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【こころの処方箋ココトバブレンド】■教鞭を取りたる父に逆らいしも教壇に立つ我の血脈

【こころの処方箋ココトバブレンド】

■教鞭を取りたる父に逆らいしも
教壇に立つ我の血脈

生前まで、国文学者であり大学の

教授をしていた父親。

また、時々にある全国紙の

文芸欄に文芸評論を書いていた父親。

そして、なにひとつ家族・家庭のことは、

すべて母親任せで、何とも我がままで

自由奔放に生きた父親であった。

幼い頃から、そんな父親を見てきて、

わたしは絶対に父親のような

人間にはなりたくないと思い、

教師には死んでもならない。

批評家は人の作品をこけ落とす嫌な存在であり、

表現者の道を選択することで父親を

乗り越えようと考えて幼年期を過ごしてきた。

そして、役者の道を選んだものの食べて行けず、

ひょんなことから、 

コピーライターの道へと進んでいった。

いいクライアントにもめぐり合えて、

それなりのコピーライターとして名を馳せた。

いまはコピーライターと

短歌作家の二足のわらじを履いて、

何とか食べていっている。

そんな、わたしに、この6月から、

「コピーライター・ライター養成講座」の 

講師の仕事が舞い込んできた。

主任講師として、6月から

12月までの6ヶ月間のカリキュラムを

四苦八苦して書き上げた。

まだ、ひとコマ(90分)の 

講義のレジュメを5枚づつ   

書き起こす作業があり、

ここのところ、そのレジュメの

作成に忙しい日々を送っているのである。

以前にも、講師としてバンタン( 

バンタンデザイン研究所)や、

静岡理工科大学でデザイン論を、

早稲田大学アジア太平洋センターの  

大学院でマーケッティング・ 

コミュニケーション論を教えてきた。

今回の講義は、まさにコピーライターを

育成するための講座である。

先日、定員30名に対して 

60名近い応募があり、

定員を絞るための面接試験をしたが、

人を振るいにかけることは、   

落とした人間に対して痛みが生じる。

また、面接の中で文章が上手いことを

アピールする応募生がいたが、

コピーライティングは

作文や文章が上手いことや、 

詩が書けるからなれる訳ではないのである。

コピーライティングは

マーケッティングの中の一環であり、

マーケット、商品の特性を分析して、

どう消費者にコミュニケーションを

図り、消費者の心を動かすコピーが

書けるかにある。

以前にある詩人たちの 

ポエトリーリーディングの会に参加した時に、

ある詩人の女性が、わたしの書いた 

コピーを見てくださいと行って来た。

それはあくまでも詩の範疇でしかなく、 

コピーは自由に書けるものではない。

商品知識、クライアントの

オリエンという縛りの中で、

どう、独創的で、アテンションの 

高いコピーを仕上げてゆくことが

理解されていないのである。

ようはコピーはマーケティング・ 

コミュニケーションであり、

企業・商品と消費者を結ぶ、

コミュニケーターだとわたしは思っている。

まあ、そんなことを前提にして、

レジュメの作成に勤しんでいる昨今です。

これも、父親からの血脈なのであろうかと、

複雑な心境で6月から教壇に立つのであります。

だだ、この合間に今年は書籍の上梓もあり、

短歌朗読のコンサート活動もあることで、

父親を超えたいと思っています。

せき せつお

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