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宮澤賢治の夢

宮沢賢治の夢一宝石合成屋になる一

賢治は妹としが入院したときに,看病で東京本郷に数ヶ月暮らしています. 1月~2月(1919年)にかけて 毎日,父宛に手紙を出して妹の状況を克明に報告しています. その時期の手紙文中には毎回たいへんな熱意で,東京で生活を立てる計画一宝石商になりたいということ一が書いてあります. 石っこ賢さんでありますからいわゆるブロ一力一ではなく宝石合成の研究所みたいなものです. 西洋では,ルビー・サファイアの合成法は発明されている[ベルヌ一イ法のこと. 2000℃以上の高温で溶融固化する]ことにも触れ,種々の宝石合成の研究を夢見ていました. イーハトブ地場の鉱産物には, 秋田の孔雀石,久慈の琥珀,メノウやオパール(楢ノ木大学士が探しに行くのはオパール,貝の火にでてくる不思議な卵はオパールのイメージです)などがあり,その販売.琥珀の再溶融による質の改良, 瑠璃に縞を入れる,宝石研磨などの地道な計画を述べています,結局,父の許可が得られず,としの転地療養も計画倒れになり,結局,皆で花巻にもどる.そして,賢治のこの夢は実現できず終 わります. その後,としの死,賢治は農学校の教師になり,地質や鉱物に親しみ,化学実験も行う.羅須地人会での肥料の設計,最後には石灰工場の技師として死の直前まで奔走しました. 合成鉱物の夢は,形を変えながら最後まで賢治を捕らえていたと思います.
今日では,賢治の夢は産業的に実現されています.
(2008.11, 宮澤賢治の実験室)

メノウ,孔雀石の写真は,ネットからお借りしました.

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