雑記
読んでいてずっとうんうん!!!!めちゃそう思う!!!ってなったツイートがあったので、勝手に日記に残しておく。
私自身、「多様性」も「マイノリティの尊重」も極めて大事な話だと思っているけれども、(特にアメリカの)キャンセルカルチャーのようないわゆる「ポリコレ」話にはどうもついていけないなと思うこともしばしばある。
(勝手な解釈だけど、)このツイート主の問題提起はこう言い換えることができるではないだろうか
「白人男性」=「マジョリティの表象」になっているという状況、普通に思考停止でやばくね?(まして、「白人男性」が圧倒的にマイノリティになっている日本の社会で…)
つまり、本来マジョリティ/マイノリティというのは属性の問題だけではなく経験の問題でもあったはずである、と。白人男性だろうと日本の社会ではマイノリティとしての生きづらさを感じる経験をすることはある(想像だが、おそらくツイート主さんはそういった経験を日本でされたのだろう)だろうし、異性愛者だろうと同性愛者のコミュニティでは生きづらさを感じる経験をするかもしれない。属性だけを見てマイノリティ叩きをするのも、マジョリティ叩きをするのも、思考停止で非生産的ではないか、ということだ。
21世紀がはじまってからまもなく四半世紀。社会は間違いなく良い方に向かっている。少なくとも私は、そう思っている。「自分とは異なる他者を尊重しよう」という道徳規範は、差別と偏見と悪徳が蔓延っていた過去のどの時代よりもずっと強まっていて、実際それは「多様性」のような標語の普及にしっかりと表れている。だからこそ、これからの社会でもっと必要になってくるのは、想像力——見かけの属性に振り回されることなく、他者の経験までも想像する思慮深さ——なのだと思う。以前他の記事でも引用したが、村上春樹の『海辺のカフカ』に登場する「大島さん」のセリフが私はとても気に入っている。
2023/05/15
140字にはおさまらないけど、それほど長くもないひとことを書くのにnoteは丁度良いことに気がついた!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?