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    あまり練らずに書いた、ピュアな文章たちです

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    不定期で、本や漫画やゲームやアニメなど、何かからの「引用」をもとに日記を書きます。

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境界線について

先日、大学の卒業式があった。いろいろなことがあったが、この3月で、私は大学の学部生としての4年間の生活をひとまず終えることになる。 私の4年間を思い返せば、「境界線」というキーワードが常に関わっていた気がする。大学1年生の教養科目ではいろいろな授業を取っていた。例えば古典関係の授業で逢坂の関について調べたことがあった。「関所」は、道と道の境界線だし、こと逢坂の関は京都の中と外を隔てる特に重要な境界線だった。また、政治学の授業で日韓関係(特に両国の間の歴史問題)について調べる

    • 「制度」から同性婚を擁護する——フランチェスコ・グァラ『制度とは何か』

      このnoteでは、フランチェスコ・グァラ『制度とは何か: 社会科学のための制度論』(水野孝之 訳)の内容を紹介する。グァラは『科学哲学から見た実験経済学』で一躍有名になった現代の社会科学(特に経済学)の哲学を代表する論者で(こんなマイナーな学問分野であるにもかかわらず、著作が2冊も邦訳されていることのすごさよ…)、この著作も非常に広い視野から「制度」という難問に対し非常に明晰に取り組んだとてもおもしろいものだ。読んでいてさまざまな気づきを与えられるし、「制度とは何か」というデ

      • 授業料値上げ問題についての私の意見——The Sins of the Educated Class

        (問題の背景については以下のリンク等を参照のこと) 東京大学が揺れている。来年度以降、授業料の引き上げが検討されていることが発表されたためだ。 今駒場キャンパスを歩けば、値上げを断固阻止しよう、大学当局に対抗しようといった、活動的な学生によるアジテーションを絶え間なく目にし、聞き続けることができる。立て看板に拡声器での演説という、昔ながらのいかにも古き善き学生運動の復活といった様相だ。 もう5年以上、この駒場キャンパスで学問を修めてきた身として、自分もいち意見を表明したい

        • Macmillan-Scott & Musolesi(2023)(Ir)rationality in AI: State of the Art, Research Challenges and Open Questions メモ

          Macmillan-Scott & Musolesi(2023)(Ir)rationality in AI: State of the Art, Research Challenges and Open Questionsアブストラクト(Abstract) 合理性(rationality)は人工知能(AI)研究の分野における中心的な概念 目的が人間の思考様式をシミュレーションすることであろうと、限定最適性(bounded optimality*)であろうと、一般的にAI

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        • 「制度」から同性婚を擁護する——フランチェスコ・グァラ『制度とは何か』

        • 授業料値上げ問題についての私の意見——The Sins of the Educated Class

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          Davidson(2024)The economic institutions of artificial intelligence 要約

          Davidson(2024)The economic institutions of artificial intelligenceアブストラクト(Abstract) 本論文は経済的制度の中における人工知能(AI)の役割について、ハーバート・サイモンの解釈に基づく限定合理性(bounded rationality)の観点から考察をしたものである AIはその膨大なデータ処理能力や分析・予測能力などによって、限定合理性の問題を軽減するという形で経済に激変をもたらす可能性があ

          Davidson(2024)The economic institutions of artificial intelligence 要約

          理性と感情のホーリズム

          年明けのnoteで書いたが、最近は興味関心が広がって、いろいろな文献を読んだり、これまで考えてこなかったテーマについて考えたりするようになった。それもあって、インプットのほうが混沌としてきたので、そろそろアウトプットをしてきちんと整理をしたいと思った。 特に自分の中で、さまざまな新しい学びを経て変わったと思うのは「感情」というものの捉え方だと思う。コテコテのひよっこ経済学徒だった頃(もはや遥か昔)は、人間は感情を捨て去って、もっと理性的に物事を考えるべきだと素朴に信じていた

          理性と感情のホーリズム

          2023ギリギリ滑り込み日記

          今年の後半は全然noteを更新できませんでした。 学業のほうが普通に忙しかったのに加え、就職活動、単純に書きたいことが思い浮かばなかった、その他もろもろのモチベーションの不足に対する言い訳が挙げられますが、半分以上は怠惰です。 ちょうど1年前も駆け込みで投稿をしましたが、今年も結局こうなってしまいました。人というのは1年経ってもあまり進歩しないですね。来年こそはもうすこしnoteも頑張りたいのですが、来年は修士論文の提出というラスボスが待ち構えているので今年以上に厳しいか

          2023ギリギリ滑り込み日記

          脱・「悪意モデル」論

          悪者なき悪「悪意モデル」 ヒーローものの漫画には、ほぼ必ず「敵」がいる。通常、敵は「悪」として描かれる。彼らは何かしらの悪意を持っていて、善人を痛めつけたり、物を盗んだり、街を破壊したりする。 「悪意を持った悪人(あるいは悪の組織)がいて、その人物(組織)が原因で悪いことが起こっている」という構図は、とてもわかりやすい。そこに複雑なメカニズムはなく、だからこそ「正義の味方」による勧善懲悪が達成されれば、起こっていた悪いことも全て消え去ってめでたしめでたし、で片付けることが

          脱・「悪意モデル」論

          雑記

          読んでいてずっとうんうん!!!!めちゃそう思う!!!ってなったツイートがあったので、勝手に日記に残しておく。 私自身、「多様性」も「マイノリティの尊重」も極めて大事な話だと思っているけれども、(特にアメリカの)キャンセルカルチャーのようないわゆる「ポリコレ」話にはどうもついていけないなと思うこともしばしばある。 (勝手な解釈だけど、)このツイート主の問題提起はこう言い換えることができるではないだろうか 「白人男性」=「マジョリティの表象」になっているという状況、普通に思

          雑記

          ナッシュの定理と賞金付きジャンケン

          これは飲みの場で聞いた話なので真偽の程は定かではないのですが、今年金融系の大企業に就職した私の友人は就活の面接でこんな質問をされたそうです。 「あなたは経済学部出身ということですが、大学で習った経済学の理論や定理等のなかで一番好きなものは何ですか?」 私はいわゆる就活質問(「学生時代に力を入れたことは?」とか、「あなたの強みは何ですか?」とか)には何も答えが思い浮かばず、それが原因の一部で就職活動をドロップアウトしてしまったのですが、そんな私にとってもこの質問はかなり面白

          ナッシュの定理と賞金付きジャンケン

          デウス・エクス・マキナとしての人工知能

          人工知能は現代のデウス・エクス・マキナとなりつつある。 デウス・エクス・マキナとは、全知全能の力を持った神からの介入によって物語の展開を劇的に変える、古代ギリシャの演劇における技法である。人工知能がデウス・エクス・マキナとなることは、つまり人間の知性の模倣物であるはずのAI技術が、人間には解決不能な問題に対しても圧倒的な「正しさ」をもたらす存在として扱われる傾向があることを意味する。 人工知能は、その性質上、膨大な情報を高速で処理し、その情報からパターンを抽出することがで

          デウス・エクス・マキナとしての人工知能

          平安時代の人の気分を味わうために、逢坂の関から京都まで歩いた話【学部生時代の思い出】

          1. 経緯学部1年生1学期の特別授業 だんだんと寒さもやわらいできた2月末。卒業論文も無事提出し、私はあと1ヶ月で、4年間の学部生活を終えることとなります。2019年の4月に入学をしてから、振り返ってみればコロナ禍の影響もありあまり大きなイベントもない大学生活でしたが、それでもいくつか楽しい思い出は存在します。もう4年近く前のことですが、今回は私の大学時代の思い出の一つとして、大学1年生の春に、平安時代の人の気分を味わうために、逢坂の関から京都まで歩いた話について書かせて

          平安時代の人の気分を味わうために、逢坂の関から京都まで歩いた話【学部生時代の思い出】

          自由。「開かれたドアの数」。

          ※先日投稿した記事『自由。「本質的に副産物である状態」』の後編です。先にそちらをお読みくださると幸いです。 もうひとつの「自由」この「後編」の作戦 実は先だっての記事(『自由。「本質的に副産物である状態」』、以下、「前編」)では、私はズルをしている。前編の前半では、私はプロの芸術家と初心者の男性アイドルの芸術対決のエピソードを提示し、あの時「自由」を有していたのは男性アイドルの方だったと主張した。このときに私が犯したズルとはなにか。それは、「自由」の恣意的な定義づけである

          自由。「開かれたドアの数」。

          自由。「本質的に副産物である状態」。

          俺のアートには自由さが足りねー!なんの番組だったかは忘れてしまったが、以前テレビでお昼の情報番組を見ていたら、その中の企画で「ジャニーズのタレント◯◯が芸術に挑戦!」のようなものがあった。内容としては ①ある男性アイドルが、プロの芸術家から簡単な指導を受ける ②実際に作品を制作してみる ③スタジオに二つの作品が運び込まれてきて、どちらがプロの作品でどちらがそのアイドルの作品かを他の出演者がクイズ形式で当てる といった流れだったのだが、クイズの正解発表の後がお約束、プロの先

          自由。「本質的に副産物である状態」。

          【巨人の肩の上から #番外編】自己目的化する執筆

          noteの公式から、今月中に記事を投稿しませんか?という勧告が届きました。あまり意識していませんでしたが、なんだかんだでかれこれ7ヶ月間、最低でも1ヶ月に1つは記事を公開するというペースを守って投稿をしていたようで、それが1月31日までに新しいものを書かないと途絶えてしまいますよ!とのことです。 この通知を見て、「これは確かに、ここで毎月投稿を途絶えさせてしまったら残念だ。なにか月末までに、人様に公開できるような文章を1本書かなくては」という気持ちになりnoteの下書き画面

          【巨人の肩の上から #番外編】自己目的化する執筆

          あと15分で年が明けてしまう!!急いで何か書く

          あと15分で年が明けてしまいますが、なんとしても今年(2022年)中に今年のnote投稿を振り返る記事を投稿したい男です。 今年は、「巨人の肩の上から」などという無駄に形式的なタイトルをつけて、noteの執筆活動を頑張った気がします。読み返してみると、ああ、あの時はこんなことを考えていたのだなあということを振り返れてとてもいい感じです。今年は国際情勢でかなり衝撃的な出来事が続きましたが(一番関連してる投稿はこれとか?)、こういう年に、21歳という年齢の自分がどんなことを感じ

          あと15分で年が明けてしまう!!急いで何か書く