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かけがえのない「一泊」を繋ぎつづける。-地域の方と中高生の出逢いをむすぶ、NPO法人SET民泊事業

ただ、“泊まる”だけじゃない。その「一泊」で受け取った愛が、染み渡り人生を支える体験となる。


震災直後に任意団体として発足。2013年から法人化し、岩手県陸前高田市を中心拠点に活動してきた『NPO法人SET(以下SET)』。


地域の方と共につくり、手掛けてきた事業の一つが「民泊事業」
地域のご家庭に、ほかの場所から訪れた方々が宿泊。"等身大の暮らし"を体験し、地域の方々との交流を深めるもので、今年で事業が始まり8年目となりました。

その中でも、多くの心動く時間が生まれてきたのが、「修学旅行民泊」
「修学旅行」として、都会の中高生などが足を運び、地域のご家庭で普段とは違った学びを体験します。
これまで多くの中高生を迎え、地域のご家庭さんとの温かな時間をつくってきました。

今回は、そんなSETの民泊事業を担当する、渡邉拓也と戸谷咲良に話を聴きます。
民泊の魅力や、新型感染症流行禍での葛藤、
地域の方の温かな支え、一晩で変わる中高生の姿、、、

かけがえのない「一泊」の体験を繋ぎ続ける想い。
ぜひご覧ください!




始まりは、地域の方の『やりたい』を形にしたこと


−−−まず、「修学旅行民泊」が始まった背景について教えてください。

民泊事業を担当する渡邉(左)と戸谷(右)


渡邉:きっかけは地域の方が「民泊をやってみたい!」という声を上げてくれたことからでした。

SETのミッションに「一人一人の『やりたい』を『できた』に」*というのがありますが、
民泊は地域の方の「やりたい」という気持ちを形にして、事業にしたということになりますね。
実はその話自体、震災直後の2012年頃から出ていたようでした。

震災後に移住した代表の三井が、当時活動の相談をさせていただいていた『&Nature』*の竹田さん・藤井さん。そのお二人と、実現できるかの話に始まり、一緒に立ち上げたことが原点だそうです。

*SETのMission、
「一人一人の『やりたい』を『できた』に変え、日本の未来に対して『Good』な『Change』が起こっている社会を創る」

*『&Nature
SETが発足当初から、活動の相談などサポートしていただいてきた。


−−−震災1年後から、話が出ていたんですね。

渡邉:そうですね、その後2015年から事業がスタートしました。
僕は拡大期の2017年から事業担当になり、今年で7年目です。

事業の始まった当時、僕は大学生で、SETには最初『CMSP』*を運営するスタッフとして関わりました。
初めて民泊に触れたのは、2015年秋のプログラム参加者向けの民泊を行ったことでした。

当時、現理事の岡田から、「民泊はこういうものだよ」というレクチャーを受けて。
その時は正直、あまり理解しきれていなかったけれど、地域にとって良い事だと感じ、家庭周りを始めました。

*『Change Maker Study Program』
町の方と共に地域の課題解決を行う、一週間の地域おこし実践プログラム。


−−−民泊が始まって間もない当初、地域の方の反応はどのような様子でしたか?



渡邉:最初、「協議会」を立ち上げたのですが。
その時に、結構な数の方に声をかけましたが、実際に集まったのは、たったの「5家庭」だけでした。

それ以外の方からは、「うちは食べさせるものもないし、こんな田舎で出来る訳ない、、、」みたいな意見が多かったですね。

今となっては、常連として受け入れてくださっている方も、
「民泊」がどの様なものかも分からなかったでしょうし。「地域にとって本当にいいのか」とか、「安全なのか」とか。


これは、「地域の方」が"主役"の町おこし


−−−最初は抵抗感があったのですね。
実施をしてみて、結果はどうでしたか?

渡邉:たった“一泊二日”で、受け入れ家庭さんと民泊に来た方は、とても深いつながりを作っていました

それまでも、SETのプログラムで他の地域から学生達が訪れていましたが、
「生活に入る」というと、ご飯をいただくことくらいでした。そこでも、温かいつながりはできていましたが。
それよりも、さらに深いものだと感じましたね。


その後、CMPのプログラム参加者向けだけではなく、「修学旅行民泊」が始まったのが2016年。
僕もその時点で、大学卒業後の移住を決めていました。なので、その年の秋の修学旅行受け入
れ準備から、陸前高田市に通っていました。

そして、その初めの修学旅行民泊が、300人規模の受け入れでした。
全校生徒と全受け入れ家庭さんで、顔合わせ会をするのですが。そもそもまだ、300人以上集まれるような場所は、陸前高田市内にまだありませんでした。

なので、活動の中心であった広田町*内とそれ以外の陸前高田市の家庭の2つにグループを分けて受け入れました。
広田町では30家庭以上にご協力していただきましたが、
修学旅行生と受け入れ家庭さんがずらーっと並んだ時、感動したのを覚えています。

*『岩手県陸前高田市広田町』
岩手県最南東部に位置する漁師町。SETが震災直後から、拠点として活動してきた地域。


−−−受け入れの数が大きく広がったのですね。
これまで実施した中で、大きな受け入れはどのようなものでしたか?



渡邉:2019年に、1週間で2回300人規模を受け入れたことが印象に残っています。

ベテランのご家庭さんには、午前中に受け入れを終えて、午後にはもう次の高校の修学旅行生の受け入れを、というような。30位のご家庭にご協力いただきました。
本当に頼りになるなというか、ありがたいなっていう気持ちでやらせていただいていました。

慣れているご家庭さんは、自らPDCAを回してくれていました。
毎回、民泊が終わった後には受け入れ家庭さんと振り返り会をするのですが。
「あれが良かった」「これは変えたほうがいい」とか、たくさん声を上げてもらいました。



−−−地域の方と、どんどん“チーム”になっていってる感じがしますね。
『民泊女子会』なるものも立ち上がったと聞きますが、どのようなものなのですか?



渡邉:『民泊女子会』に関しては、実は僕達が組織したものではなくて。
地域の方達が自然に立ち上げていました。

きっかけは、「1年間、民泊の受け入れ頑張った!」といって実施した、お疲れさま会とのことでした。

ちょっと持ち寄りでケーキ食べる、女子会的な感じだったんですけど、
そこで、「民泊良かったよね」みたいなことを熱く話されていたそうで。

そんな中、「渡邉くん達のために、わたし達も何かできないかな。」みたいな話をしてくださって、進んでいったそうです。


---民泊女子会所属の方々が、受け入れ家庭を増やすため、SETのメンバーと一緒に地域を歩き回ってくださったことありましたね。
そこまで協力していただけることには、驚きと感謝でしたね。


---そんな受け入れ家庭さん達ですが、その一部の皆さんと、
日本一の民泊地である、沖縄県伊江島*の視察へ行ったこともありましたね。
どうでしたか?



渡邉:圧倒されました。

島一丸となってこの事業を成功させようという雰囲気で。
10年以上も続けられているので、洗練されてる印象も受けました。

例えば、最後のお別れのシーンでは、受け入れ家庭さんが一斉に「いってらっしゃい!!!」って言うみたいな。
「これは泣いてしまうな」、って思いましたね。

陸前高田の方々も、もちろん本当に温かいのですが。
そういう、「温かいおもてなしをやろう!」っていう、地域の方々主体で動かれているのを感じる様な。また違った伊江島の様子も、素晴らしいなと思いました。

とても学びとなり、刺激となる経験でした。

*日本で最大の民泊受入地とされる『沖縄県伊江島』。
1万人を超える民泊受入地域は、日本にはほとんどありませんが、多い時には"年間約6万人"ほどが民泊に訪れています。

このまちの人が好きだから。人生で初めて出会った確かな『やりたい』という気持ちで


---ここまで、立ち上げ期に活動されてきた渡邉さんに話を聴いてきました。
ここからは、渡邉さんと共に、拡大期から参加している戸谷さんにも話を聴いていきます。

地域の方々と


戸谷:わたしは都内で大学生をしていて、最初はCMSPのプログラムに参加しました。

その後SET内で、東京から「陸前高田の民泊を盛り上げよう」という学生チームが2018年に立ち上がり、民泊にはそこから携わっています。


---それでは先ほど話にあった、300人の受け入れを1週間で2回した民泊も経験しているのですね。


戸谷:その時は、夏休みの間の2か月間、受け入れてくださるご家庭にお願いするため、ひたすら地域を駆け回っていました。

帰る予定の日が来ても、「帰らない」「帰らない」を繰り返して、ご家庭周りを続けていましたね(笑)

---当時から、熱く活動していたんですね。
そもそも民泊に関わろうと思った理由は、何だったのですか?

民泊中の様子


戸谷:最初はCMSPのスタッフを1年半ぐらいやっていて。
「陸前高田の方々と関わるのが好きだな」って気づいたんです。民泊は、地域の方が主体の事業ということで惹かれました。

民泊をなんとか受け入れようと、町の方と一丸になっていく感じが、すごいと感じて。
移住したいな、というのは前から思っていましたが、陸前高田で実際に活動していく中で、民泊への想いは膨らんでいきました。

それまでの人生の中で、これ程「これやりたい!」と強く思ったようなこと、なかったので。
周囲から移住に関してなど、心配してもらったこともありましたが。強い想いで「これをやりたい」のだと、決めて来ました。


---強い想いで、民泊に携わると決めたのですね。
渡邉さんから見て、そんな戸谷さんの民泊に向き合う姿は、どの様に写っていますか?



印象的だったのは、戸谷が悩んでいる時期があったのですが、
いつの間にか受け入れ家庭さん同士で、戸谷を応援するLINEグループができていて(笑)

地域の方々が、「さくらちゃん(戸谷)も頑張ってるし、団結しよう!!」と立ち上がっていたようです。
そういう関係性を築けるのは、素晴らしいなあとおもいます。

民泊中ごはんを作られている地域の方


"それでも"、信じてくれた方々と共に切った再スタート


---地域の方々との関係性、すごいですね。

そんな戸谷さんは、事業を進める上で大変だった感染症流行禍、どんなことを感じてましたか?



戸谷:移住する前は、民泊について「交流することは本当にいいこと」だと心から思えていました。
交流するほど、来た人も受け入れた人も元気になっているのを見ていたから。

ところが、新型感染症が流行った途端、「交流=リスク」となり、外からの人を受け入れるということに、地域としての難しさを感じていました。

「地域の方々は望んでいるのだろうか、、、」といった疑問も持って、葛藤しました。
そうして、進めることに自信を失いそうにもなりましたが。
地域の方々に支えられながら、模索していましたね。


---そんな中、昨年ついに200名の受け入れを行いましたね。
復活したことの、思いの丈を教えてください。



戸谷:ほんとに嬉しかったです。

新型感染症流行が始まってすぐは、2〜3年で収まるのか10年かかるのかなんて話もあったし。
先の見えない中で、55家庭もの方々が受け入れてくださった。

感染症対策もしっかりと伝えて、その上で私たちのことを信じてくれて。
本当にありがたかったです。

地域の方と各家庭へ向かう生徒達


---渡邉さんは、どうでしたか?


渡邉:やっと進めるなあ。やっと地面に足がつくなあって感じでした(笑)

2019年は東北最大規模を受け入れていたところから、急に0人になって。
「この事業は何のためにやってるのか?」とか、「どれくらいこの状況が続くのか?」とか、葛藤がめちゃくちゃあったので。
やっと戻ってこれたなと思いました。

この仕事をしたくて、人生かける想いで移住して。新卒からずっと頑張ってきたから。
ある意味、「事業」が止まるのは、「人生」が止まるような気持ちだったので。

再開に向けては、受け入れ家庭さんはもちろん、市役所の方や保健所の方にも、親身に相談に乗っていただき、たくさんのサポートをしていただきました。

そういった関係性の中で、陸前高田から再スタートを切れたのは良かったなと思います。

中高生が一晩で出会う、"愛情"や"本音"の価値



---地域の方々に支えられて、またスタートできましたね。

それでは、そんな民泊の体験ですが、
修学旅行民泊をする中高生にとっては、どのような価値があると思いますか?

民泊中の生徒達

戸谷:自分も高校生の時に、「民泊を体験したかったな〜」と感じるくらい、価値のあるものだと思っています。

中高校生くらいだと、ほとんどの人が、自分の住んでいる地域の暮らし方しか知らないと思います。
そこから、陸前高田の暮らしに触れることで、自分が知らない生き方に出会ったり
新たな自分の興味関心を認識したりする、良い機会になると思います。

また、遠く離れたところに「居場所」ができるということですかね。
たった数日だけの付き合いなのに、たくさん愛情深く受け入れてくれる経験は、大きなものだと思います。

何かしら、一人一人の人生にとってプラスになっていってもらえたら、嬉しいなと思いますね。


---渡邉さんは、どうでしょうか?


渡邉:高校生くらいまでって、親や先生と、特定の大人としか接する機会がない人が、ほとんどだと思うんです。

それまでの関係性の中での生活から、全く知らない土地での新しい出会い
初対面の相手から、愛情を受け取ったり、本音で伝えあったりすることには、価値があると感じています。

民泊中の体験の様子

---それまでにない地域や人との関係性と出会えるのですね。
そういった価値を感じたような、印象的だった修学旅行民泊での出来事はありますか?



渡邉:偏差値が高くないという生徒さんが民泊に来た時に、「大学なんて、わたしはバカだから行かないよ〜」って笑って言ってた子がいたらしいんです。
その時に、受け入れ家庭のお父さんがしたというお話があって。

「俺は、当時は大学に行きたくても、お金がなくて行けなかったんだ。でも、あなたはそこの打席に立てるんだから。バットを振ったらいいんじゃないか」
ってことを伝えたそうです。
もちろん、大学に行くか行かないかは本人の選択で、どちらが良いとかはないと思うんですけど。

その日その子は、「ふん」って拗ねて寝てしまったようで。
しかし次の日、朝起きると、「一晩考えたけど、わたし大学に行くために頑張ってみるわ」って言ったとのことでした。


"本気の"フィードバックって、言うんですかね。
そういうのが対話される、交流されるっていう。
中高生の人生にとって、素晴らしい出会いになっているんじゃないかなって思います。

民泊中のご家庭での様子


---一晩でも、心動かす交流をしているんですね。
最後に泣いて帰っていく子も、毎回いますよね。



渡邉:そうなんですよ。
中には「民泊職人」って呼ばれている様な方もいて(笑)

中高生のことを、絶対に毎回感動で涙させるような、ご家庭の方がいらっしゃるんです。
毎回違った子達が訪れても、心動かしてしまうような。

短い間でも、それだけ深い交流が出来るのは、民泊の魅力であり、何よりこの地域の方々の素敵な所であると、いつも感じています。


かけがえのない、「一泊」を繋ぎ続ける



---では最後に、これから民泊事業を進めていく上で大切にしたいことや、今後取り組んで行きたいことについて教えてください。


渡邉:地域、そしてそこに暮らす方々にとっても、中高生にとっても、民泊には価値があることを実感してきました。
今後は、より地域や社会にとって価値のある物にしていきたいです。

そして、具体的な目標としては、
陸前高田市を、日本でまだ多くない、「年間1万人の民泊受け入れ地」にすることを目指し、地域の方と共に実現していきたいと考えています。

そのためにも、より一層この陸前高田の方々と誠実に向き合い、二人三脚で地域を盛り上げていける様に、励んでいきたいですね。
また、民泊を取り巻く様々な取り組みを、この事業を応援してくださる方々と共に創っていきたいです。



【職員募集】

地域の方々に支えられながら、共に歩み、中高生達との温かな時間を繋ぐ、SETの陸前高田市での民泊事業。

そんな民泊事業では、日本でまだ数少ない「年間1万人の民泊受け入れ地」を目指し、陸前高田市で実現するため、新しい仲間を探しています。

2023年7月現在、職員募集中。
詳細は以下の募集記事をご覧ください。


◾️渡邉 拓也(わたなべ たくや)(写真右)
1994年生まれ、東京都出身。
学生時代からSETのプログラムに参加、2015年から民泊事業に携わり、大学卒業後陸前高田へ移住、2017年より民泊事業を担当。
地域の漁業にも携わりながら暮らしている。


◾️戸谷 咲良(とや さくら)(写真左)
1998年生まれ、東京都出身。
学生時代からSETのプログラムに参加、在学中から東京での活動に携わったり現地へ足を運び活動、大学卒業後陸前高田へ移住、2020年より民泊事業を担当。
SETのメンバーと共同生活し、地域の方と交流しながら暮らしている。


編集:芦川智里
インタビュアー:山本晃平
写真:Trine Villemoes,ほかSET


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