雑記

読んでいてずっとうんうん!!!!めちゃそう思う!!!ってなったツイートがあったので、勝手に日記に残しておく。

私自身、「多様性」も「マイノリティの尊重」も極めて大事な話だと思っているけれども、(特にアメリカの)キャンセルカルチャーのようないわゆる「ポリコレ」話にはどうもついていけないなと思うこともしばしばある。

(勝手な解釈だけど、)このツイート主の問題提起はこう言い換えることができるではないだろうか

「白人男性」=「マジョリティの表象」になっているという状況、普通に思考停止でやばくね?(まして、「白人男性」が圧倒的にマイノリティになっている日本の社会で…)

つまり、本来マジョリティ/マイノリティというのは属性の問題だけではなく経験の問題でもあったはずである、と。白人男性だろうと日本の社会ではマイノリティとしての生きづらさを感じる経験をすることはある(想像だが、おそらくツイート主さんはそういった経験を日本でされたのだろう)だろうし、異性愛者だろうと同性愛者のコミュニティでは生きづらさを感じる経験をするかもしれない。属性だけを見てマイノリティ叩きをするのも、マジョリティ叩きをするのも、思考停止で非生産的ではないか、ということだ。

21世紀がはじまってからまもなく四半世紀。社会は間違いなく良い方に向かっている。少なくとも私は、そう思っている。「自分とは異なる他者を尊重しよう」という道徳規範は、差別と偏見と悪徳が蔓延っていた過去のどの時代よりもずっと強まっていて、実際それは「多様性」のような標語の普及にしっかりと表れている。だからこそ、これからの社会でもっと必要になってくるのは、想像力——見かけの属性に振り回されることなく、他者の経験までも想像する思慮深さ——なのだと思う。以前他の記事でも引用したが、村上春樹の『海辺のカフカ』に登場する「大島さん」のセリフが私はとても気に入っている。

「……ただね、僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、T.S.エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩き回っている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押し付けようとする人間だ。」
……
「……想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪さんだつされた理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないか——もちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこに救いはない。僕としては、その手のものにここ、、には入ってきてもらいたくない」
 大島さんは鉛筆の先で書架を指す。もちろん彼は図書館ぜんたいのことを言っているのだ。
「僕はそういうものを適当に笑い飛ばしてやりすごしてしまうことができない」

村上春樹『海辺のカフカ 上』p.385-386

2023/05/15

140字にはおさまらないけど、それほど長くもないひとことを書くのにnoteは丁度良いことに気がついた!


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