センスがなくても成功できる
目次
1 センスがないことがセンスである
2 センスがないなら作ればいい
3 センスは磨くこと
4 センスがないことは武器である
5 センスは作り上げること
1 センスがないことがセンスである
僕は生まれつきの障害があります。 体が弱いことと、学習障害があります。 LDと呼ばれる暗記系統、計算ができない傾向の障害です。 かなりマイナーで「見えざる障害」とも呼ばれています。 普通にしていれば何も変には思われないのです。 しかし、勉強になると全くできないのです。
僕はこれに20 年間苦しめられました。
マッサージ&鍼灸の専門学校に行った時は人生で一番最悪でした。
暗記ができないので、いくらやっても頭に入らず赤点の連続です。
毎年どうにかして進級していました。
国家試験には「国家試験を受けるための試験」、(通称見込み試験)というものが存在します。
それをクリアしないとその年に国家試験を受けることができないのです。
それを僕は落ちました。
しかし、先生のご好意で仮合格にしてもらいました。
仮合格なので「もし、学校にこなくなったら白紙にします」という 契約書を書かされて、印鑑で証明という厳重体制の中で どうにかして通過しました。 そして見事合格して、就職も腕を買われて就活をせずに就職先が決まるという 思いもよらない形で決まり、卒業を迎えました。 その時は婚約者(今の妻)がいましたので、非常にホッとしたのを覚えています。
僕は勉強をする「センス」がなかったのです。
どんなに努力をても、人の何十倍の努力をしても障害の壁を乗り越えられずにいました。 見込み試験の半年前僕はほとんどの試験が合格率20%以下です。
しかし、国家試験はあと一問落としたら不合格という状態で合格しました。 そこまでになれた経緯がとても大事なのです。
僕は「生まれつきあらゆる分野でセンスがなかった」のです。
今回の場合は「勉強」ですね。
僕は今でも「センス」がなくて良かったと強く思います。
なぜならセンスがないことが才能だったのです。
いい例では「ヒーローアカデミア」でしょう。
デク君は無個性でした。オールマイトも無個性でした。
しかし、血のにじむ努力に日々を送り
いつしか個性のある人よりも強く、カッコよくなり、たくさんの人々がデク君を称えていま す。
そして僕はその「無個性」です。
でも僕は「無個性」で良かったです。
なぜなら 「センスがないけど、全ての分野でセンスを身に着けるためのセンス」 を獲得したからです。
一体どのようなことか、というと
「どんなことをやってもコツを掴み、人並まではできるようになるスキルが身についた」
ということです。
しかし、本当に「センス」がある人には敵いません。
それは覆せないのです。
したがって
僕は「センスがないことがセンス」であるということです。 本当のことを言うとセンスがないのはこの世の中で生きていくのに不利な状態です。
そんな中で僕は「努力」を諦めませんでした。 だからこうやって本を執筆できるようになったです。 ではどうやって合格率20%以下から60%まで引き上げたのでしょうか?
この苦しさは大学受験を経験した人なら痛いほどわかるでしょう。
ギリギリで受かったとしても授業に付いていくのにやっとで 勉強三昧の生活となることがほとんどです。
僕はある覚悟を決めました。
「300ページある教科書を全ページ暗記するまで寝ない」と。
これは地獄そのものでした。 1→1、2→1、2、3ページと300ページまでやります。 50ページ区切りでやり、50ページまでやったら50、51→50、51、52ページと 続けていきます。
100ページまで行ったら1ページまで戻り、同じ作業をするのです。
300ページまでたどり着いたら次に、300、299、298ページと繰り返しで 1ページまで戻ります。
3日間寝ずに行いました。
やり方はこうです。 もう一つ追加です。全て音読でした。ひたすらに音読を繰り返していくのです。 多分もう一生できないでしょう。
そしてやり切りました。 二日後、学校で模擬テストがありました。 結果は98点です。 死ぬほど努力をしてようやく障害の壁を乗り越えたのです。 20 年間頑張ってきてようやく努力が実った瞬間でした。
授業中にもかかわらず、声を潜めて大泣きしたのを覚えています。 周りが騒然としてしまい、大変申し訳なかったですね。
みんなからはカンニングしたんじゃないか? 全て答えを知っていたんじゃないか?
と問い詰められました。
そりゃそうですよね。
毎回20点以下のやつがいきなり休み明けに100点近い点数をたたき出し 学年トップに立ったのですから、不思議でしょうがないはずです。
ありとあらゆるエリート達を瞬殺したのですからね。 あまりにも聞いてくるので、めんどくさくなり、周りにあることを言ったのです。
「そんなに知りたいなら、実験して見ますか? 今回の試験範囲なら全て口頭で文章を言えますよ?
やってみますか?」
と言いました。
ちなみに周りには6人以上はいました。 提示された内容をページから、図、数値、文章を全て話ました。 初めは信じられなくて3問、5問と出しましたが
全部正解しました。
ようやく納得したのか、理解してくれて質問責めは終わりました。
それと同時に同期のみんなはかなり焦っていたのです。
「全然勉強ができなかった奴に負けた」と。 僕は鍼(はり)やお灸、マッサージの練習を一年生の時からかかさずにトレーニングを積み、クラスでナンバーワンです。
周りは軽く考えていたみたいで、大した腕ではありませんでした。 そうです。
僕は学力も、腕っ節も勝ったのです。
しかし、残念なことにキャパオーバーになってしまい すぐに追い越されて、基準ギリギリでクリアになって終わってしまいました。
マッサージも鍼(はり)もお灸もセンスは元々なかったです。 僕は全力で磨き上げました。才能はなくても生きていけるのです。 専門の三年間は血の滲む努力を積み重ねてきました。
どんなに頑張ってもできないなんて嘘なんです。
「今は、できない」だけなんです。
できるまで頑張ることで成功します。 アインシュタインは言いました。 「私が成功した理由はただ一つ。できるまで挑戦し続けた。だからできた」 と。
僕も同じです。
どんなに障害を持っていても、勉強のセンスがなくても 「できるようになるまで頑張った」のです。
これが大きくなると 「センスがなくてもセンスを磨くセンス」が身につきました。 この本もそうです。
本は印税と呼ばれる「不労所得」に近い存在です。 僕はこの本をあなたに買ってもらい読んでもらったことで僕は寝ている間でも お金を稼げることができるようになりました。
僕はお金を稼ぐセンスがなかったのです。 しかし、「本」を書けるくらいまで努力を積み重ねてきたのです。 僕は皆さんに支えられています。 皆さんのためにいい本を書いていけるように頑張ります。
2 センスがないならば作ればいい
皆さんはセンスがないと思いますか?
僕は思います。
しかし、センスがないからって諦めていませんか? こうやって本を書けるようになったのもセンスがなかったからなんです。 今は苦手なことがたくさんあり、それを克服するために毎日こうやって文章を考えて 0から1にするべく奮闘しています。
僕は文章力がなく、出来なすぎて何回も投げ出しました。 しかし、こうやって本を書いているのです。
それはなぜか?
『できないまんまが嫌だったから』です。 ずっと人生が「できないものだけ」で終わりたくなかったからです。 だからできるようにしました。
そして、できるようになりました。 センスが少しずつですが磨かれてきました。
できないものをできるようにするのは骨が折れます。 諦めずに頑張り、自分が納得いくまでやり切るのです。
そうして、形にならなかったものが
「頑張ってもできなかったから諦めた」 となります。
自分が納得いかないならやり続けることです。 「センスがないならないなりに頑張る」 これが
「センスがないなら作ればいい」
ということです。
僕は生まれた時から劣等種です。 どんなに頑張ってもできなくて、ずっと泣き虫でした。 僕は学習能力がなかったのです。
アニメで言う
魔力を持って生まれる人
と
魔力がなくて生まれる人
と同じ存在でした。
しかし
今では僕は誰よりも強いと思えます。 それはないセンスを自分自身で磨き上げたからです。
今では整体師として
数ある中で選ばれることがほとんどです。 大した症状じゃないときは他の先生へ行く方がほとんどだからです。
重病になったタイミングで必ず僕に連絡をしてくるようになりました。 それが僕の「自信」です。
相当ひどくない限り僕には連絡をしない理由があります。
「この人なら絶対に助けてくれる」
と希望を持っているからです。
「軽く疲れた、ちょっと体が痛いな」程度では僕は必要ないのです。 なぜなら、簡単に治ってしまうからです。
軽い人だと大体3分~10 分くらいで簡単に良くなってしばらく連絡がこないのです。 僕はかなり寂しいですけどね笑
ここまではっきり言えるのはそれだけの実績を叩き上げてきたからです。
だからこそ
「ないセンスは磨いてセンスを見出す」
これを僕は人生の大半をやってきたのです。
生まれたときはみんなスキルはゼロですが、僕は可能性すらなかったのです。 これを自覚したときは神様を恨みました。心底から恨みました。 「どうして僕には何もセンスを与えてくれなかったの?」 と毎日訴えていました。
そりゃそうですよね。
毎日倒れるほどの努力をしても何一つ芽が出なかったのですから。
これが20歳まで続きました。
時には荒れ狂い、凶暴化して周りに迷惑をかけまくったのがいい思い出です。
いや、苦い黒歴史ですね笑 どんなに頑張っても苦労が報われないのは地獄そのものです。 たくさんの選択肢からどれを選ぶか?
それが重要なんです。
案外できるものは多いかもしれません。 今の僕のように新しい挑戦を続けていればいつかきっとできることが見つかるのです。 必ず見つかります。
諦めなければです。
センスは「ホコリ」も同然です。 そこからダイヤモンドを見つけ出すのです。 それしかセンスがない人が成り上がるの方法しかありません。 一番早い方法があります。
「好きなことを突き詰める」です。 好きなことはずっと続けていられますよね? 僕は本が好きなので、読むのも、書くのも好きなんです。 不思議なことに朝から晩までずっと同じことをいられるのです。 それが気がついたら癖になっていました。 これが僕のセンスなんです。
「同じことをずっとやれること」
がセンスとなりました。
と言うことは
僕は何をやっても成功するのです。
できないことをできるようにすれば「できた」となります。 この「できた」がたくさんのことを生み出すのです。 僕は「学習障害」により「暗記」ができない人間です。 今でもたくさんの失敗、ミスをしてしまいます。
これは仕方のないことです。
でも諦めません。できるようになるまで頑張るのです。 そうやって生きてきました。近い将来できるようになります。 センスはないもの。だから作る。
それが一番の人生の武器となります。
武器のない人は作ればいいのです。
人間味、技術、経験、話術、スキル、知識、感性など様々なんです。 誰にも負けないように誰よりも努力をすることです。
「私より頑張った人いるかな?」って笑って言えるようじゃないと武器とは言えません。
血の滲む努力ができる者のみ辿り着けるのが成功です。
ないなら作る、できないならやると自分を鼓舞してください。 センスがなくたって磨けば3分でひとの痛みを消せるようになり、
本も描けるくらいの経験を積み上げることができるのです。 このくらいやらないとセンスがある人に敵うはずがありません。
同業者はいっぱいです。
そんな中で、生きていかなければならない。
それが現実なんです。
努力、努力と毎日、自分を励まして頑張るのです。
疲れても努力、元気ならもっと努力。
血の滲むような努力の日々を送り、ようやく難病を治療することができました。 もちろん一筋縄ではいかないので、どんなに頑張っても患者さんが行動しなければ 何にも意味がないのです。
それでも僕はいまだに努力を続けています。
3 センスは磨くこと
センスを見つけたらとにかく「磨くこと」です。 0,1%の可能性を信じて頑張るしかありません。 小さなセンスを色々組み合わせて大きくしていきます。 粗を削り、丸くなっていくのです。
そうすると確実なものになっていきます。
ちょっとずつ光ってきます。
その光は徐々に光の色が黄金に輝いてくるのです。 皆さんは泥団子を作ったことがありますか?
僕は泥団子を小学生の頃からたくさん作って一人で楽しんでいました。
うまく出来上がるために色々な思考錯誤が必要です。 水分バランス、乾燥度、泥の質、磨く力、磨くための生地、乾燥させる設置面積 これらの環境の整理が全てうまくいったタイミングが最高の泥団子が出来上がります。
かなりマニアックなお話なのでここでは控えさせていただきます笑
泥団子を作り上げる工程こそヒントがたくさん隠されています。
簡単に申しますと
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