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【映画/ネタバレ】『彼女が好きなものは』評

 映画、『彼女が好きなものは』、今日観てきましたよ~~!!

 原作は、浅原ナオトさんが書いた、『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』という長編小説。簡単なあらすじを書くと、

 BL漫画が大好きで、「腐女子」を自称している女子高生、三浦紗絵は、たまたま本屋で遭遇したクラスメイトの安藤純にその趣味を知られてしまう。当初は、それを嫌がってはいたが、彼を「こちら側」に取り込むという作戦にシフトし、純と関わりを持つようになる。しかし、そのうちに紗絵は純に好意を寄せるようになる。友人たちと遊びに行った遊園地で、紗絵は勇気を出し、純に告白。純はそれを受け入れるが、彼には誰にも言えない秘密があった、、、

 という感じ。「秘密」って言っても、もう原作のタイトルに書いてあるんだけどね!!!


 そうそう実は映像化は、この映画が初めてではなくて、2019年の春に『腐女子、うっかりゲイに告る。』という題で、NHK総合で放送されていたらしい。知らなかった、、、

 というわけで、今回が2回目の実写化となる本作。


 とりあえず、今回の感想を言うと、、、

なかなか良かった!

 点数で言うと、78点ぐらいかな~~

 あ、比較対象がないとよくわからないですよね。

 2016年の『スーサイド・スクワッド』が11点で、『インターステラー』が98点って感じでした!参考までにどうぞ(^-^)(^-^)


 ではでは、細かい部分に入っていきましょう、、、

 あ、読者の方々がすでに観ている、という前提で書くので、ネタバレあります!気を付けて!!






1.高校生特有の、「みんなで恋する現象」


 1発目なのに、ゲイとかBLに関係なくて申し訳ないんですが、これから始めさせてください。共感できるポイントの一つだったので。

 自分が高校生のころ、いや高校よりも前からこういうのはあったかも。なんなら小学生ぐらいから。

 この「みんなで恋する現象」というのは、自分の高校時代を思い返してみれば絶対に誰しもが、主観的であれ客観的であれ、身に覚えがあるものなのではないか?


 この現象、簡単に言うと、1対1ではなく、集団対集団で、恋をするということだ。案外わかりづらいので、実例を用いると、高校生は男子であれ女子であれ、自身の好きな人を周りに共有することが多い。しかも聞かれてもいないのに、友達に教えてしまっているような人も案外多い。

 なので、それを教えられた友人たちは、彼/彼女のためを思って、男女グループでの外出などを仕掛けることによって、なんとかその2人をくっつけようとすることがあるのだ。

 よって、恋をしている/されている本人たちは、そのお膳立てを守っているだけですんなりお付き合いできてしまう、みたいなことがザラにあるのだ。いやもちろん例外はあるけどね。

 結果、お付き合いできることになった場合、その場にいる友人たちが「よかったな~!」などと褒め合い、その告白をした当人も狂喜乱舞するみたいな構図がよくあるのだ。まぁ今の現実ではたとえ減っていたとしても、映画やドラマの中のような象徴的な空間においては、こういうモチーフはよく見られる

 この映画でも、告白する観覧車のシーンでは、純や紗絵に対して、一緒に同行した友人たちが手持ちのスマホで動画を撮っていた。これはつまり、その「瞬間」をカメラに収めるという意識が働いていて、バスケの試合のシュートの瞬間をカメラに収めるという感覚に近いように感じる


 ここまで長々と書いてきたが、僕が思うのは、「これって恋愛を、なんらかのアチーブメントかなにかだと思っているのか?」ということだ。いや、思ってるよね、うん。

 女子or男子がお互いに助け合って、恋を実らせる過程で、告白される側の人間は、非常に気の毒な境遇に置かれかねない。特にその恋愛の応援の熱量度合いによってその気の毒さは増すのだ。

 もしもそれが「顔がタイプじゃないから」とか「もう4回も断っているのに、しつこいから」みたいな理由だったら、「あちゃー」で終わるが、「(異性に)告白された側が、同性愛者だった」という場合は、そうはいかないのだ

 恋の成就が集団戦になり、若い人たちの間でそれを達成することが、業績・成果だと捉えられているうちは、同性愛者たちの不自由な境遇はさらに深まると思うのだ。


 どう断ればいいのか。タイプじゃないと言えばいいのか、彼氏/彼女はいらないんだと言えばいいのか、どうすればいいのだろうか。

 どう答えても、「タイプじゃないなら、じゃあどういう人(異性)がタイプなの?」とか「どうして彼氏/彼女がいらないの?」という質問攻めに遭うことは目に見えているのだ。

 この「みんなで恋する現象」が悪い、淘汰されるべきだ、と言っているんんじゃなくて、この風潮の中では、自分たちが思っているよりも、人々を傷つけているということを、我々は自覚すべきなのだ、と感じた



2.ペンギンのモチーフ


 この映画にはペンギンがいくつか登場する。まずは、純と紗絵のはじめてのデートでの水族館。次に、紗絵のカバンについていた、その水族館で買ったと思われるストラップが映るシーン(純が紗絵にカミングアウトする所)。そして最後には紗絵がコンクールで入賞した絵だ。

 このペンギンの意味について勝手に解釈してみた。

 ペンギンは、ご存じの通り、水中では空を飛ぶ鳥のようにスイスイと泳ぐが、陸地に上がるとその短い脚のせいで速くは歩けない。転ぶものもいる。このような性質を持つペンギンは、まさに純自身なのだ


純は、交際(不倫)相手の佐々木誠(ゲイの男性)といる時が、何よりも幸せだと話していた。それは冒頭で彼が片道30分?かけて、誠に会いに行くシーンで述べられていた。

一方で、学校や家にいる時の純は、本来の自分、つまりゲイとしての自分でいることは許されない。学校では、友人たちに「好きな女性のタイプ」や「好きなAV女優」などを聞かれて、なんとか乗り切る毎日だ。そして家では、携帯をいじっていると、ノックをせずに自室のドアを開ける母親が、「え、それ彼女からの連絡?」という配慮のない(仕方ないけどね)言葉を浴びせてくる。純はこれらの環境では、自由に、そして伸び伸びと生きることができないのだ

 これらの条件を照らし合わせると、純にとって誠との時間は、ペンギンにとっての水中で、学校や家は、ペンギンにとっての陸となる。

 ここで証明されたように、純とペンギンの性質は非常に似ている。



3.「初恋」は、誰の初恋なのか?


 映画の最後で明かされた、コンクールで入選した紗絵の絵画作品のタイトルは、「初恋」だった。

 この絵には水中を泳ぐペンギンたちと純が、頭上の光に向かって泳いでいく姿が描かれている。

 紗絵の作品であるし、紗絵の交際相手である純が描かれているし、一見、紗絵の純に対する恋心を描いたものなのではないかと思うだろう。

しかし、本当にそうだろうか?


 まずは、登場人物のセリフを分析しよう。まず、純は映画の終盤で誠と別れた後に、紗絵に対して「はじめて本気で好きになった人だったから」と告げた。対して紗絵は、映画のラストシーンで純に別れを告げた後、純に「今まで現実の男と恋愛したことないの?」(ごめんなさい、うろ覚えです)と尋ねられた際、「そんなわけないだろ~(笑)」と返した。

 このセリフから考えて、この「初恋」は紗絵のものではなく、純のものだったのではないかと推測できる。


 この意見に説得力を持たせるために、次は絵の内容に注目してみよう。さきほど言ったように、この絵には、水中を泳ぐペンギンたちと純が、頭上の光に向かって泳いでいく姿が描かれている。

この「光」とはなにか?

 この光は、僕が想像するに、純にとっての「明るい未来」だ。つまり、男性同士でも結婚出来て、なんなら生殖までできて、「普通の」人たちみたいに生きていける未来。劇中の単語で言うならば、「BL星」である。

 この光に向かって泳いでいく純とペンギンたち。

 2つ目のパートで言ったように、ペンギンは純のモチーフだ。水中ではスイスイと泳げるが、それ以外ではダメなのだ。純にとっての水中は、誠の側にいる時だった。

 純にとっての「初恋」はこの光を求めて、ただひたむきに向かっていったものだった。自分にとっての「水中」ならば、僕はどこまでだって行けるさ、と言わんばかりに

 さらに言えば、この水中は、純にとっての理想郷、「BL星」だったのかもしれない。自分が生きやすい空間にだけ居られるのだから。

 以上のことから、紗絵の描いた「初恋」は、純のものだったのではないかと思うのだ。どうだろうか?



4.「ファーレンハイト」とは結局、何者だったのか?


 劇中で、純のネット友達として登場していた、「ファーレンハイト」。彼は自身を純よりも年上の大学生だと言っていた。

 彼の影響で、純はバンドのQueenを知り、日常的に聴くようになる。

 しかし、彼は映画中盤で純に「僕は向こう側に行く」とだけ言い残し、連絡を絶ってしまう。そして映画終盤に純が、ファーレンハイトに教えられた住所に行くと、そこには民家があった。

 そこは当然、ファーレンハイトの家で、彼の母親に案内され、彼の部屋に入ると、そこには子供用の小さい学習机と、国語辞書、世界地図などが広がった子供部屋で、その机の真ん中には中学生の男の子が写った遺影が置いてあった

 ネットでは、ファーレンハイトは大学生と称していたため、純はその状況に困惑する。彼が中学生である必要とは何だったのか?


 ファーレンハイトは、SNSのプロフィール画像を親戚の大学生のお兄さんのものにしていた。彼に恋をしてしまったファーレンハイトは、彼に告白する。しかし、当然中学生男子からの告白をOKするわけにもいかず(男性だからというわけではなく、大学生と中学生の恋愛がアカンということ)、大学生のお兄さんは、ファーレンハイトの両親に告白されたことを打ち明けてしまう

 それに困惑した両親は、ファーレンハイトを病院に連れて行った。それ以降、彼は自室から出られなくなってしまい、自殺してしまったのであった。


 このような最期を迎えたファーレンハイトであったが、僕が思うに、ファーレンハイトは、純が歩んでいたかもしれない、最も暗い人生の一例だったのだと思う

 ファーレンハイトは、病院で間違いなく「性同一性障害」と診断されたのだろう。自身の純粋な恋心に、「障害」というレッテルが貼られてしまった彼の心情は想像するに堪えない。しかも彼はまだ中学生だったのだ。

 一方で、純は幸運なことに母親にもゲイであることがバレず、仲の良い幼馴染もいて、自分に好意を寄せてくれた女性もいた。カミングアウト後も、みんなが好奇の目で見るなか、この3人だけは常に味方でいてくれた。見放さなかったのだ

 しかし純もこの未来を歩む可能性があった。

 純が、自身がゲイであることに気づいたことへの描写はなかったので、想像でしか言えないが、もしも純が中学生の時に、誠のような男性に出会っていたら、ファーレンハイトのようにならなかったとは断言できるだろうか?

 どう考えても、ファーレンハイトの最後は、純が歩んでいたかもしれない、想像しうる最悪のシナリオだったのだろう



5.純は、溺れている誠と紗絵、どちらを助けるか?


 純は、紗絵と交際しだした時期、誠と行ったディナーの席で、不安な感情からか、「僕と奥さんが川で溺れていたら、どっちを助ける?」と尋ねた。

 その時の誠は、「どうしたんだ?」と言って答えを濁したが、映画の終盤になって、「僕は妻を助ける」という回答をした。


 これはつまり、誠は純との恋愛よりも、自身の世間体をとるという決断をしたことになる。単純に、純よりも妻の方を愛しているからという理由かもしれないが、最初の質問の時に答えに迷っていたことや、そもそもそうであれば、純と不倫などしないと考えたため、その線は除外する。

 では、純の場合はどうか?溺れている誠と紗絵、どちらを助けるか?


 僕が思うに、純は誠を助けるだろう。なぜなら、純は誠と別れた際、泣いていたが、紗絵と別れた際には泣かなかったからだ

 あまりに幼稚すぎる理由だと指摘されるかもしれないが、僕はそう思う。

 純にとって、誠との恋愛は一世一代の恋だったし、一方で紗絵との恋は、恋ではなく愛であった。

 劇中で、LOVEとLIKEの違いについて述べられていたが、純は誠を愛していて(LOVE)、紗絵を大切に思って(LIKE)いたと思う


 紗絵が純のお見舞いに来ていたシーンで紗絵が「私はまだ純くんと付き合ってるつもりだからね?」と言っていたが、純は煮え切らない顔をしていたし、紗絵が別れを告げてもすんなり受け入れていた。

 いやーちょっと待てよ。でも最後の最後に、紗絵が「私が好きなものは、BLで、純くん」と言ったときに純は、「僕が好きなものは、男で、三浦さん」と言っていた。これがもし、LIKE、LOVEの順番なんだとしたら、純は紗絵を助けるのか???もうわからなくなってきた。

 意見があったら、コメントにください。お願いします(´·ω·`)



6.山田杏奈、可愛すぎる問題。


 最後だけ急にバカになってごめんなさい。

ほんとに可愛かったんです。

 特に観覧車での告白シーンと、温泉での浴衣のシーンね。たまらん

 いやーこの映画の監督?撮影監督?は、山田杏奈ちゃんの可愛い撮り方がわかってたな~ほんとに!

 山田杏奈ちゃん、ほんとに大注目の女優さんなんです。

 僕はね、KANA-BOON『涙』っていう曲のMVに出てるのを見たのが初めてでしたね。

 衝撃を受けたよね。なんだこの人は!!!みたいな。

 しかも同い年っていう。あぁ、マジかよ。

 2:05ぐらいのところの、一瞬こっちを真顔でちらっと見るところで、僕は完全に落ちました。はい。好きです。ほんとに好きです。



 以上、いかがだったでしょうか。

 僕の中では、すごく好きな映画です。

 書き忘れたんだけど、主演の二人の演技がとにかくよかった。純役の神尾楓珠くんは、病室での演技がすごく良かったし、紗絵役の山田杏奈ちゃんは、学校でのステージでの演技が最高だったな。いや、全部最高だったけどね、うん

 あとね、純の幼馴染の亮平役の前田旺志郎くんがさ、すごくよかったんだよ。そして調べたら、まさかのあの「まえだまえだ」の弟だったという、、、しかも同い年という、、、


 いろいろ衝撃的だったんだけど、ほんとに良い映画でした。

 よーし!みんな!山田杏奈ちゃんのために、もう1回行こう!!!!!!!!

 まーた明日!!!

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