自由。「開かれたドアの数」。
※先日投稿した記事『自由。「本質的に副産物である状態」』の後編です。先にそちらをお読みくださると幸いです。
もうひとつの「自由」この「後編」の作戦
実は先だっての記事(『自由。「本質的に副産物である状態」』、以下、「前編」)では、私はズルをしている。前編の前半では、私はプロの芸術家と初心者の男性アイドルの芸術対決のエピソードを提示し、あの時「自由」を有していたのは男性アイドルの方だったと主張した。このときに私が犯したズルとはなにか。それは、「自由」の恣意的な定義づけである