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ありがとう、カルチャーたち

タイトル、くさ。


今日は、少しだけ今後の人生について考えてみた。調子がよいから。


正社員は、辞めようと思った。

都会のイケてるオフィスのベンチャー企業に契約社員として入ったのが一昨年の4月。9ヶ月で正社員登用された。

かっこよい人たちに会えた。感情ではなく、データと数字から、論理的に語り、自分のメンツのためではなく、組織のために働く人たちは、とても素敵で、自分が今まで出会ったことのない人たちだった。

憧れの、"自分より頭の良い、話の通じる上司"にも出会えた。

たくさん育ててもらい、私が今まで出来なかったことも出来る様になった。

こんなに仕事のモチベーションがどこにあるのかわからない私を「不思議」と形容しながらも、しっかりと向き合い続けてくれた上司の優しさは、ずっと感じていた。

ずっと、私の中の「かっこいい人ボックス」に入り続けるで賞。


そんな会社員生活だったが、一方で、私が長らくいるところではないのは、明々としていた。

それは、極端に自分を低く見積もってるとか、自信がないとか、そういうのではない、事実。

私は、もう少し「まぁいっか。」が口癖の世界に行く必要があると感じていた。南国かもしれないし、ゲストハウスのような、色んな人が責任なく集まるところかもしれない。

会社の同僚たちが目指している世界や、イキイキとする原動力には、私にはあまり共感できないことがわかった。

私の求めてる世界は、スピード感を持って答えを出しながら山を登っていく世界ではなく、

じっくりゆっくり、深く、穴を掘っていくような世界だと思った。

どっちが良いとか悪いではない、向き不向きと嗜好の問題。


時間を守れて、責任感があって、模範的な行動を言われなくてもできる同僚を見ていると、私がここで輝くために走るのは、砂の上を自転車で走るくらい、効率が悪いことで、徒労に終わるだろうな、というのはわかっていた。

それでも、せっかく手に入れた"デキル自分"、"会社員もイケてしまう自分"という新しい人格を使って、自己満足できるくらいには、頑張ってから、陸に上がるつもりだった。

「この世界でもしっかり泳ぎ切りました。えらかったですね。次の領域へたどり着いたので、ここで陸に上がりましょう。」

そんなアナウンスをもって、私は陸に上がり、身体を振って水を切り、正社員をやめるつもりだった。


それが、思ったようにいかなかった。

びっくりした。私が一番。

人間は、何かショッキングな出来事がなくても、キャパを超えるだけで、こうなるんだと、初めて知った。

受け入れるのに少し時間がかかった。


旦那が「しりねがこの状態になってくれて、言い方悪いけど、良かったと思う。頑張りたくても、能力的に・体力的に、頑張れない人がいることは知っていた。間近で見れて、面白い。」と言っていた。

有難かった。

勉強熱心で、さまざまな事例を学ぶことが大好きな旦那の、サンプルAにはなれたようだ。


サンプルAは、効率よく生きるのが苦手だ。

せっかく使ってみた、Googleカレンダーも、トレロも、iPadも、自分の脳との同期が難しくて手放した。紙の手帳に戻って、何もかも、絵のような文字のような記録をしながら、ひとつひとつ、自分の脳のメモリをリリースして、こうやって、文章にエネルギー変換している。


でもその分、サンプルAは、トキメキを原動力にすると、思わぬフォームで泳げる時がある。

たとえば、こんな文章。誰も読んでないこの文章は、楽しくて、没頭して書ける。

「会社員になって学んだ3つのこと」なんてタイトルをつけて、いざ書こうと思った日には、おそらく一行も書けない。

それなのに、私の気持ちを、感情を、中指のタップに乗せると、こんなに文章が書ける。

それでお金がもらえるわけでもなければ、キャリアにも繋がらないと思うけど、手放しで没頭し、楽しめることがあるのは、幸せだと感じる。ありがとう。軽快な中指。

今は、この文章を紡ぐ力をもっと上げたくて、とにかく物知りになりたいな、と思っている。物知りは、決算書の読み方とか、データ分析とかみたいな、即効性は、今はいらない。

例えば歴史を学んでみたり、はたまたやったことがないゲームなんかも、やってみてもいい。自分の中で引用できる範囲を広げたいと思っている。

そして、それを活かせる人生を歩みたい。 


ということで、やっと、タイトルに近い内容になってきました。

ずばり、私は今、カルチャーに救われている。

頑張って手帳に書いたタスクをこなそうとしても、頭がもわんとして、身体が液体のように溶け出して、難しいときがある。

そんなときに、本を読んだり、雑誌を読んだりする。

そうすると、私の中で、トキメク分野があることを知り、まだまだ、泳ぎ出せることを知る。

やりたいことはいっぱいある。

効率よくは出来ないし、いつの日か、収入やキャリアや自己実現に繋がるわけではない。


それでもよいから、自分の幸せのために、やっていこうと思う。目的やゴールがなくとも、呼吸するようにやりたいことがあるとしたら、実はすごく幸せなのだとおもう。

社会人として、それでいいのか?なんてナンセンスな疑問は持たない。どうでもいいに決まってる。

誰よりも泳いできたから、色んな島で色んな人種が色んな生き方をするのを、見てきた。

誰がなんと言おうと、本人が満足していれば、それが一番なのだと、哲学者が、言いそうだし、言ってるかは知らないけど、これでいいのだ。


過去の反省として、安易に、収入やキャリアに繋げないようにしたいと思う。

それが楽しい人はいいが、私は資本主義や物質主義に苦手意識があるので

安易にマネタイズして、わかりやすい成果を求めると、自分の首を絞め、掻きむしりたくなると思う。


好きなことをとことんやる。

カルチャーを追求する。


もう少しだけ頭のもやんが治ったら、英語の先生とかで緩やかに収入を得ようかな。過去の自分、一応この世でも需要があるスキルを身につけてくれて有難う。

お休みは、長くても3月までにする。

完治は目指さない。

今の私を受け入れながらすすむ。



力技で、薬とか治療で治すんじゃなくて、

好きな島をたくさん見つけて、そこに立ち寄ってみて、素敵な景色を見たり、また知らない自分を楽しんだり

そんなふうにして、自分に満足して、自己効力感が上がった先に、

気づいたら、一度手に入れた"デキル自分"にも再会できるのかもしれない。

そうしたら、「ありがとう、あのとき泳ぎきれなくて、休んだ私。」って言いたいですわ。

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