いていたら、「大きな皮靴だ。」 といって子供達が集まって来たことなどなつかしく思い出されます。だいぶ脱線して来たので、この辺で前口上は止めにします。
---雲母紙を張った天井---
楢ノ木大学士がすわっている部屋の天井には、雲母紙が張ってあるそうです。諸君がアイロンや卜ースターなどを分解したことがあれば、ヒーターがまかれていた無色透明な板を見たかもしれません。あれが雲母(ウンモ)という鉱物です。とてもはがれやすい鉱物で、薄紙をはぐように 際限なくはがすことができます。はがれ落ちた破片は、光線を反射しキラキラ光ります。ウンモは英語でマィカといいます。マイカ・コンデンサーという電子部品があるでしよう。あれは薄いウンモ板の両側に電極をつけたものです。ウンモは熱に強いし、電気の絶縁体でもあるので、いろいろな所に利用できます。今日では、工場で大きなウンモの結晶を人工的に作ることができるようになりました。
このようなウンモを張りつめた天井の部屋に猶ノ木大学士がゆうゆうとすわっているシーンからこの物語は始まります。
「貝の火兄弟商会」の赤鼻の支配人登場、「先生、ごく上等の蛋白石の注文があるのですがどうでしょう、お探しをねがえませんでしょうか。もっともごくごく上等のやつを ほしいのです。なにせ相手がグリーンランドの途方もない成金ですから、ありふれたものじゃなかなか承知しないんです。」
「うん探してやろう。タンパク石のいいのなら、流紋玻璃を探せばいい。……」
タンパク石は英語でオパールといいます。オパールは見る角度によつていろいろな色がにじんでいるように見える 美しいものです。しかし、オパールは宝石としてはやわらかいほうで、とても傷がつきやすく、強い日光にあたっていると色があせたりもします。結末の方での大学士の台詞 「……実際、タンパク石ぐらいたよりない宝石はないからね。今日虹のように光っている。あしたはただの石になってしまう。今日は円くて美しい、あしたは砕けてこなごなだ。……」は半分ほらですが、半分真実です。宝石だって 人間だって実にたよりない存在だと感じます。
火成岩はいろいろな鉱物がくみあわさってできている集合です。火成岩中にどのような鉱物がくみこまれているか ルーぺで観察すると、いろいろな組み合せの火成岩があることがわかります。流紋岩という岩石は、セキエイやチョウ石という鉱物がたくさん入っているので全体として白っぼく見える岩石です。ハリというのは、ガラス質の別名です。ガラス質というのは固体の状態のひとつで、液体や気 体が急激に冷え固まったときなどにできやすいものです。 ガラス質のセキエイがたくさん入っている岩石が流紋玻璃 と考えればよいでしょう。オパールは、ガラス質のセキエイの微細な粒と水の分子が結合してできている鉱物です。 大学士のいうように、宝石になるようなオパールは、流紋玻璃のすきまにできていることが多いのです。