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来年も会いたい友人がいる

(短編:約9,230文字ー約20分)

あけおめ


「俺、来年になったら死のうと思っているから」

 ユウキはそう言って改札を抜けると、階段を下りはじめた。
 年始、まだ正月の雰囲気を町全体が引きずっている土曜日の午後。

 久しぶりに集まって飲もうぜと、大学時代の同級生から誘いを受けたユウキとオレは、都内へ向かう電車に乗るため、駅のホームに向かっていた。同じ駅を利用するなら一緒に行こうと、改札前で待ち合わせをしていたのだ。

「え?」

 オレは何かの聞き間違いかと思い、聞き返してみたが、ユウキはそれに反応することなく、ホームにつくと、すぐにコートのポケットからスマホを取り出した。そして、何かを検索して熱心にその記事を読みはじめる。

「まもなく、一番線に列車がまいります。黄色い線までお下がりください」

 駅のアナウンスが流れて、しばらくすると、都内へ向かう電車がホームに滑り込んできた。土曜の午後に都内に向かう人はそれなりにいるようで、席には座れそうにない。

 目の前の扉が開くと、数人が電車から降りてきて、それを待って乗り込んだ。
 先ほどの言葉の真意を尋ねたかったが、結局、人が乗っている電車内で話すような内容ではない気がして、問いただすのを諦めた。

 オレはこっそりとユウキを見た。
 もしかして、大変な病気が見つかって、余命一年と言われたとか……?
 いや、それだったら「死のう」なんて能動的な発言にはならないはずだ。なにより、その横顔は悲壮感が漂っているわけでもなく、なんというか、いたって普通だ。

 通勤にも使えるんだと言っていたネイビーのコートに、洗いざらしのジーンズ、白いスニーカーのその姿は、大学生の頃のユウキとあまり変わらない。

 昨年末に会社を辞めたらしいと、風の噂で聞いている。そのせいか、髪の毛は伸ばしっぱなしで、前髪が目にかかって、時おり鬱陶しそうにしている。

 会社を辞めたことも、さっきの発言につながっているのだろうか? 色々と考えてみたが、本人に聞かないと何も分からない。
 どうせ分からないのなら考えても無駄だと、自分のスマホを取り出して、昨夜、途中まで見て寝落ちしてしまった動画の続きを見ることにした。

 *

「やっぱ実物はデカいな」

 ユウキはどことなく楽しそうに店内をブラブラとしていた。
 夕方の待ち合わせなのに昼過ぎに出かけたのは、ユウキがどうしても見たいと言っていたパソコンのパーツを売っているお店に行くためだった。

「そんなのネットで全部揃えられるだろ?」

 オレがそう言うと

「まあ、そうなんだけどさ。CPUとかグラボとかはいいんだけど、ケースはどうしても見ておきたかったんだよ」

店内に展示されている、LEDで内部が光るPCケースを覗き込みながら、ユウキは答える。

「部屋に置いた時のサイズ感とか、雰囲気を見てみたかったんだよね」

 そんなことを言うから、オレは思わず突っ込んでしまった。

「でも、さっき死ぬって」

 すると、ユウキは「ああ」と言って頷いた。

「まあね。それはそれ」
「なんだよそれ。冗談だとしたら笑えないぞ」

 そうオレは店内を見渡して、暇そうにしている店員だけしかいないのを確認して非難した。

「いや、あれは冗談じゃない。一応、近くに住んでいるリクには伝えておこうと思っただけだ。これから連絡も断つつもりだからさ」
「どういうことだよ?」
「まあ、そういうことだよ」

 ユウキはそう言うと、スマホを開いて、メモしていた型番のケースを調べはじめた。
 色々と言いたいことはあるが、ここで言い合いをするのは気が引ける。
 この話は飲み会が終わってからだなと、ここは一旦引いて、オレはまったく興味のない店内をあてもなく彷徨った。

 *

 大学時代の友達との飲み会は、はっきり言って疲れた。

 今回の飲み会の発起人が、本部長に気に入られているという自慢話を延々としていたからだ。他の人が話していても、勝手に関連づけて、また本部長の話に戻る。そんな無限ループに、みんなもうんざりした様子だった。
 本部長のお陰でプロジェクトメンバーの一員になれたんだぜ、と満面の笑みで話すが、それがどれだけ凄いことなのか、小さな会社で働くオレには判断がつかなかった。


 作り笑顔で長時間いたせいか、顔の筋肉が変だ。
 帰りの電車を待つホームで、オレは歯を見せるように、くちびるをイーと横に広げて、顔の筋肉を伸ばしてみた。
 横ではユウキがスマホで動画を見ている。オレの変な顔にも気がつかず、画面に集中しているようだった。

 ユウキは飲み会で、無職になったことを羨ましがられ、失業保険の事を詳しく聞かれたり、今後はどうするのかと詮索されたりしていたが、「まあ、そのうち考える」と適当に答えていた。

 その時の貼りついた笑顔を見て、ああ、オレも同じ顔をしていそうだなと思った。
 しかし、その作り笑いで強張った筋肉を、今は気にする様子も無く、すでに別の世界に没頭している。ユウキは一体、何を考えているのだろう?

 昼間の発言の話をしたいが、もう電車が来てしまう。この話は地元の駅に着いてからだと、オレはひとまず気持ちを切り替えた。


 駅に到着して改札を出る。
 途中までは同じ方向なので、ユウキとオレは並んで歩き出した。
 街灯が照らす歩道を歩きながら、空を見上げる。
 雲が厚いのか、月も星も見えない。
 吐く息は白く、温かい電車の中から寒い外へ出たせいか、鼻水が出る。鼻をすすりながら、オレは思い切ってユウキに話しかけた。

「昼間のあの発言、やっぱ、もうちょいだけ詳しく聞きたいからさ……。オレの家か、ユウキのアパートで話せない?」

 連絡を断つと言っていた以上、ここで別れたが最後、連絡が途絶えるかもしれない。ここは何としても粘ろうと思っていたのに、「いいよ」とユウキはあっさり言って、自分のアパートの方面を指差した。

「今、オレのアパート、何も無いから、食べ物とか飲み物買っていく?」

 その反応に肩透かしを食らった気分になったが、まだユウキと話せる事に胸を撫で下ろした。

「そうだな。コンビニで適当に買っていくか」

 そう言って、駅近くのコンビニで炭酸水やらスナック菓子を買い込んだ。

 *

 二階建ての小さなアパートの一階にユウキの部屋はあった。左右の家の小窓からは明かりがこぼれ、住民がいることを示していた。
 同じ駅を使っているにも関わらず、今まで一度もユウキの家には行ったことがなかった。方向も反対側だし、こちら側は民家やアパートばかりで、足を踏み入れる事のない地区だからだ。

 ユウキはポケットから取り出した鍵で、玄関の扉をガチャンと開けた。
 そして、すぐに手元のスイッチで電気をつけた。

「どうぞー」

 そう言われて、初めて入るユウキの部屋は、意外にもしっかりと整理整頓されていた。もっと、汚部屋というか、ゴミが散らかっている部屋を想像していたのだが、そんなことは無かった。
 玄関を入って右側に風呂とトイレが、左側にキッチンと一人暮らし用の小さな冷蔵庫があり、そこを通り抜けた八畳くらいのフローリングの部屋は小ざっぱりとしている。

 ユウキはすぐにエアコンのスイッチを入れるが、部屋が暖まるまで時間がかかりそうだ。オレはダウンを着たまま、なんとなく玄関に近いカーペットの敷かれた床に腰を下ろした。

 部屋の真ん中にはこたつではなく、ローテーブルが置かれており、そこに買ってきた飲み物やらお菓子を並べた。ローテーブルの上もきれいで、リモコンがあるだけだ。ノートパソコンや図書館で借りたらしい本など雑多なものは、窓際の机の上に置かれている。

「パソコン持ってるのに、また買うんだ?」

 素朴な疑問を口にすると、部屋着に着替えていたユウキは

「一度でいいから自分で組み立ててみたかったんだよ」

そう言って、パーカーを頭からかぶった。

 オレたちはふたりとも文系の学部だったし、ユウキは講義の合間にも、よく単行本を読んでいたので、完全に文系の人間だと思っていた。だから、そんなことに興味があったなんて知らなくて驚いた。

 というか、大学時代にあれだけ一緒にいて、社会人になってからも最寄りの駅が同じで、たまに会うこともあったのに、個人的な話をすることが殆ど無かったことに気がついた。
 たまに会っても、話す内容といえば、会社の愚痴かネットのニュースの話ばかりだった気がする。

「で、何が聞きたい?」

 すっかりくつろぐ格好になったユウキは、ベッドの上を歩いて窓側へ移動し、ベッドを背にローテーブルの前に座った。

「まずは、来年死ぬって話だよ」
「うん」
「なんでそんな話になったのか聞きたい」
「なんで?」
「え?」
「なんで俺が死ぬことに、リクが口を挟むのか教えてほしい」

 エアコンが急いで室内を暖めようと、ゴオゴオと運転音を唸らせている。
 ユウキの突き放すような言葉にグッと詰まった。だけど、ここで引き下がってはダメだ。

「今、ユウキは自殺するって宣言しているってことだろ? オレはユウキが死ぬの嫌だから」
「でも、俺が死んだところで、リクの人生に影響はないだろ? 直後は多少ショックを与えるかもしれないけどさ。別に生活を一緒にしているわけでもないし、定期的に会うような仲でもないし」

 確かに、直近でユウキと会ったのは一年以上前だ。それも、駅前のコンビニで新作のスイーツを求めて、たまたま入店した時だった気がする。ユウキはすでに買い物を済ませた後で、自動ドアへ向かっているところで会ったはずだ。

「たとえ会わなくても、ユウキが死ぬのは嫌なんだよ」
「そうかな。それは今だけなんじゃないの?」

 馬鹿にするわけでもなく、静かにユウキはそう言って、ローテーブルの上の炭酸水を取る。そして、プシュッと開けて一口飲んだ。

「きっと、ずっと嫌だ。たぶんオレが死ぬまで」

 オレも自分で選んで買った清涼飲料水を開けて、一口飲む。

「一時的なものだと思うけどね」

 ユウキはそう言うと、今度は買ってきた新作のスナック菓子を開けた。
 中から香ばしいいい匂いがする。
 それを一つ手に取ると、口の中へ放り込んだ。

「なあ、何か嫌なことがあったのなら話せよ。誰にも言わないし、もし力になれることがあれば力になるし……」

 オレは真剣にユウキを見てそう言った。
 ユウキは、もう一つスナック菓子を手に取って口に運ぶと、意外とうまいよと、オレのほうに袋の口を向けた。
 仕方なく、オレも一つ口に入れて、くしゃっと咀嚼する。
 こんな話題をしていなければうまいのかもしれないが、今は砂を噛んでいるようで、あまり味がよく分からない。

 しばらく沈黙が続いた。
 話そうか迷っている気配を感じて、オレはじっと待った。

「俺さ……、疲れたんだよね……」

 長い、長い沈黙の後、ユウキはポツリとそう呟いた。

「みんなと同じようにしようと頑張ってみたけどさ、やっぱり無理だって分かってさ」
「そんなこと……」

 なんでも、そつなくこなすユウキは、人当たりもよく、気が利いていて、友達の中でも一目置かれる存在だ。むしろオレのほうが世間とずれているというか、馴染めていないと思っているのに……。
 ユウキが無理というなら、オレなんてもっと無理だろう。
 そう反論しようとすると、ユウキは少し口の端を持ち上げて、静かに首を振った。

「今までずっと努力してきたんだ。むしろ、それだけにすべてを注いできた、と言ってもいい」

 その言葉をきっかけに、ユウキは今まで考えてきたことを話してくれた。

 小さい頃は、そんなことを思ったことも無かったが、成長するにつれ、少しずつ自分が皆と同じように出来ない違和感を感じはじめたのだという。
 それは、皆が笑っているものに共感できなかったりと些細なものだが、あの狭いコミュニティの中では同調圧力が必ず働く。
 なんとかその中で、浮かないよう、目立たないように必死だったという。

「誰かとぶつかることが嫌で、人の顔色を窺って当たり障りのないことを言って、面白くないことでも、みんなが笑うなら笑って、そうやって居場所をつくっていたんだよ」

 家でも学校でも、とにかくあらゆる場所で、人の顔色を窺って過ごしていたのだという。周りからの評判は、優しいだの、気が利くだの、そんなんだったが、それは身を削り続けて居場所を求めた結果だった。

 成長しても、やはり皆とズレないように、情報をあらゆるところから集め、「普通の人間」を徹底的に装ったのだという。

「もうその頃には、自分が何者なのかも分からなくなっていて……。何がしたいのかも、何になりたいのかも、この先どういう人生を歩みたいのかも分からなくなっていたんだ」

 ユウキは肩をすくめた。

 空っぽな自分に気づいた時、ただでさえ、先の見えない社会の中で、何のために生きているのか分からなくなったという。

 そして、この先、どう生きればいいのか悩み、毎秒更新される、ネット上の様々な記事や書き込み、動画などを見ているうちに、なにが正しいのか分からなくなっていった。

 それでも、なんとか必死に生きる模索をしてみたが、ある問題がユウキの前に立ちはだかった。


「俺さ、人間のくせに、人間が好きじゃないんだよね」

 ユウキは自虐的に笑ってそう言った。

「人の為に生きると良い、と世間では言われているけど、それが選択できなかったんだ」

 空っぽだけど、それだけは曲げられない事実として横たわっていたという。

 人の為に生きる事も出来ない。
 自分が何をしたいのかも分からない。
 だけど、人間社会で生きなければならない。

 この社会で、これまで通り装って生きていくことは、今の自分には厳しい。しかし、この状態で生きていく未来は見えない。
 手詰まりだと感じ、もういっそ、自分で寿命を決めて死んでしまおうと思ったのだという。

「もう、色んなものから解放されたくて、必死で働いて、一年間生活できるだけの貯金をしたんだ」

 そう言うユウキは、少しすっきりとした顔をしている。

「それで、やり残したことをやって、来年死のうと思ったんだ」

 すっかり暖かくなった部屋の中で、いつまでもダウンを着ていたことに気づき、今更だがダウンを脱いで、座っている横に無造作に置いた。そして、少し座り直した。

「彼女とかは、いないんだっけ?」
「いると思うか?」
「だよな……」
「結局、そういう相手がいたところで、また顔色を窺って疲れるのが目に見えているし、こんな気持ちを抱えている状態で誰かと付き合うとか無理だわ」
「まー、そうか」
「うん。そこら辺のことは、もう考えられないよ。そもそも前の会社も給料安かったし、ほんと自分の事で精一杯でさ」
「それ、分かるわー」

 少し緊張していたユウキは、その会話でリラックスしたのか、再びペットボトルの水を飲んだ。

「まあ、そんなわけで、分かってもらえたか?」
「そうだな。ユウキがなんで死のうと思ったのかは分かった」
「止めるか?」
「んー……。止めたいけど、止めても無理そうだな、と思った」

 オレは、ユウキの考えを頭から否定することはできなかった。

「だから、止めるのはやめた」

 そう言って、ペットボトルを持ち上げると、結露した水滴がローテーブルについていた。雫を手で拭ってから一口飲んで、オレはユウキを見た。
 ユウキはオレが止めない事に安心したのか、少し微笑んでいるように見えた。

「今のユウキはさ、自分の命を、自分で握ってるんだよな」

 その言葉に、ユウキは少し驚いたような顔をした。
 そして、コクリと頷く。

「確かに。俺は今、自分の命を自分で握ってるな」
「それって、なんか少しだけど、自分のものを取り戻した感じしないか?」
「そう言われると、そうだな……。誰かに盗られてたわけじゃないけど、今はちゃんと手元にある気がする」
「だよな」

 オレはうんうんと頷いて、頭の後ろで手を組んだ。

「これから、まずはパソコンを作るんだろ?」
「ああ」
「他にも何かやろうと思ってることあんの?」
「とりあえず吉川英治の三国志を読む」
「渋いなー」
「ちゃんと読んだことなかったからさ、前から読んでみたかったんだよ」
「ユウキらしいな」

 笑いながらそう言うと、ユウキもつられて笑った。
 それを見て、オレは話題を変えた。

「オレさ、よく自分探しの旅とか、本当の自分を見つけるとか、そういう言葉を聞くたびに、何言ってんだろうって思ってたんだよな」
「なんだよ、唐突に」

 オレの言葉に、ユウキは突っ込む。

「あれって、自分があると思っている奴らの言葉だろ?」
「まあ、そうだな」
「でも、『本当の自分』って本当にあるのかなって思うんだよ」
「?」
「人間は所詮、生まれてきた国とか、地域とか、環境とかで、全然違う常識を植え付けられるわけだろ?」
「うん」
「それって、確固たる自分なんてものは無い、と言っているのと同じだと思わないか?」
「……」
「与えられたもので変化するような、そんなあやふやなものを、絶対的なものだと思い込む事の方が怖い、とオレは思うんだ」

 オレは組んでいた手をほどき、ペットボトルを手に取った。それを飲むわけでも無く、手の中で転がした。

「自分の意思で生きている、と言う人は多いと思うけどさ。その『自分の意思』だと思っている内の、一体何パーセントがオリジナルの考えなんだろうな?」
「……」
「だからさ、あれだよ。ユウキもさ、自分の事、空っぽって言ってたけど、それは、そんなに気にすることじゃないんだよ」
「そう……かな」
「むしろ、自分の内面と真摯に向き合わないと、そんな事すら気がつかないだろ」
「……」

 ユウキは少し考え込むように俯いた。

「これから、時間がなくてやれなかったことをやるわけだろ?」

 オレの言葉にユウキはすぐに顔をあげる。

「うん」
「それなら、どんな些細な事でも、時間がかかる事でも、とことんやり尽くすといいと思うんだ」
「?」
「だからさ、今年一年、心のままにひとりで過ごすだろ? そこで、うっかり来年も引き続きやりたいことが出てきたらさ、それは来年やってもいいと思うんだよ」
「来年、死ぬ予定なのに?」
「そんなにきっちり決めたところで、誰にも迷惑かからないって。それよりやりたいことを、やらずに死ぬほうがもったいないだろ? 今のこの環境で『ユウキ』として生きているのは、この時代だけなんだからさ」
「……」
「例えば、年末に読みたい本が出てきてさ、でも意外と人気作品で、図書館で予約を入れたら何百人待ちで、このペースだとオレの番は来年かー、じゃあ来年まで待つか。仕方がない、死ぬのも延期だ、とかでもいいんだよ」
「死ぬのをやめる理由、軽っ」
「いいんだよ。それくらい緩くてさ」

 外ではパトカーのサイレンが鳴っている。
 この寒い中、バイクで逃げている人がいるのか、騒々しいエンジン音が遠くに聞こえる。

「分かったよ」

 オレの言葉に少し呆れてはいたが、ユウキは笑って同意してくれた。

「それでさ、もし来年も取り敢えず生きることにしたらさ、「あけおめ」でいいから連絡くれよ」

 そう言うと、「あけおめって何だよ」とユウキは声を出して笑った。そして

「約束はできないけど、分かったよ」

と目じりに涙をためて答えた。

 それからオレはユウキがこれから作ろうとしているパソコンの話を聞いたり、最近読んだ面白かった本の話をしたりして、アパートを後にした。

 *

 あれから一年が経とうとしている。

 ユウキは宣言通りに連絡を断ったようで、一度も連絡はなかった。
 共通の友人から、「返事来ないんだよ。何か知ってる?」と安否を聞かれることもあったが、「忙しいんじゃない」と適当に答えておいた。
 そして、オレからも敢えて連絡しなかった。

 あの日の事を思い出す。
 ポツリポツリと俯いて話すユウキの姿が目に浮かぶ。
 あの時、ユウキが話してくれた死にたい理由。
 それがオレには手に取るように分かった。
 何故なら、オレ自身が同じ理由で自殺しようと準備していた事があったからだ。

 空っぽな自分に、人間として生きる事の辛さ。
 何が正しいのか分からない不安。

 薄暗い部屋の中、ひとりで引きこもって、長い時間ずっと考えていた。
 オレは何者になりたいのだろうと。

 そんな時に、たまたま見つけた記事が、オレの心を揺さぶった。
 それは仲間がみんな死んでしまい、たった一人になってしまった先住民族の話だった。誰もその言語を知らず、誰もその文化を知らない。そんな状況に陥る人間が、狭くなったこの時代の世界にいるのかと驚いた。
 そして、もし自分が同じ状況に立たされた場合、どんな気持ちで生きていくのだろうと。

 その時に、ふと思ったのだ。
 いつの間にか当たり前のように自分の中にある常識も、アイデンティティも全て、生まれてから与えられたものではないかと。
 自分自身で獲得したものなんて、殆ど無い。
 それはこの世界で生きる、すべての人間がそうなのでは無いかと思ったのだ。

 与えられる情報のほとんどは、社会を円滑にするための潤滑油であり、個性を発揮するようなものでは無い。
 それなのに、個性がどうとか、自分探しがどうとか、そんな事を嘯く人間たちに疑問を抱くようになった。それと同時に、空っぽな自分が、そのままでも良いことに気がついたのだ。

 それから先は、気楽だった。
 人間のくせに、人間が好きではない。それでも、今から別の動物になることはできない。だから、人間社会で生きるために、最低限ルールは守る。
 だけど、ありもしない自分を探すために、様々なものを求める必要は無くなったし、これが常識だと決めつける事も無くなった。他人と比較することも無くなると、焦ることも無くなった。
 そして、ただ流れるように、今日まで生きてきたのだ。

 あの時、ユウキにもあの記事の話をしようかとも思ったが、あの状態の時に、他人から押し付けられる情報ほど鬱陶しいものは無い。
 だから、何とかこの気持ちが伝わるように、自分の言葉で話してみたのだ。

 ユウキはあれだけ自分と向き合って、考え続けている。誰かの意見を鵜呑みにするような奴じゃないと知っている。
 だからこそ、きっかけさえあれば、また考えて、ユウキなりの答えを導き出すのではないかと期待しているのだ。

 死を選択するのは、選択するだけの理由がある。
 それでも、やはり生きてほしいと願ってしまう。
 
 オレは、オレと似たような人間がいる事に、勇気が湧いたのだ。
 この先、再び挫けてしまうこともあるかもしれない。それでも、同じように悩み、考えながらも、必死で生きている仲間がどこかにいるかと思うと、それだけで、また頑張れる。

 だから、もしユウキが死ぬことをやめたのなら、その事を伝えたい。
 ユウキが生きていてくれるだけで、オレは心強いと。

 ──果たして、オレの言葉はきっかけになれたのだろうか……。

 テレビも動画配信サイトも、どこもかしこも新年のカウントダウンを始める。

「さん、にー、いち、新年、あけまして、おめでとーございます!」

 親が見ているテレビから、そんな賑やかな声が聞こえてきた。

 オレは手元のスマホを念じるようにじっと見つめる。

 その思いに応えるように、スマホが震え、画面に新着メッセージのポップアップが表示された。
 急いでそれをタップすると、そこには「あけおめ」とユウキからのメッセージが表示されていた。

 オレは一人、こぶしを握り締めた。


 了




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